「時間の映像化」サタンタンゴ Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
時間の映像化
原作は知らない。
結局、イリミアーシュが官憲から命じられた“ミッション”は、今一つ分からなかった。ただ、もともとストーリーなど、どうでもいい映画のようだから、気にする必要はないのかもしれない。
しかし、イリミアーシュの“実写化”という点では、明らかな失敗ではないかと思った。「サタン」とか、公式サイトに書かれているような、村人が恐れ敬うようなカリスマ的影響力をもつ存在には、とても見えない。
驚異的な「長回し」という。
しかし、長回しと言う時は、まとまった意味を持つシーケンスを、切れ目なく映し取るカメラワークのことだろう。細切れにタイミングやカメラ位置を変えずに、あたかも実生活のように、時間と視点の流れを体験する。
しかし、この映画のように、意味ある事象と無意味な事象が無差別に混在し、シーケンスそのものが存在しない時、長回しとは何なのか?
結局、タル・ベーラは、“時間そのもの”の映像化をやりたかったのかな、と思うしかなかった。
そのために、一つのシーンを、どうでもいい瑣事まで含めて、“実際に要する時間の長さ”で描く。観客自身とは無関係に流れる“他者の時間”を、映画館の椅子に縛り付けて体験させる。
そう言うと、単なる“垂れ流し”に聞こえるが、実際そうなのだから仕方がない。
自然ドキュメンタリー系作品のように、映像美があるならば垂れ流しで良いのだが、映像美などは監督自身が、意識的に拒否しているように思われる。雨と泥の世界、送風機を使っていることが見え見えの映像、がらんどうとした薄汚い室内。
「映画」とは、単なる録画映像の再生ではなく、現実の“凝縮”された芸術的再構成であるとするならば、本作品は半分「映画」ではない。
通常、自分は映画を見る時は、最低限の事前情報しか入れない。見終わった後に、いろんなレビューや公式サイトを覗くのが楽しみだ。
だが、本作品については、ネットで事前に調べて(特に、英語版のWikipediaはありがたかった)、筋書きを頭に入れておいて正解だった。そうでなければ、休憩を含めて8時間超の作品を見通すことなどできなかっただろうし、シーンの重複にも気づかなかったかもしれない。
4度ほど、5分程度の心地よい眠りに襲われたが、筋書きを知っていたので、全く問題にならなかった。