「Mother Gooseの詩」ハウス・ジャック・ビルト Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
Mother Gooseの詩
2019年に入りユマ・サーマンの映画を観るのは3本目でどれもこれも"a box office bomb"になりそうな映画ばかりで、鼻をつんとあげてしゃべるオーストラリアの女優ニコール・キッドマンのように出演作品は決して当たらないということになりそうだ。
本作は、ジャックというシリアルキラーの物語をまるでモキュメンタリー映画のような撮影の仕方で、わざと画面を揺らして手振れ感を出したり、ズームにしたと思えば引きで撮ったりと観ていると段々ウザいものとなる。
アメリカのアマゾンではすでに公開されていて、いいか悪いか両極端な評価となり、☆1と☆5が均等に40%と別れている。
最初、ジャックともう一人の男との会話から始まる。それから物語が始まるのだが、最初のほうはシリアルキラーとしての凄惨な殺し方を見せたりするのだが、途中で始まる二人の押し問答のような会話を聞いていると訳が分からなくなる。ラストにはコーキュートスのような世界観に誘うブルーノ・ガンツ演じるヴァージという人物が登場すると意味不明となってしまう。しかし一見の価値があるのは、この俳優のすごいところが何気なく見ることが出来る。なぜそこまでしたのかこんな映画のために聞きたいくらいだ。
アメリカの新聞紙Chicago Tribuneの記者がこのように述べている。「この映画は連続殺人鬼のつまらない映画の歴史の中で最も退屈な連続殺人の映画かもしれない。」
グレン・グールドの映像がたびたび出てきたが彼の言う「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」というところからきているのか?デビッド・ボーイのフェイムがいちいち流れるし。
3人ほどマンハンティングするところが出てくるが、惜しいのは人の皮をはぐシーンが出てくるのではないかと期待したが、期待を裏切られた。つまり、中途半端な映画だと個人的に受け止めている。しかも2時間半もある。