「見えぬから信じたい“よこがお”」よこがお 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
見えぬから信じたい“よこがお”
深田晃司監督は日本のミヒャエル・ハネケになれるような存在かもしれない。
『淵に立つ』に続き、筒井真理子を主演に迎えて放つ、不条理サスペンス・ドラマ。
深田監督は『淵に立つ』でもそうだが、サスペンスチックな事件そのものより、事件の後の理不尽さや悲劇性に視点を向けている。
正直、序盤はタルかった。
訪問看護師の市子は、訪問先で福祉介護士を目指す基子の勉強を見るなど周囲の信頼厚かった。特に基子はただ慕うだけではない特別な感情を…。
ある日、基子の妹サキが失踪。その衝撃の犯人。その時を境に、市子の平穏な日常が崩壊していく…。
衝撃の犯人は、市子の甥。
ある時たった一度顔を合わせただけ。
動機も何もかも分からない。
何故、甥が…? どうして…?
被害者は程なく無事発見され、事件は解決するも、市子の心は…。
被害者はお世話になっている訪問先の娘。
言うべきか、否か。
唯一、基子だけは事情を知る。決して市子を責めたりせず、今まで通り交流を保つ。
が、ずっと隠し通せる事ではなく…。
訪問先からクビ、勤務先を辞職、近々縁あって結婚する予定だったが破棄、クソに集るハエの如く執拗に付きまとうマスコミ、過去の些細な悪戯の過剰報道、さらには事件への関与の疑い…。
残酷なまでに転落、破滅。
でも何よりショックだったのは、あんなに慕われ、心を許していた人物の裏切りだろう。
自分たちの家族がこんなに苦しんだのに、幸せになろうとしている。許せない気持ちは分かる。
無論、一番悪いのは犯人。加害者家族に罪は無い。
それは分かっているけど、それとは反する言動を取ってしまうのが、人。
自分がもしそういう立場に置かれたらどうなるか、分からない。
被害者側だったら…?
加害者側だったら…?
世の理不尽さに虐げられて、市子は…。
筒井真理子が難役を見事に名演で体現。
存在感、複雑さ、弱さ脆さ、何処となく感じさせる狂気やエロス…どれを取っても文句ナシ! 彼女の演技を無視した日本バカデミーこそ袋叩きに遭え!
市川実日子も印象的な助演。事件前と後での市子へ向ける感情の変化や精神のバランスを見事に表している。彼女の演技を無視した日本バカデミーは…以下、同文。
深田監督の演出と脚本は先読み出来ず、ミステリーとは違った意味で展開から目が離せない。
『淵に立つ』に続く上質作。
…しかし、全体的にちと分かり難く、人によっては物足りなさを感じるかもしれない。
解説では“リサ”と名乗り復讐を企てる…とあるが、この復讐が些細と言うか、基子の恋人と寝てその淫らな写メを送るくらいで、それほど強烈な復讐劇ではなく、ハードなリベンジ・サスペンスを期待すると肩透かし。
全体的に解釈も人それぞれ。
かく言う自分は、加害者側の第2の人生の歩みと見た。
市子は出所してきた甥の身柄を引き受ける。(母親は自ら命を絶ったかすでに亡く…)
これからも世の理不尽なバッシングを浴び続けるだろう。
が、この甥を更正させ、真っ当な人生を歩ませる事こそ、これからの自分の人生。
甥が被害者側に謝罪したいと言う。訪ねるが、空き家に…。
その帰り道…。
市子は基子を目撃する。
ハンドルに手が掛かり、衝動に駆られるが、思い留まる。
基子は介護士の卵となっていた。
かつての交流や関係は決して無駄ではなかった。
タイトルの“よこがお”とは、見えない人のもう一つの半身の事を意味するという。
確かに人の“よこがお”は見えない。
相手が自分の事をどう思っているか。
フレンドリーな“よこがお”の反面はそれとは真逆の…。
人の卑しい“よこがお”ばかりではなく、善良な“よこがお”こそ信じたい…。
そう思わせてくれるラストであった。