「「モンドリアンは死をみつけた」」よこがお いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「モンドリアンは死をみつけた」
ゴッホは生を“ひまわり”にみつけたのにだ。しかしモンドリアンはどんどんと身についた無駄をそぎ落とし、最終的には“コンポジション”という抽象絵画にまで発展していく。“死”を追い求めて、それが白地の上に黒い垂直線と水平線のグリッド模様と3原色で構成される幾何学に収斂される。そのミニマリズム化はもはや現在ではテキスタイルやファブリックとしてインテリアに溶け込んでいる。よりシンプルになると自然に戻っていくのである。主人公の妙齢の訪問看護士は、果たしてその死に近づこうとしたときに何の光がみえたのだろうか。と、思わせ振りな解釈をしてしまったが、それ程今作品に於ける読み解き方は千差万別であろう。ストレートに観れば、
“メディアスクラム”による加害者家族への容赦ない仕打ち、裏切りと復讐と或る意味返り討ち、それが同性愛故など、テーマの要素は事欠かない。それなりに巧く構成に散りばめられ、フックとして展開を彩っている。主役の女優の年相応の筋張って老化に差掛かる裸体も又、作品にヒリヒリと疼くイメージ保持を持たせる重要なショットである。但し、大事な事は復讐劇としてのどんでん返し的なノン=カタルシス系という決着には落とさないエンディングであろう。一般的には好き嫌いがハッキリしてしまう、否、寧ろ拒絶反応が強い映画だと思うのだが、複雑な心の咆吼をクラクションに替える、はたまた、被害者の姉の主人公に対する独占欲故の裏切りを理解して欲しい叫びとしての呼び鈴の執拗なプッシュとの対としての演出に、そう簡単に観客には読み解かせないメッセージと、純粋でシンプルな葛藤の吐露を表現せしめた高品質なヒューマンドラマを体験できたことが、戸惑いをも飲み込む情の罪深さを同時に惹き込んでしまうことに気付かない人が多いのかも知れない。シンプルな構図と複雑な幾何学、白に黒線で境界を引くが、しかしそれぞれのキューブは大きさも色も違う。矛盾した心を抱え続けるのも又人間が与えられた能力なのであろう。轢き殺せば良かったのか、それとも自分への愛故の仕打ちだった事への赦しなのか、その原罪を受け止める力は観客にはあるのか、正に“試練”な作品である。