おいしい家族のレビュー・感想・評価
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海や空のように、どこまでも気持ちのよい映画。
どこまでも続く海や空のように、どこまでも気持ちのよい映画。 たまたま見た予告編に、とにかくびっくりした。ワンピースをさらりと着こなした松尾創路さん。お父さんがお母さんになる?!一体どんなバタバタが繰り広げられるのか…と思いながら本編を観た。 ところが。慌てふためくのは主人公・橙花だけで、本人はもちろん、家族も職場(父・青治は学校の校長先生)も、うるさ方の定番・親戚さえも、お母さんになった彼をあっさりと受け入れている。スカート姿で校門に立って爽やかに生徒にあいさつし、法事も黒のワンピース。周りの受け止めようで、どんなことも至極当たり前になるのだなあ…と、こちらもじわじわと解き放たれ、橙花と一緒に、島の生活に浸っていく。 そんな中、日々の生活に居心地悪さを抱えている存在が明らかになる。青治宅の居候・和生の連れ子ダリアのクラスメート、瀧。瀧の葛藤は、青治や和生、ダリアのものとは違うし、橙花のとも少し違う。けれども、それぞれに色々あるよね…ということを、本作は、鮮やかに、かわいく、さりげなく伝えてくれる。どこまでも、黒い感情はなく、やさしさやあたたかさがいっぱい。それが少しも嘘くさくない。そこがすごい、と今改めて思う。(ちなみに、一緒に観た3歳は途中で眠りこけ、8歳は「お腹すいたー」とつぶやいた。映画の世界をごく当たり前のものと受け入れられる子どもでよかったなーと思い、これからもそうあってほしいと願った。) と、あれこれ、設定や筋書きについて書き連ねたが、映画の持ち味を生かした表現の豊かさにもふれておきたい。テレビドラマでは、ここまで説得力ある物語にはならなかっただろう。唯一無二の世界に引き込む、カラフルでリズミカルな画面切替と分割、音楽と一体化した物語の運び。私と上の子のお気に入りは、画面を横いっぱいに使った、真夜中のでんぐり返し。至福のラスト、結婚式に重なるところがニクい。もう一つ、ニヤリとさせられた「おまけ」のチョイスは、子には?だったらしく…コーヒーが飲める歳までお預けか。 悩める十代になった頃、2人にまたこの映画を観てほしいと思う。
これから楽しみな才能
20代のふくだももこ監督はとても才能豊かな人だと思う。この映画の豊かな詩情とユーモアがそれを証明している。人間関係に対する感性が自由で新しい。父は母が亡くなった後、女装をするようになる。しかし、父にトランスジェンダー願望はない。男性と再婚するが、同性者というわけでもない。異性愛、同性愛、女装癖、トランスジェンダー、どこにも属さないような浮遊感のある存在として父が描かれている。そんな父は役割のとしての妻を引き受けている。妻や主婦という概念をジェンダーでなく役割と捉え直しているのが面白い。LGBTという言葉が定着したが、定着したことによってそこには新しい固定観念が生まれた。クィアは元々性的少数者を指す言葉だが、概念的には「規範から外れる」という意味合いだったのではないか。その意味で本作は新しい規範からもクィア的に立ち振舞い、自由であろうとしているように感じられた。これからが楽しみな監督だ。
短編映画から長編映画化の幸福な成功例
板尾創路が同じ父親役を演じたふくだももこ監督の短編「父の結婚」が、商業映画の製作体制を得て日活配給で実現したのが本作。元の短編も配信サイトで視聴したが、板尾は本作と変わらぬ役作りで中性感を醸し出し、ソニンのふてくされた雰囲気もいい。冨永昌敬監督作で撮影を多数務めた月永雄太が、流れるようなカメラワークで作品の洗練に貢献している。 さて、長編化にあたり大筋は変わらないが、舞台を離島に変更したのが大きなポイント。現実の常識や偏見とはかけ離れた、多様性を優しく受け入れる理想のコミュニティーにぴったりの、美しい海に囲まれたロケーションが活きた。モトーラ世理奈と三河悠冴が演じる若者2人のエピソードも新たに追加され、2人に関わることで主人公の心情の変化に説得力が増した。原作の魅力の肝をきちんと残しつつ、追加した要素でテーマをより効果的に伝える。長編化の理想的な成功例だと感じた。
なんでもない風景
主人公の女性は、結婚生活が上手くいかないで悩んでいた。
夫婦というのは、これであるという理想の中で自分が現実というものに向き合ってみるとお互いに違うという事が明確に現れるからそれに対して避けていたのかなと感じた。
そんな中、母の3回忌という事でそれまでほとんど帰る事の無かった実家に帰省する事になる。
そこでは、なぜか父親が母親の格好をしていて、しかも連れ子の男性と結婚をすると言いだす。
そんなカオス的な状況に飲み込めないでいる。
板尾創路さんが演じる母親(父親)がシュールであり、なんとも言えない温かさをかんじました。
なぜ、そんな格好をして母親になると決めたのか?
なぜ、子連れの男性と結婚する事になったのか?
物語が進むにつれてそういう事か分かってスッキリした気持ちになれました。
誰かのなりたいものに憧れを抱いて苦しんでいてもつらいとけども、
この物語の中で描かれているような人達の中でいる事が出来れば、幸せかもしれない。
現実は、そんな簡単ものでは無いけど、
どこにもない。どこかそんな家族が実際にいたら面白いなと思いました。
どの役者さんの演技もとても素晴らしく良かったです。
おもしろい
家族。コミカルな家族 と言う感じかな。 色々と設定展開がマンガチックだったが 観ているうちに得られる感想は割と文章チックになる 作品だった。 まるでもう少し登場人物を密に演出させた バカボンの映画のような設定に知らず知らずのうちに ハマっちゃったよ◎ まぁ、悪くない視聴後感。ナイスムービー📽
ロケ地が新島だった
なんで、東京の言葉喋っているのか?それが気になった。
ロケ地が綺麗なので、調べたら、新島だった。
こんな良い所、東京にあるなんて、それだけで良い映画だと思う。
ダリア役の女の子とスリランカ人が当たり。
崔洋一監督や森田芳光監督の影響があると思う。
『月がどっちにに出ている』と『家族ゲーム』でしょ。
人間は見た目ではないのは言うまでもないが、おはぎは嫌いだし、ハイヒールと化粧も好きにはなれない。でも、好きな人もいるだろう。因みにきんつばは大好きである。
キックトックとショートコントが合わさった様な映画。
追伸 都立高校は女性がスカートをはかなければならない高校がたくさんある。それをなくしてからの話だと思う。
性的マイノリティーではなくとも、僕の姪っ子はスカートが嫌だったそうである。僕はスカートを履きたいと思った事はないが、制服が嫌いだった。爪入りが大嫌いだった。就職してからはネクタイが嫌いで、ネクタイのいらない職場のに配属を希望した。
女性は家事をするものと言った価値観をこの映画は押し付けていると感じた。大変に残念である。
文字通り短編を薄く引き伸ばした感じ!!
前半は中々入り込めず、後半だけで良いように感じました。松本穂香さんはいつも違うキャラクターで登場するので楽しみです。ダリアと瀧が印象的でした。
男とか女とかそんなのどっちでもいい。
男とか女とかそんなのどっちでもいい。 美しい離島の景色が、ぶっとんでるのが普通に思えるくらい中和してくれる。 別にいいじゃん。もっと人間は人に対して寛容になったほうがいいよね。 堂々たる主演の松本穂香さん、好演でした。
青い
(このレビューには偏見や憶測があり、公正ではありません) 若書きというものがある。 きょうび、なろう系とも言う。 この国、映画では、なろう系でも、世に出られる。 これは皮肉というより、アーティストで生きたい人向けの朗報です。 映画なら交遊パイプと強い心臓さえあれば生けます──という話。 日本の映像作品で、多様性=ダイバーシティを表現するばあい、その傍らにかならずIKKOみたいな感じの「ゲイアイコン」と、白人or黒人or希少性の高い国籍の「外国人アイコン」を置くのが定石。 業界にはいろいろな人がいる=多様である──それゆえ主人公まわりに、外国人や同性愛者をちりばめるのが、映画・ドラマの常套手段になっている。わけ。 とうぜんながら、これは監督ご自身の箔をつける意図も備えている。 彼or彼女は、作品をつうじて、グローバルでございますと言いたい。という話。 なぜこれが、業界人の常套手段になっちゃっているのかといえば、日本には事実上多様性=ダイバーシティがないから。 わたしは地方に住んでいるので、職場に外国人がいなければ、外国人にまみえるのは、コンビニのレジくらいしかない。 いや、げんじつには日本には多数の外国人が学んだり働いたりしているが、じっさいわたし/あなたと交流している外国人はいますか? そもそもわたし/あなたはエーゴが話せますか? 一概には言えないが、この国にいる外国人は一時滞在者の割合が大きく、日本人とは親睦せず、コミュニティをつくってまとまっている。 LGBTならば風潮としてそれを明かさない。 基本的に、日本は、アメリカの映画にあるような外国人あるいはLGBTとの、日常的な混交がない国です。 いいもわるいもなく、それは情勢であり民族性であり態度です。 人種のるつぼ=さまざまな国籍のひとたちが同列に暮らしている国とは違う。比較にならない。比較する必要もない。 ところが、日本のクリエイターは、じぶんが井の中の蛙であることを、認めたがらない。それどころか、ウソであっても「めちゃめちゃ色んな人とつきあってきたし、色んなけいけんだってしてきたんだぞ」と言いたい。その稚気があらわれるのがザ日本映画。 基本的に、平和な国で、平凡に生きてきたことを、認めないぞと決意した(平凡な)人々が集まってくる業界。だと思う。 わたしは何十年もの長きにわたって、そのテのなろう系な、青くさい若書きを「日本映画に新しい才能あらわる」という鳴り物入りの見出しにおいて、見せられてきた──わけである。と言い続けて30年である。 「新しい才能」と称され、生き残った者はいただろうか。70年経っても、日本映画と言えば黒澤と小津──である。 父親役俳優は不倫もあったが、わいせつで文春砲もあった人。それはいいとして、画として、キモカワイイ感じの「ほのぼの」を申し立てている気配だったが、ふつうにきもちわるかった。俳優さんにはなんの罪もないが浜野謙太くんと女装した板尾創路のカップルに癒やされますか? サムザナ役にスリランカ人のモデルを使い、国籍不明なダリア役にモトーラ世理奈を使っている。まずは常套。モトーラ世理奈はキャスティングするだけでセンスがいいという(実体のない)下馬評がついてしまう役得なたんなる素人。 監督は21世紀の女の子(2019)というオムニバス映画の参加者でもあるが、センスは昭和。21世紀の女の子に描かれていたのはいずれもブルセラ時代の少女、あるいは積み木くずしの高部知子、おさな妻の関根恵子、桃尻娘の竹田かほり、ピンクのカーテンの美保純・・・あたりだった。 ゆえにタイトルはアナクロニズムの女の子とつけるべきだったが、21世紀の女の子とは、笑いを取りに行ったわけじゃない。そこで10分未満の若書きを披露した15人の新進女性映画監督はかんぜんな真剣度で21世紀を標榜していた。 要するに、誰もがいっさい自分に気づいていないという話。他者の映画も、観衆もいない、誰もいないパラレルワールドで映画をつくっている人たち。のひとり。 都市や仕事や婚活に疲れて帰郷してみたら、父親が女装して母になっていたことに加え、シュアハウス風の家庭内が、和気あいあいとした雰囲気で、癒やされたという、手垢まみれの異種間交情の映画。 が、げんじつに女性の心をもった里親との実体験がないならば、茶番だと思います。彼らが本気で編むときは、と同じ、エセLGBT映画です。 なぜなら監督はクリエイティブスタンスで映画をつくっているから。仕事(プロダクトなスタンス)で映画をつくっているなら、設定はアイデアに過ぎません。でもこれが、ご自身の来歴とないまぜになった、一種の自伝風創作ならば、多様な人々との混交の設定は、背伸びになってしまう。とわたしは思います。 ──もし、里親が、女装癖をもっていなかったのなら、冒頭で述べたように「ゲイアイコン」や「外国人アイコン」を置いただけのネタ映画です。 試写会の様子がYouTube動画にあって、監督が製作由来の談話を語っています。話しているうちに感極まって泣き出します。お察知のとおり、若い女性が泣けば映画評価に甘露があります。じぶんがつくった映画にじぶんが感動してしまうのはプペルとザ日本映画だけです。 博愛的空気感によって、辛辣な批評を回避する、わたしがもっともきらいな種類のザ日本映画。反吐が出る。0点。
どういうことなのか
とにかく板尾創路さんが女装をしているので、観てみました。 あと、CMでよくお見かけする松本穂香さんもご出演されているので、 どんな演技をされる方なのかしらと思って観た次第。 板尾さんはそんなに違和感ないような気もして、これも愛のカタチなのかと学びました。 食事が美味しそう。
田舎での視線と多様性の間で。
東京のデパートの化粧品コーナーで働く燈花はダンナとは別居中。
燈花が離島に母親の3回忌で帰省すると・・・。
父が女装していて、娘がいる和生と結婚宣言をする。
息子の翠はスリランカ人と結婚。
和生の娘ダリアの男友だちは女装願望がある。
みんなそれを不自然とも思わずに淡々とカオスな実家の帰省生活が始まる。
なかなか受け入れられない燈花は周りにずっと反発しているが、それがある意味自然な反応である。え、カオスな状況平気なの?という一番ノーマルな女の子であるが、徐々に受け入れていく。というか受け入れざるを得ないとも言ったらいいのか。
受け入れるというのは、特別扱いするのではなく、そこに自然な振る舞いができる状態で、空気のように程よく放置しておくくらいではないだろうか。
板尾創路は女装するとコントにしか見えない。コミカルとB級のすれすれの作品になっている。
リアリティが無い
同性愛物ってなんで女性側が差別する側として描かれるんでしょうか?現実には同性愛者を差別する男性なんて沢山いるのに……。淫◯ネタで盛り上がるオタクとか、オカマキャラ出して馬鹿にする漫画家とか、ホモをネタにして面白がる芸人とか……。 同性愛物は題材としては面白いんですが……仮想敵役が女性ばかりでいい加減ウンザリする(彼らが本気で編むときは、の時もそんな感じでしたよね)。「男性は同性愛者を分かってあげられる優しい人格者ですよ~」とでも言いたいのかな?そこに性差は無いと思うんですが。 たまにはネットでホモ動画を見て面白がるオタクとか、オカマキャラを出して馬鹿にする漫画家とかも敵として出してくださいよ。 日本のLGBT創作がイマイチ受けないのは女性を差別するからだと思う。プリキュアの時もそれで叩かれましたよね? 男性性は差別をしない精神性の高い生き物、女性性は何でもすぐ差別する精神性の低い生き物、みたいな描き方にはウンザリです。差別者キャラはちゃんと男女平等に出してください。
妻のおはぎの味を求めて
きっかけは大して好きでもなかった妻のおはぎの味を求めて始めた事が、思いもしない事になった。 本人が幸せなのが何より一番大事。 他人がどう思おうが、当の本人が幸せなら胸を張って生きていこう。
不思議な感覚
この映画はLGBTとかを表現している映画ではなく、家族のあり方そのものを表現していると感じた。 家族という狭い世界にも、それぞれが思うこと、考えることは様々だが、そこを理解出来るのが家族なのだと。 美味しい、というタイトルには疑問が残る。
今、観てほしいおいしい映画。
ふくだももこ監督は、最新作にも松本穂香さんを主演に迎えています。 朝ドラの「ひよっこ」のメガネっ子役の松本さんを観て、彼女を見つけたと語っていたのが印象的です。 そのひよっこでの役柄とは全く違うヒロインなのだけど、 銀座でキャリアウーマンのヒロインが、 久しぶりの故郷の島に戻ると、、、。 俳優さんとしても大好きな、 板尾創路さんがお父さん役であるのが、 松本穂香さんと共に、映画の中で起こる驚きに、自然と入っていける映画になっていると思います。 ふとした台詞、島の人々、常に笑いのある、食べるシーンが美味しそう、「家族」、 監督の温かい人への眼差しを感じる、 今、観てほしいおいしい映画です。
衝動ということについて考えてみた
この映画での女装は、ゲイとかそういうことではなく、失った人に同化して失った心の均衡を保つために、その人が身につけていた服を着たり生活を模倣して心を平穏にするということでしょうね、それがたまたま校長先生だった、と。 人間は、心のバランスがとれなくなった時、逃避、爆発、様々な、いつもと違う行動をとることがあります。 その内の選択肢として、死ぬ、ということが、短絡的に出てくることがあります。 環境にもよりますが、どうしても選択した結果が、そうだろうなということもありますが、避けることができるケースも多いと思います。 身近で、そんなこともあり、自分でも企画したこともあるが、そんな、いったん立ち止まって考えたら避けることはできた、そんな風に考える機会になった映画でした。 あんまり映画と密着した感想で無くてすいません。 この映画でおいしいのは、すき焼きとそーめん、でした、それだけ。 松本穂香の存在については、特に可も無く不可も無く、でした。
難しいことは考えないで
難しいことは考えないで、これはどこかの家族の話。
色んな事に理由なんていらない。
LGBTとか人生とか、難しいことを探し出そうとし無いで、これは普通のどこかの家族の話。
はァ? 娘絶句~
冒頭の「戸惑い感」とか「置いてかれ感」とか(笑) マイノリティとマジョリティが突然入れ替わったら・・こんな世界なのかもしれんね。 しかしそんな冒険的導入でもなんとか拒絶せずに、ともあれ物語に入っていけたのは、あのゆっくり噛み含めるように話す父親像のおかげかもしれない。 監督は、この映画で「理想郷」を描くチャレンジをしたかったのだなと思う。 でもこの物語の受け取られ方はもっと様々だろう。 各シーンで、観る者各人、琴線に触れるホットスポットを持っているんだと思う。 ・連れ合いを亡くした夫の、悲しみの錯乱 ・いなくなった母親の役割もなんとかして子供たちのために背負おうとした一人二役の父親の奮闘 ・自らを見失い揺れ動く、突っ込み所満載の父親だが、妻ロスから立ち直っていく彼個人の人生 この映画、頑張ってる一人親に観てもらったら、すごく励まされるんじゃないだろうか。 そこ一番強く思った。
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