ハウス・ジャック・ビルトのレビュー・感想・評価
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これは駄目だ。ただの露悪。
巨漢アイドル崩れとユマサーマンの会話、
アナログな既成曲、
生来の殺人者という既視の材料を盛り直して
今更タランティーノに挑むも、
ただ露悪的で変に観念的なだけの面白くはない仕上りに。
マットディロンのお茶目は見たいが、これではないな。これは駄目だ。
サイコパスのリアル
怖いものみたさで観てみた。
現実ではあり得ない非日常を映像化させて、それに没入できるのが映画の素晴らしい所。
この映画の場合は終始不穏な空気が流れてて観る者を精神的に追い込んでくるかの様な恐怖を持っている。
最初は「ん?退屈かも」と思ってしまったが気づけば次の殺人方法、殺しのタイミングにハラハラドキドキしている。
ピークは3~4ケース目。
その後は失速ぎみ。
徹頭徹尾恐怖を味わいたかったかな。
それでも観終わった後は「やっと終わった」と思ってしまう非日常世界から解放された安心感は凄かった。
グロ耐性のない人が観たらトラウマになってしまう表現てんこ盛りなので要注意。
話の通じない人の怖さ
この人は何を言ってるんだ?と不安になる異常者の心理が描かれている。
「人を殺してはいけない」
何故?
何故?!
本能的に同族殺しはご法度だと知っている。
ところが、今作では「死」こそ人間の枠を超えた永遠であり、肉体は「死」を味わうことで完成する。
完璧な永遠を享受する儀式のように、繰り返される殺人。
12年もの間、取りつかれたように「死」から逃れるように永遠を切り取り続けるジャック。
次第に自分の芸術性を理路整然と語り出す。
それが何とも気持ち悪い。
だって、理解しようがない。
人を殺したことがないので。
他人の死を通して、自分の生を意識できるなんて。
でも、考えてみれば映画のジャンルにホラーやスプラッターやサスペンスがあって、その中では他人の死が描かれる。
当たり前のように死を目の当たりにしている。
ただ、それらの作品を観たからと言って、死ぬのは当たり前。
誰かに殺されるのは当たり前だと自覚することはない。
今作の恐ろしいところは、当たり前に起きることを当たり前に描くところだ。
殺人と言う自分にも起こりうる恐ろしいことが他人の故意で身近に迫る恐怖。
しかも、嬉々としてやってくるのだからたまったもんじゃない。
当たり前に人は死ぬ。
誰かの、何かの要因で。
「死」に意味をもたせることも普通にしていることだ。
「死」を乗り越える、「死」を受け入れるために意味を持たせて納得する。
死ぬことは仕方のないことだと。
当たり前の観点がぐるっと歪んで解釈されるから、一見ジャックの芸術論とやらに感銘を受けそうにならないけど、物事を見る角度を歪めてしまえば価値観や倫理観は千差万別。
おかしい、気持ち悪い、怖いを共有できるけらルールが作れるのであって。
共有できるものがまるでない人間とはルール以前に仲良くできない。
観る人を選ぶ映画です。
感化されやすい人、スプラッターや残酷描写が苦手な方は感情を避けた方が良いです。
建てられなかった家
正月からアマゾンプライムでトリアーを発見。なんとなく覚えていた邦題からはイメージできていなかったが、直訳すれば「ジャックが建てた家」だ。結論としてジャックは建築家としてまともな家は建てられなかった。それはあまりにも場当たり的な連続殺人をそのまま投影しているようだった。12年の間にあれこれ工夫を凝らし求め続けるが統一感がない。シリアルキラーの物語にありがちな一つのこだわりがない。乳房の財布は面白いと思ってしまったが、苦笑するしかないひたすらに無茶苦茶な着想。でもこれが心弱っている今の自分の身に染みた。まるで私だと。
そのただの無茶苦茶な物語がただそれだけでなくなるのは冒頭から時折挟まれる「対話」だ。最終章で冷凍庫の奥の扉を開け、その声の主に「材料」を気づかされてからのクライマックスは宗教画の荘厳さで、まるで別の映画だった。ニンフォマニアックも同様だったが、クラシックで荘厳な額縁に現代風の下卑た風刺絵を飾るが如くの構成がトリアーなのだろうと思った。
中毒性があり笑ってしまう危険なエイガ
カンヌ国際映画祭で上映時に退場者続出&スタンディング・オベーション。
アメリカでは内容が過激すぎて編集、修正を行い上映された作品。日本ではなんと無修正ノーカットで公開されました。
そしてそれが最近アマプラに来るという衝撃。
ずっと気になってはいたけど躊躇していましたが、これを気に鑑賞しました。
しかも2020年の見納め映画。
引かれると思うけどこれが私の映画癖です。(サイコパス診断では普通の人だったから安心して)
はい。
エーット、とっても危険な映画でした。
ただ単に殺人をするだけじゃなくて殺人を芸術として肯定しており観客の感覚を狂わせる。噂以上の視覚的なグロは無かったけど、妙にリアルだし胸糞悪い殺人ばっかり(狩りの章は問題になりかねない)だから内面からジワジワくるグロさというような感じ。
なんだけどなんでか知らないが、ジャックの殺人の過程を面白いと感じてしまう自分がいる。ヤバいよォ…危ないよォ…
なんか結構楽しい映画だったりするんだよな〜
特にエピローグとかもう訳分からんし何じゃこれ!と意外とコメディ色強め。
「財布は頭おかしい」
「やっぱそれで"可愛い家"作っちゃうか〜」
「あっ今それ持ってくるのね。てか終わりかよ!」
とかツッコみながら笑えた。
案外お茶目な映画です。
いやでもやっぱりラース・フォン・トリアー凄いな。
ブレが際立つドキュメンタリー調なカメラワークとか構成が上手すぎる。
特に編集は群を抜いてる。
トリアー監督は色々と問題児だけど、好きなんだよな…
最後の最後にでてくる「この映画で狩られたり傷つけられた動物はいません」って表示で、笑うと同時に安心した。かなりリアルだったからね。
出ていけジャック2度と戻ってくるな〜♪
ラストの「あの家」の形には残念ながら納得…。。。
ただただ「人間」という生き物誰しもが持ちうる残虐性を描いていた。…わけではなかった。
人を殺すことでしか生きられないシリアルキラー「ミスター洗練」ことジャック。
人を殺すのは自分のせいではなく、「芸術性」や「「ドイツ軍で処刑用弾丸不足のアイデアに敬意を表して…」と、“自分ではない別の理由”があるから人を殺す、ということにする。「自分はマトモ」いうことにして、喜怒哀楽の感情を鏡の前で練習したり、社会との接点を常に持とうとする。
男性より女性を殺すのは女性の方が「協力的だから」というが、単に抵抗にあいづらいというだけで、力が弱い女性をターゲットにしてるだけ。ジャックの幼少のシーンでは、ひよこの足を躊躇なく切る様子からも、ただの弱いものいじめに過ぎない。
「こうしたい」と思ったらその欲求を抑えられない。人によってはそれが飲酒だったりタバコだったりする中で、ジャックは「人殺し」を止められない。幾多の感情で構成される人間の心の中で「残虐性」が極端に育ってしまった「人間」という生き物、名前は、ジャック。
生まれながらかトラウマがきっかけか詳細は描かれないが、ジャックがなぜそうなっているかは「理由」はない。人間がそうなってしまうのに「理由がないこともある」とでも言いたいかのように。
ところどころ十字架が写ったりするのは、キリスト教に疑問を投げかけているのか、最後のシーンでも赤=キリストの色に包まれたジャックが地獄に落ちていくのは、皮肉っぽくも感じた。
劇中の「家」は、「人間性」を表しているのかもしれない。
最後まで家が完成しなかったのは、人間としてどう生きるかという完成形が見えてこなかったから最後まで完成しなかった。人間性を建築(構築)することができなかった。
終盤、冷凍室にある死体で家を造ったのは、『今あるジャックの材料(心、感情)で、人間性(家)を構築』した。建築家への憧れは、「つくる」ことへの構築への憧れ。「壊すこと」でしか自分を律せないジャックは、人間を壊し続けることに『自分』を見出す。
壊すことで自分を構築する矛盾から生まれた「建築家」という概念は、物語に深みを出している。ただ、最悪で胸糞悪い殺人鬼の話と描写なので、視ていて気持ちのいいものでは決してない。
ジャックのもう一つの人格「ヴァ―ジ」は、自分(ジャック自身)を客観視する役割。心にブレーキをかける存在でもない、ただ客観視するだけの存在。その風体は、疲れ切った老人のよう。これまでジャックの行為にブレーキを踏んできたがそれでも言う事を聞かず、果てには見ることしかできなくなったような、疲れ切った老人に見えた。
もしくは、シンプルに地獄への案内人。
家族を持とうとしてうまくいかず母子ともども撃ち殺したり、恋をしようとしてうまくいかず恋人を殺したり、親友だといっておきながら結局うまくいかず殺したり、関係性を建築(構築)しようとしても、家を壊すシーンのように、関係性が出来上がる前に壊す=「殺す」してしまう。
建築家になれなかった、家を建てられなかった、社会一般の人間になれなかった、人間性を構築できなかった。
ラスト、スタッフロールの音楽を明るくしたのも気味が悪い。その残虐性も徹底している。
狂気の進歩
ラースファントリアー監督は「ダンサーインザダーク」と「ドックヴィル」を鑑賞済みで、その映画たちに度肝を抜かれておりました。
心の奥底の闇の部分に焦点を当ててくれる映画監督さんという認識です。
その闇の底になぜか快感ともいえるような感情がある自分に嫌になりながらも目が離せない。
僕の鑑賞済みの映画はそんな感じでした。
あれからかなり時間が経ち、久しぶりにラースファントリアー監督の作品を鑑賞させていただきましたが、恐ろしいほどに狂気が進歩しており、僕は少し置いていかれたようです。
今回の映画は僕には残念ながらハマらなかったですが、まだ未鑑賞の監督の作品ともしまだ制作してくれるのであれば、次回作にも期待したいです。
マットディロンさんは最高でした!
期待してたほどではなかった
ゲーテのファウストとかダンテの新曲をラースさんがレビュー、解釈したみたいな作品。この辺の文学を知ってると、本作品の理解が深まる気がします。併せて鑑賞オススメします。ただし、ジャックは精神疾患を併せ持つ快楽殺人者なので、この辺の知識もあればなお楽しめます。
クソ暑い日には殺人鬼映画で爽やかに
なるわけあるかい!
分量を間違えるとダメージが大きいトリアー摂取でしたが、ポンポンいたくなったが途中で麻痺した。それでも一回挫折したり休み休みで何とか観終わることができた。何この新手の修行。
死体で遊び出したあたりから雲行きあやしくなってきてたが、親子パートとかひどい。終わりまでひどい。そして女心を弄ぶライリー・キーオパートがかわいそ過ぎる。地獄へ落ちろ〜!
絵画パロディがやりたかっただけではないんでしょうね。
あ、落ちた。
追いつけません…
もう、ラース・フォン・トリアー先生は、
好きにやってもらえば良いのです。
そこに、ついていくか否かは観客側で決めればいいかと思います。
いやぁ~、
共感できる要素がひとつもない主人公でした。
最初のおしゃべりなユマサーマンには少しだけイラっとしたけど、
後の被害者たちは、もうゲームの的(まと)。
理解できないからサイコパスなんでしょうけど…。
アートのような死体の家も、どう感じたらいいのか気持ちが追い付きません。
ただ、これを作品として世に出す先生の強さに畏怖の念を抱きます。
ビスコの笑顔
グロテスクなんだけどあの昔のビスコ坊やみたいな笑った子どもの遺体、可笑しかった。時々挟まれるブルーノガンツとの対話も面白かった。えげつない、でもここ数作のトリアー作品の中で一番楽しかったです。
観ているこちらも狂いだすサイコパス劇薬映画
ある建築家を目指す男の殺人の告白が対話形式で進んでいく、劇薬映画。
主人公ジャックは所謂サイコパスの殺人鬼。
最初から最後まで、彼なりの家を造ろうとする中で、殺人を繰り返していきます。
被害者たちは皆、少々不用心な気がしますが、ジャックは出会った人を容赦なく殺し、巨大冷凍庫に保存。
彼の殺人人生を5つの出来事に分けて、話が進みます。
とにかく不思議な映画体験をしたという感じですね。
ジャックがただただサイコパスなので、死体を並べて写真を撮ったり、乳房を切り取って財布にしたり、家族を撃ち殺したり、全く共感できませんでしたが、受け付けない感じではなく、どんどん観ているこちら側が深みにはまっていきました。
途中途中で、ヴァージとの雑談に合わせて組み込まれる映像も強く印象に残ります。
中でも、何度も使用されていたカナダ人ピアニスト、グレン・グールドの演奏はなんとも不思議な感じでした。
ジャックの夢は自分なりの家を造ること。
何度考えても思い通りにいかず、結論(?)としてあの死体の家になったというのは、ここまで期待させといて流石だなといった感じです。
全体的に建築のことや哲学的要素、それから最後のエピローグなど、かなり映画としては難解な感じでしたが、ストーリー自体は5つに分かれているということもあり、すんなり入ってきました。
個人的に特に良かったと思ったのは、2つ目の出来事の際に、血痕が気になって何度も何度も家に戻ってしまう(彼の障害の症状なのでしょうか?)けれど、5つ目の出来事ではパトカーのサイレンもそのままで行ってしまうようになったという所(殺人によって障害が軽くなった?)と、楽しいピクニックでの家族狩りですかね。
子供を撃つシーンだけでも辛いですが、母親を最後に殺すというように、動物の狩猟のようにしているところが、何とも衝撃的でした。
エログロ上等、目を背けたくなる映像もありますが、ナイフを先に写してくれたり、殺すまで溜めがあったり、殺すシーン自体はなかったりと、それなりに配慮があるので、そこそこの耐性がついていれば難無く観れると思います。
かなりヤバい映画ですが、僕は気に入りました。
ゾッとするほど、魅力的
まさにそんな感じです。
レビュー
間違いなく人にオススメ出来る映画ではないです…😇
ただ、ここまで非人道的で、倫理感が欠如している映像でも、観ることが出来るものに仕上げるバランスは、さすがトリアー監督の成せる技です✨
みなさん観るときは、自己責任で🙇♂️
何を撮っても問題作となるラース・フォン・トリアー監督
暗闇の中でのジャックとヴァージ(ブルーノ・ガンツ)との対話と有名ピアニストの演奏シーン、デビッド・ボウイの「Fame」が5章立ての犯罪歴を包む。
第1章での山の中で出会ったユマ・サーマンとの事件。これが衝動的な初めての殺人なのだろうけど、車がエンコしたのを助けようとしたジャックに対してあまりにもぶしつけで横柄な罵倒には腹が立つほどでした。俺だったらその場で降ろしちゃいます・・・
それ以降は完全に快楽殺人。被害者への接触の仕方とか警官に対する言い訳だとか、頭の悪そうな無計画さをも浮き彫りにするエピソード。それが運よく天候によって証拠が消えてしまったものだから、シリアルキラーとして確立してしまった。ヴァージが彼に対して否定もせず、セラピストのように聞くだけで、潜んでいる強迫性障害や少年時代からの残虐性を見つけてしまう。
殺人の芸術性まで論ずるようになり、自分が支配者であるかのように振る舞うジャック。ヒトラーやスターリンなどの大量虐殺をも肯定する彼は芸術や医学的価値も見出し、フルメタルジャケット弾で一度に何人殺せるかを試したくなる。そしてヴァージは一体何者なんだという展開で進む、おぞましいストーリー。
エピローグでの地獄のシーンはジャックも探求したい最終目的だったのだろう。悪事を誰もが止められなかった者の末路。冷凍室に〇〇で作り上げた“家”と同様、狂気と堕落のカタバシスなのです。このエピローグが無ければ、単なるシリアル・キラーの恐怖を描いたものになっただろうけど、こうした悪人が世の中にいるんだと思い知らされることになる。不快感いっぱいではあるけど、芸術と“反芸術”を見事に描き切った作品だと思います。
【芸術家シリアルキラーが理想の家を建てるまで。そして、地獄に落ちる・・。】
ーつくづく、ラース・フォン・トリアー監督は面倒な奴だと思いながら、鑑賞。多分、極端な躁状態で撮影したのだろうと、勝手に邪推。-
物語はシンプルで、孤独な技師ジャック(マット・デイロン)が山道を運転中、車が故障して困っていた女性(ユマ・サーマン)を一度は助けるが結局は紅いレンチで殴り殺すところから、彼の奥に秘められていた残虐性が発露し、章立てで殺人を繰り返す様が描かれる。
彼の脳内には、ブルーノ・ガンツ演じるヴァージの声が常に響き、彼にイロイロと囁きかける。
ーヴァージはジャックにとっての、善性と悪性を兼ねた堕天使の様な存在だろうと思いながら、鑑賞続行。-
■ラース・フォン・トリアー監督は、精神的に問題を抱えている事は巷間では有名だが、その根底には人間とは悪なるモノであるという、性悪説に準拠した考えがあるのは、明白であろう。
ー彼の愛読書は、古くは”悪徳の栄え”や近年で言えば、コーマック・マッカーシーの作品群ではないだろうか?ー
彼がこの作品で何を訴えたいのかは、様々な解釈が出来るであろうが、”人生とは不条理なモノであり、抗えない”悪”に直面するのは仕方がない事である。そして、その”悪”自体も自らが”悪”である自覚が薄いのである、という事を”戦時中の出来事をカリカチュア的に描いたシーンを挿入している所”から、勝手に推測する。
主人公、ジャックが躊躇なく殺人を繰り返すシーンも快楽殺人的には描かれてはいない。まるで、作業を淡々とこなすように、人を殺めていく様が却って怖い。
ーさて、精神を浄化するために、パゾリーニ監督の「ソドムの市」を鑑賞しよう・・。-
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