「全ては流れる川の中」第三夫人と髪飾り bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
全ては流れる川の中
撮影当時、メイ役のグエン・フォン・チャー・ミーは13歳。この少女が演じた官能的シーンが物議をかもし上映禁止の憂き目。忘れちゃいけません、ベトナムはマルクス・レーニン主義とホー・チ・ミン思想を基軸とするベトナム共産党による一党独裁体制の国。そりゃ、こりゃ、アカン。社会モラル上。
奇岩の美しい風景の中を進む船には14歳の花嫁が乗っています。これが始まりの画。
無邪気に「大きくなったら男になって、たくさん花嫁を貰う」と話していた少女が、無造作にハサミで長髪を切り落とし、川に流し、満足げにほほ笑む笑顔が最後の画。
男尊女卑の村社会の風習に生きる少女メイの描写で始まり、無邪気に否定するニャオの笑顔で終わると言う象徴性が判りやすくて好き。
女々しいクズ青年に婚姻を断られ、「唯一の努めを果たせないのか」と父親に罵られた少女は川で首をくくる。少女の黄泉への旅は、流れの緩やかな川を上る小船。そのシーンに被さる様にメイが登場します。
「男の子を授かりますように。この家で最後の男の子でありますように」と言う願いは届かず、女の子を授かったメイ。この家で何人目なのか。母乳を拒否し泣き止まない赤子を右手に抱き、メイは仔牛を安楽死させるのにも使った毒草を左手に持つ。
女の命の価値の軽さ。
断ち切った髪の毛が流れる川面。
そんなに軽い命ならば。
女である事など、こんな風に川に流してしまいたい。
そうできれば良いのに。
この家にやってきた婦人たちの喜びも悲しみも、全ては川の流れの中で。
全てはとどまる事を知らず流れ去り。
遠い過去から今へ続き、どこまで流れて行くのだろうか。
って言う映画。
不描写による余韻の多用が気になるっちゃなりますが、結構な残酷場面やエピソードが、淡々と起伏無く続いて行く演出は好きです。最後の数分間は、鈍器で後頭部を殴られるような感じ。いや、実際そんな経験は無いから、適当に言ってますけど。確実にハリセンではっ倒されるよりは、鈍く痛かった。ハリセンは経験有るんで、これは間違いないです。
ちょっとだけ良かった。