「現実を受容する美しさ」よこがお ニックルさんの映画レビュー(感想・評価)
現実を受容する美しさ
傑作だと思う。
ラスト、市川実日子との対峙において復讐を果たさない主人公、虚しく鳴らされるだけのクラクション...このケリの付け方に、スッキリしようのない現実を受け入れるしかない主人公の強さを見た。
頭で考えれば(恐らく)レズビアンの市川実日子の男を寝取った所で復讐になんてなりようがない(これは相手がレズビアンだと気づいてなかっただけとも取れるが)。だけどこのようなどう捉えども馬鹿げた復讐に走るしかないという所に社会から弾き出された主人公の切実さがある。そして、明確に描かれてはいないので仮説にはなるが、市川実日子が主人公の意図を知り気持ちのない彼氏との関係をあらかじめ精算しておいたのだとすると、彼女はこの時点においては悪意のない悪から相当な悪に変貌していたとも言えるのだけど、そのヒールの顔を画面に出さない所に監督のセンスを感じる。随所に挿入されるイメージショットも相まって、映画全体が顔の見えない相手に支配された悪夢のようにも見えてくる。シンプルなプロットの中に唐突に挿入された感のある夢やイメージショットはこの点において映画の狙いに有機的に機能している。
この映画自体が市子という人が観ている悪夢や走馬灯を観客が共有していると観ることもできる構造になっている。
このように深田晃司監督が「意識的に何を描いたか」は非常に重要だが、「意識的に何を描かなかったか」も同じウェイトで重要だ。
列挙するなら、どうして池松壮亮演じる和道がデートにやってきたのか、市子と寝たのか、そのことを基子が知っていたのか。また、基子が厳密にはどのような気持ちで市子を裏切ったのかやその表情など、意図的に描かなかった余白がかなりあるように思われる。
それらを描かないことにより、現実や過去の曖昧さが立ち上がってくる。1人の人間がトラブルに巻き込まれる時に、「どこで誰がどんな悪意を働かせたのか」が分かることの方が稀なのであって、人間は過去のこと、現在の事なんて厳密には分かりようがない。これは深田晃司作品に通底するテーマのように思われる。
この映画の主題は悪夢であり現実そのものである。日本を覆うある種の現実、つまり異物と思しき物はバッシングして切り離すこの社会そのものを強く打つ映画であり社会派サスペンスとしても一級品。ラストの美しさはその中で苦しみ続けるしかない事を受け入れた人間の孤独である。