劇場公開日 2019年6月7日

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「主人公の善意にほっとする良作」町田くんの世界 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0主人公の善意にほっとする良作

2019年6月14日
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鑑賞方法:映画館

笑える

幸せ

 ふたつのテーマが同時進行する。ひとつは高校生の恋愛事情である。主人公の町田くん以外は今どきの高校生らしく性知識もあり、同級生を演じた前田敦子の台詞のように、マンガや恋愛ドラマのパターンで他人の恋愛を分析しようとする。恋愛は相手と一緒にいたい、触れ合いたいという気持ちのことで、つまりは性欲である。しかしそれだけではない。性の一致は勿論互いの相性という点で大きな要素ではあるが、どんなに相性がよくてもしばらくすると飽きる。子供が常に新しい玩具を欲しがるのと一緒である。別に恋愛が長続きすることがいいという訳ではない。ただ性の充足以外にも恋愛の喜びはある。同じ価値観の共有であったり感性の一致であったり、そういったことが二人により大きな幸福をもたらす。そしてこのあたりまでは、どうやら高校生たちもなんとなく理解しているようである。
 しかし町田くんはそんな段階を飛び越えて更に上を行く。それは人を憎むことを知らない博愛の精神である。生まれてこのかた好き嫌いなど無関係に生きてきた。町田くんの世界には敵も味方も存在しない。先日観た映画「幸福なラザロ」とそっくりで、ただ人が喜ぶことが自分の喜びであるという珍しい承認欲求の持ち主だ。欲望から出発した恋愛観を持つ高校生たちが町田くんの前では軒並み自分が駄目な人間に思えるのは当然である。そしてこのことはもうひとつのテーマにも繋がっていく。
 そのもうひとつのテーマというのが池松壮亮や佐藤浩市の台詞に表れるペシミズムやニヒリズムである。世の中は悪意に満ちているという実感のこもった池松壮亮演じる雑誌記者の文章は誰もが頷くところである。しかしその考えを根底から覆す存在が、すなわち町田くんなのだ。必然的に雑誌記者は町田くんのことが気になって仕方がない。人の悪意をものともしない、その圧倒的な善意は一体どこから来るのだろう。
 一方町田くんは、初めて感じたオスとしての本能というか、つまり恋愛感情に戸惑う。日頃の聖人のような姿とのギャップが笑える。誰も傷つかない笑いであり、製作者の喜劇づくりの技量を感じるところだ。
 ラストにかけて荒唐無稽なシーンが連続するが、コメディであることを考えれば、これもまたありかと思う。無垢で純真な善意が周囲を幸福にするというお伽噺ではあるが、こういう話があってもいいと思う。主人公の善意にほっとする良作である。

耶馬英彦