「「苦しみは全てが終わった後に来る」」プライベート・ウォー いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「苦しみは全てが終わった後に来る」
内戦中のシリアで殉死した米国人ベテラン戦争特派員、メリー・コルヴィンの足跡を、従軍記者時代に絞って、爆撃で死亡する日から逆算しながら数々の紛争地帯での出来事やその合間のプライベートを追った伝記映画である。監督の以前のドキュメンタリー『ラッカは静かに虐殺されている』は鑑賞済なので、かなりのリアリティが表現されているのだろうと想像したが、その予想通りの骨太でハードな内容に仕上がっていた。実際のメリー・コルヴィンのプライベートは脚色されているだろうが、取材中の彼女の動きは実際の行動そのものであろう。それは監督のドキュメンタリーを観れば充分納得出来る。
とにかく世界中の地獄がこうして今まさに存在している事を、正視して観られない程のオンパレードでこれでもかとぶつけてくる。失礼を承知で言えば、鑑賞するだけでPTSDになってしまう程の凄まじい画力の連続なのである。彼女がその症状に苦しめられるのも、尤もな事だとその追体験を否応なしに取り込まされてしまう。そんな彼女をそれでも紛争地に送り込む新聞社サンデータイムスのデスクの薄情さは、しかし彼女のその熱意や信念に寄り添い、一番理解しているからこその関係ということを演出できているシーンが、自分にとっての今作の白眉であると思う。昨今の日本でも同様に紛争地帯への取材に於いて、人質となった記者がいたが、その際の日本国民の冷徹な仕打ち、“自己責任”という言葉に、まるで川に溺れた犬に石つぶてを投げるが如くの罵詈雑言が飛び交った状況に対してのこれが“アンサー”なのかもしれない。“普通の人は彼女のような勇気ある行動は出来ない。逆に彼女は新聞の『園芸欄』を愉しめるような生活を過ごせない。ならば、その普通の生活をしている人達が世界の真実を知りたいと願う時に、彼女がそれを叶えてくれると思っている筈なのだからそれを叶えるべきなのだ。” そう、彼女はそれが“使命”であり、“天命”なのであろう。ならばその運命を受容れて果敢に火中に飛び込む事を厭わない姿勢は、世界中の人達は認め、支持すべきなのであると強く感じたのだ。大事な事は“臭いものに蓋をする”事に慣れてしまったら、何の罪もない世界中の無垢な人達がドンドンと犬死にしてしまうのだ。そういう人達を救うことに躊躇したり面倒臭がるのは人間の弱いところだから仕方がないのだが、しかし世界の目を閉じてしまう事自体が、一番の悪なのである。果敢にも勇気を持って“都合の悪い場所”に真実を拾い上げるジャーナリズムを決して貶してはならない、何の先入観も抱かずに応援すべきことなのだ。今作品に於いての彼女のメッセージを痛い程感じた作品であった。
こんばんは♪
コメントいただきましてありがとうございました😊
また映画作品の見方を教わりました。いろんな方向から作られる、ということですが。しかし、ご本人どう思われるかな?とか思ってしまいました。
どうぞ、こちらこそご返信お気遣いなく。