よこがおのレビュー・感想・評価
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日常の中から生まれる狂気の恐ろしさ
怖かった 他の方のレビューをみて覚悟を決めて劇場に入ったのに、信頼の厚かった主人公が、「加害者」になっていく過程 自分に責任がないはずなのに、「ひとの心」は様々な羨望と嫉妬を生み、「加害者」を作り上げていく 筒井さんの演技はもちろんだけど、市川さんの「未熟さ」の演技は、観ていてとても怖かった 2年前の「夜空はいつでも最高密度の青色だ」では、池松さん演じる主人公の相手役石橋静河さんの母親役をほぼ実年齢に近い市川さんがやっていたことを思うと、彼女の大きさにとても驚く とても怖かった 「1日」に観たこともあったが、平日午後なのに年齢層の高い方ばかりで4割くらい埋まっていたことがうれしかった(8月1日 なんばパークスシネマにて鑑賞)
うまいなと
思うし、無駄がない構成だなぁと感心する一方で、
マスコミのえがき方とか、感情のえがき方に少し軽薄な感じがあって没入感はイマイチかなと
とはいえ、前作にもあった心をえぐられるような観てて辛くなるような作品性はすごいなと
また次も観たいなも思わせる監督さんです。
あまりにも繊細な映画
深田晃司監督のミューズは筒井真理子なんだな...と。
何が悪い、誰が悪い、と言い切れない。登場人物にあるのは明確な悪意ではなく、優しさ、躊躇い、激情、怒り、そしてどうしようもない程の哀しみ。虚無だ。
「無実の加害者」と呼ばれる主人公に世間は残酷だ。きっかけを作った人物はいる。しかしそれを何も考えていない(かのような)マスコミがひたすら無遠慮に追う姿がいちばん恐ろしいとも言える。あれが、我々が「知りたいもの」を追う姿なのかと思うと本当に薄ら寒くなった。そして、「被害者」しか見ないこの社会にも。正義は怖い。本当に。
演者全てが凄まじい演技合戦を見せる。筒井真理子の圧倒的存在感。二面性。表情全てが完璧すぎて圧倒された。そして市川実日子の「欲」。もうあれは愛というより欲、執着だろう。恐らく本人も自分が何をしているか分かっていない、無我夢中な者。ふたりの演技合戦が心を震わせる。
深田晃司監督は人の情と悪意というか、嫌悪を描くのが本当に巧みだ。人の感情の機微にとんでもなく繊細だ。彼が見つけた「ミューズ」筒井真理子の映し方...。筒井真理子とはこんなにも凄まじい女優だったのか、と思った。「淵に立つ」より一層感じた。信頼関係があるのだろうな。
筒井真理子の豪腕全力投球
梅雨のジメジメ時期は、選挙関係の偏向な報道やら、吉本騒動の無責任なジャーナリズムやら、京アニ遺族への非常識なマスコミ取材やらに気分悪くなってたし、もう、そういうの忘れて仕事と映画を楽しもう!という気分で観た…。
非常識なマスコミ取材気分悪いわ!!!
マイティ・ソーのトンカチで一人ひとり頭割られてろ!って話。
…って、さすがに今この時期観ると思っちゃうんだけど、たぶんそういう「ジャーナリズムの暴力」へのアンチテーゼがこの映画の主題ではないと思うので、まぁ、それはそれとして。
なにはともあれ“筒井真理子 THE MOVIE”と言ってもいいくらい、筒井真理子が豪腕全力投球で筒井真理子。
「みんな見て見て!これがオレの好きな女優:筒井真理子だよ!!」っていう、深田晃司監督の惚れ込みっぷりが、スクリーンからビッシャビシャにダダ漏れてる。
「筒井真理子をキレイに撮りたい!」ってだけのモチベーションじゃなくて、「筒井真理子の女優としてのポテンシャルを全部写し取りたい!!」みたいな情動を感じる。
たぶん筒井真理子もそのへんを信頼していて、「なんでも来いや!やってやる!!」という猪木イズムを発揮できている気がする。
そんな深田晃司監督と女優筒井真理子の信頼関係で結ばれた、“映画界のBI砲”と言うべきタッグが見せようとする試合が、面白くないわけがない。
『淵に立つ』でも筒井真理子は、シン・ゴジラばりの形態変化を見せてくれたし、本作でも筒井真理子はフリーザばりの戦闘フォームチェンジを見せてくれる。時間軸を説明するための髪型髪色や衣装のフォームチェンジだけじゃない。リアルに戦闘形態に変形したりしてるので、「何させてんねん!!」と本域でビックリした。
僕モテラジオで上鈴木伯周さんが「筒井真理子は日本のイザベル・ユペールだよね」ってチラッと評してたけど、確かに確かに。本作は少なからず『ELLE』は意識したと思う。自室の窓から男を覗き見る場面なんて、「この後主人公がオナニーし始めたらどうしよう!!」って思ったもん(笑)。
でもそういう主人公の人物造形を、「熱演、怪演の女優魂」みたいなケレン味だけにしていないのは、深田晃司監督の演出の上手さと女優筒井真理子の演技の器の凄さだと思う。
以前『旅のおわり世界のはじまり』を評したときに、“演技の強度と精度”について論じたけれど、筒井真理子は本作で、強度の演技も精度の演技もキッチリ演じ切っていて感動的だった。
細かいところだけど、筒井真理子が訪問介護先をクビになる場面があって、それを言い渡された瞬間の筒井真理子の表情の変化が、悔しさや悲しさや怒りややるせなさといった何層かの感情のグラデーションを表現していて本当にスゴい。
深田晃司監督の作劇の巧みさ、演出のカッコ良さ・品の良さもスゴい。
Jホラーの一歩手前のような光と影の演出で、「追い詰められる感」や「壊れ始める感」がゾクゾク伝わってくるし、「主人公の引きずる足音」や「インタフォンのうるさい音」とかで主人公の感情の揺れがビシビシ伝わってくる。
公園のベンチで筒井真理子と吹越満が(物語的にけっこう重要な)話している場面を、子どもが遊んでる背景として見せるところとか超カッコ良かったし、
主人公の「叫び」を、どのようにして表現したか?っていうことも、すっごく心に刺さる「叫び」だった。
お話としては『淵に立つ』に通じる部分が多いように感じて、それが深田晃司監督の作家性なのかどうかはもっと他の作品を観る必要があるけど、“自分が囚われてしまった呪いとの折り合いをどうつけていくか”の物語だったように思う。
ある意味では『淵に立つ』の対になっている話だし、別の意味では『淵に立つ』を違う視点でなぞった話であるとも言えるかもしれない。
どちらにしても面白かったし、観る価値のある映画だと思う。オススメ。
ただ、ただ素晴らしかった
人間の心の不気味さを、こんな演出の仕方もあるのか!って思わせる、ただ、ただ素晴らしい映画だった。
深田晃司監督の才能をすごく感じ、主演の筒井真理子さんの素晴らしさも感じ、脇の方達の自然すぎる演技もキラリと光っていた。
2時間があっという間で、深田晃司監督の世界に酔った。
閉口頓首
不条理な現実に巻き込まれたひとりの善良な女性の絶望と希望を描いたサスペンス作品。
監督は「マスコミの報道のあり方を見て欲しい」として制作した作品とのことだが、大して過激な報道があって、主人公が閉口頓首したとは見えない描写の連続。
主人公の感情だけが空回りしていた印象が残るしっくりしない作品でした。
面白い。深い。
説明的なセリフは殆どなく、色々みせていく感じが良い。
最初から最後までじっくり観れました。満足。
ただ2点ほど。
事件の割りにはマスコミ多すぎ。描き方に悪意ありすぎ。
あと押し入れの部分。子供の頃の話をなぞってやってみたのは分かったけど物理的な場所が良く分からなかった。一軒家だよねあの場面。
横顔の向こう側を、伺え知ることは出来ない…
“ ひまわり ” で知られる画家、
フィンセント・ファン・ゴッホ
とかくゴッホと比較されがちなもうひとりの画家、
パブロ・ピカソ
作風も年代も違うのに
なぜ我々はふたりの天才画家を関連づけて
またどちらかを連想してしまうのか?
それはふたりの歩んだ人生が対照的で
それぞれを側面的に捉えたほうが
よりドラマティックに
ヒトが感じるのに他ならないからでしょう…
ピカソがキャンパス上の平面において
立体的に表現しようとした “ ゲルニカ ” よろしく
女性の知られざる側面を
複数の角度からあぶり出し描いた本作『よこがお』
ピカソの絵画的手法〈キュビズム〉の代わりに
深田 晃司 監督の映画的手法で表現された《ふたつの時間軸》が
主人公・市子を多角的な女性像にかたちづけていく…
そう、彼女自身も知り得なかった側面、よこがおを…
事件の発端を担ってしまった罪悪感
真実を語れなかったうしろめたさ
過剰な反応をみせる報道陣
周囲を取り巻く不信感
信じていた者からの拒絶感
社会からの疎外感
他人に膨らむ猜疑心
それら転じて、基子に収束する復讐心…
その行き着く先に彼女はなにを想うのか?
そして鑑賞者はなにを受けとるのか?
「芸術とは人生の予行演習である
芸術を享受していくことで
少しずつ野蛮で理不尽な現実に
心を慣らしていくのだ」
本作・深田 監督の言葉です。
「芸術とは我々に真理を悟らせてくれる嘘である」
パブロ・ピカソの言葉です。
でも最終的にヒトの行き着くところは
フィンセント・ファン・ゴッホの
「考えれば考えるほど、人を愛すること以上に
芸術的なものはないということに気づく」
…という言葉に、
人生が集約していると、わたしは信じたい!
実年齢以上に若々しく綺麗な筒井真理子さん!
複雑で様々な感情を豊かに体現してらして
女優としての円熟味とスゴ味を感じた!
市川実日子さんの恋愛感情と同等の憧れと
その裏切られたような憎しみが同居する…
今思えばそんな二面性の顔を表していた
そこはかとない演技!
彼女にぜひ助演女優賞をわたしは送りたい!
本作の池松 壮亮さんの役柄が、近作のなかで
素の彼に一番近い印象を受けました。
わたしも見えているであろう表面上の顔を
取り繕うのをやめて、内面を見つめ直し
感性の赴くまま芸術論を語りたい…
まぁ、引かれるでしょうが!(笑)
彼女はそこまで罰を受ける必要があるのか
訪問看護師として通っていた家の娘が誘拐された。誘拐したのは甥。そこから彼女の人生が徐々に狂っていく。
仕事をやめる前と後の場面転換がしょっちゅうあるが、主人公・市子の髪型で判別できる。彼女が何をしようとしていたのか、後半わかるのだがそれほど意外なものではない。ポイントはそこではなく、彼女が巻き込まれた状況だ。とってもとっても嫌な気分になった。
物語としては結構地味。だが、それなりに緊迫感があって楽しかった。最後もはっきりしないがそれもまたいい。
隠し味は、女性の嫉妬
米田(池松壮亮)が勤める美容室を訪れたリサ(筒井真理子)。
初めてだという彼女に、米田は「以前お会いしませんでしたか」と訊く。
彼女はかつて訪問看護師として働き、その仕事ぶりも高く評価されていた。
当時の名前は白川市子。
かつて、彼女が看護していた老画家の中学生の孫娘・大石サキ(小川未祐)が誘拐される事件が起きた。
が、犯人が市子の甥だったことから、市子の人生は変わったのだった・・・
というところから始まる映画だが、現在と過去の事件の顛末が交互に描かれていく語り口は、はじめ少々戸惑う。
注意していれば、市子=リサの髪型なり、場所の住所表記なりで、別の時間軸だということはわかるのだけれど。
ま、漫然と観ているこちらが悪いのだが。
それはさておき、誘拐事件としてはそれほど大事には至らない。
犯人が10日ばかり孫娘を連れまわしたので、営利目的でもなく、被害者に危害は加えなかったからだ。
けれども、事件を契機に市子の人生が崩壊していく。
彼女が被害者宅で看護していたこともさることながら、犯人である甥が被害者と居合わせる場を図らずもつくってしまったからだ。
市子は被害者の姉・基子(市川実日子)と仲が良い。
ニートの基子にとっては、市子が唯一の友といってもよい。
そんな基子が看護士になるための勉強を市子がみてやっている。
場所は大抵は近所の喫茶店。
そこへ、むかし市子が使っていた参考書を犯人が届けに来、偶然、サキも居合わせてしまった・・・
そういう偶然レベルなのだが、基子からの甘言によって、市子は大石家に犯人との関係を告げないままでいて、それがあらぬ疑惑を生んでいくことになり、結果、市子の人生が崩壊してしまう。
この崩壊のスリリングには、大きなスパイスが隠されている。
それは、市子と基子の関係。
基子は、市子のことが好きなのだが(たぶん、憧れというようなレベルは超えている)、市子はそれに気づかない。
無頓着といってもいい。
市子を独占したい、手放したくない思いから、基子は甘言を囁き、無防備な市子は易々と乗ってしまう。
その後、基子が市子の人生を崩壊させる証言をするのは、疎外感から。
事件の渦中にいる市子を助けようとして、自分と逃げ隠れることを提案するが、婚約者のいる市子は現実的でないと突っぱねる。
この「独占欲」と「疎外感」は、別の言い方をすれば「嫉妬」である。
女性同士のこの手の映画は、ジュディ・デンチとケイト・ブランシェットの『あるスキャンダルの覚え書き』や、カトリーヌ・フロとデボラ・フランソワの『譜めくりの女』があるが、日本映画では珍しい。
映画のラストは、看護師になった基子を見とめた市子が、自動車の運転席でクラクションの轟音を鳴らすシーンと、その後、自動車を運転し続ける市子をサイドミラー越しに捉えた長い長いカットだけれど、たぶん、市子は基子の気持ちにに気づいていない。
復讐できなかったことに対する悔しさだけなのだろう。
これが、基子の気持ちを知った市子の咆哮を暗示するようなものだったら、この映画、傑作になったはずだ。
「断絶的」な人生の視覚的記号
予備知識一切なしでの鑑賞、前半は何がどうなってるのか、全く追いついていけなかった状態だったので、その分、ミステリーだらけ。
なぜ同じ顔をする女主人公(もう一人も主人公とも呼べるなら....)は違う登場人物のように見えて出てるだろう。
洒落てる女の方はなぜ知らない男と付き合っているだろう。
並行する二つの物語が一見何の関係もなかったようだったが。
きっとそうでもない。
関係ないというわけにはいかない。
その答えを知るたく、興味深い映画形式と共に、謎解きのルーティンを追って行った。
最後洒落てる女の方が真相を教えてくれた。
「復習なのだ」と。
男は彼女を、「市子さん」と呼んだ。
やはり同一人物だーと!
その一瞬で、全ての疑問が矛盾もなく解けた。
全てが繋がってた。
物語の時間軸において監督の見事な叙事トリックを仕掛けたんだ。
そこまで気になったことが全てヒントとなって対照的だった。
二点列挙していこう。
→動物園のシーンに、暖・冷色によって作られた二つの断絶な空間と、それぞれの空間にいた過去の市子と基子・現在の市子と謎の男。
過去の市子は暖色の服を多く着ていたのに対して、男で復讐をしようとする市子の服は基本的に冷たい色になっている。
→夜タクシーの鏡に映った、心配で妹に電話をしている過去の市子と、映画最後のシーンで鏡に映った、ハンドルを握った現在の市子の立場も、全く断絶しているところにある。
特に映画最後のノイズは、市子の心境を示すものだった。彼女は運転席に入り、妹のことの傍観者でなく、事件の主体になったのだ。自分の人生の局面を自分の手で挽回しなければならないが、彼女には、もうその狂った精神で崩壊していく。
全ての断絶的なものの接点になったのは、過去の市子と謎の男・実際には基子の彼氏との出会い。
あの夜の出会いが、その幾つかの断絶的な空間・事物を繋げていく。それこそが復讐のはじまりであり、狂った歯車が走りだした瞬間だった。
一方、根本的な原因を探ると、その瞬間は、基子の中に生じた異変から由来するものだ。基子の市子に対する好意は映画の冒頭からはっきりと観客に伝わってくる。それはきわめて安定的なものでだった。しかし、その安定的なものが、基子の市子に対する告発で崩れた。
並行する二つの物語は一つになった。ほんの少しの当事者の心乱れによって、何もかも一変した。
監督は解釈をしてなかった。ただ視覚的な記号を巧みに並べた。
後は観客の主体性に任せるーーー
細かく見ればみるほど、「過去」と「現在」が断絶的かつ連結的に見える。
人の心が、そうした断絶と連結を生んでいるのだ。また断絶的なように見えるものも、実際には必ず何かの糸で繋がっている。人の心は、複雑で、予測不可能なものだが、この映画を観たら、何となく、自分の感情に責任を取らなければと思った。そうすると、きっと誰かが救われ、自分も救われると思った。
人間の業を嫌という程抉り出した作品。凡庸なホラー映画より余程怖い
怨み、疑心、嫉み、妬み、醜聞好き等々、人間の心の暗部を様々なシークエンスで描き出す。
深田監督の技量が冴えわたる。
被害者側から加害者側に移行する際の筒井真理子の「かお」の変化が凄まじい。
サスペンスフルな衝撃作である。
「淵に立つ」ほどではなかった。つまらなかった。
深田監督の前作「淵に立つ」は、浅野忠信の一見気付かれにくいようにある家族を、内部からじわじわと破壊していく様を描いていく。破壊していく理由が、後々明かされるのだが、今回「よこがお」に関して、職に就けない基子が、市子を追い詰めいくが、その理由が漠然と表現されていない。全くつまらない。なぜ、基子が市子に執拗に迫っていくのか。その答えは、私には勇気を持って答えられない。「淵に立つ」は、そこが明確に描かれている。ただ。市子が加害者の親戚であることで、通常の生活の幸福を無残にも打ち砕かれていく。どうしてそのことが、「無実の加害者」に転落していくということなのだろうか。メディアが、ありきたりに追ってくる場面は、もうしらけてきた。「淵に立つ」の浅野さんの人物像が、あまりにも強烈であるがために、今回の筒井さんの演技、なぜか「犬のまね」をしたが、必要性があったのか?意味があるなら良いが、キーポイントがないなら要らない。人間関係が絡んではいるが、内容は前作ほどグイグイ引っ張られるほどではなかった。
市川実日子さんは、是枝監督作品では良かったのに、今回は何か以外な凄味がなく、逆に物足りなさを感じた。同じく是枝作品に出演した池松さんの鼻にかかる声も飽きた。吹越さんの出番が少ないのも残念。
キャリアのピークを迎えた美しい筒井真理子が
深田晃司×筒井真理子!
人の役に立ち善良に生きること、それを良しとして充実した生活を送っていると思われた訪問看護師の市子(筒井)だったが、決して満たされることなく憤るもう一人の自分がいた……
もう一人の自分がいたからこそ乗り越えられたのかも、そして生き続けられたのかも知れない。
これはもう筒井真理子の独壇場!「淵に立つ」では悔しい思いをしたが、今度こそ主演女優賞を総ナメにすること必至の名演。
そして深田作品としては「さようなら」「淵に立つ」に続く3本目のマイベストワンとなろう。
ちなみに上映後、お二人の舞台挨拶がありました。らしくないのですが、パンフレットにサインまで頂きました。真理子様の美しさが、オーラが……ありがた過ぎました。
きっかけ
人間長く生きていると良かれと思ってやった事で恨まれたり、思ってもみない事で反感を買ったりすることがあります。善き人間の象徴である市子が基子と深く関わらなかったら、善き人間のまま人生を全うできたかもしれません。逆に基子も何かのきっかけでニートになり、市子と知り合い彼女への独占欲を強めていっただけにすぎません。この二人の関係は極端だとしても、親子、恋人、夫婦、友人など、誰もが似たような経験をしているのではないでしょうか。
市子も基子もふとしたきっかけで人生が大きく変わりました。彼女達だけではなく、辰男も辰男の母親もサキもです。残念ながらこれは「努力」では防ぐ事ができません。努力不足や自己責任と言えるのは、運良く上手くいったから、運良く成功したから、運良くお金のある家に産まれたから言える幸運な人間の一方的な言葉なのです。人間は運に大きく左右され、人生は常に不条理で不安定で、善き人になるのも悪い人になるのも強者になるのも弱者になるのも紙一重なのです。この作品は今の日本で忘れられたその真理を思い出させてくれました。
深田監督の作品は前作の「淵に立つ」しか鑑賞していませんでしたが、鑑賞後言葉にならない気持ち悪さが残りました。日本映画界では非常に稀有な存在だと思います。また、筒井真理子さんの妖麗さやつかみどころの無い感じが、イザベル・ユペールを彷彿とさせました。私はヴァーホーベンの「ELLE」が大好きなのですが、あんな感じの作品を演らせたら日本一だと思いますし、是非作って頂きたいです。
理不尽というか不用意というか
好意が憎しみに変わる典型的なストーリー。特に目新しい展開もなく、この展開の先には何がある?と思っていたら何事もなくエンディング。
キャスティングに興味がある方は問題なく楽しめる作品だと思いますが微妙な感じが漂います。
全109件中、81~100件目を表示