「「断絶的」な人生の視覚的記号」よこがお レインオさんの映画レビュー(感想・評価)
「断絶的」な人生の視覚的記号
予備知識一切なしでの鑑賞、前半は何がどうなってるのか、全く追いついていけなかった状態だったので、その分、ミステリーだらけ。
なぜ同じ顔をする女主人公(もう一人も主人公とも呼べるなら....)は違う登場人物のように見えて出てるだろう。
洒落てる女の方はなぜ知らない男と付き合っているだろう。
並行する二つの物語が一見何の関係もなかったようだったが。
きっとそうでもない。
関係ないというわけにはいかない。
その答えを知るたく、興味深い映画形式と共に、謎解きのルーティンを追って行った。
最後洒落てる女の方が真相を教えてくれた。
「復習なのだ」と。
男は彼女を、「市子さん」と呼んだ。
やはり同一人物だーと!
その一瞬で、全ての疑問が矛盾もなく解けた。
全てが繋がってた。
物語の時間軸において監督の見事な叙事トリックを仕掛けたんだ。
そこまで気になったことが全てヒントとなって対照的だった。
二点列挙していこう。
→動物園のシーンに、暖・冷色によって作られた二つの断絶な空間と、それぞれの空間にいた過去の市子と基子・現在の市子と謎の男。
過去の市子は暖色の服を多く着ていたのに対して、男で復讐をしようとする市子の服は基本的に冷たい色になっている。
→夜タクシーの鏡に映った、心配で妹に電話をしている過去の市子と、映画最後のシーンで鏡に映った、ハンドルを握った現在の市子の立場も、全く断絶しているところにある。
特に映画最後のノイズは、市子の心境を示すものだった。彼女は運転席に入り、妹のことの傍観者でなく、事件の主体になったのだ。自分の人生の局面を自分の手で挽回しなければならないが、彼女には、もうその狂った精神で崩壊していく。
全ての断絶的なものの接点になったのは、過去の市子と謎の男・実際には基子の彼氏との出会い。
あの夜の出会いが、その幾つかの断絶的な空間・事物を繋げていく。それこそが復讐のはじまりであり、狂った歯車が走りだした瞬間だった。
一方、根本的な原因を探ると、その瞬間は、基子の中に生じた異変から由来するものだ。基子の市子に対する好意は映画の冒頭からはっきりと観客に伝わってくる。それはきわめて安定的なものでだった。しかし、その安定的なものが、基子の市子に対する告発で崩れた。
並行する二つの物語は一つになった。ほんの少しの当事者の心乱れによって、何もかも一変した。
監督は解釈をしてなかった。ただ視覚的な記号を巧みに並べた。
後は観客の主体性に任せるーーー
細かく見ればみるほど、「過去」と「現在」が断絶的かつ連結的に見える。
人の心が、そうした断絶と連結を生んでいるのだ。また断絶的なように見えるものも、実際には必ず何かの糸で繋がっている。人の心は、複雑で、予測不可能なものだが、この映画を観たら、何となく、自分の感情に責任を取らなければと思った。そうすると、きっと誰かが救われ、自分も救われると思った。