たちあがる女のレビュー・感想・評価
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【”「人類の法を超えた法」を自らの強い意志で施行する女。”地球温暖化などの環境問題に対し、強く抗議する一人の人間の強さと、異国の戦争孤児の母になる優しさを、独特なるコミカル要素を絡めて描いた作品。】
ー 今作は、アイスランドとウクライナとフランスの合作映画である。-
■アイスランドの田舎町に住む合唱団講師・ハットラは、謎の環境活動家という裏の顔を持ち、地元のアルミニウム工場に対し、送電線を切断したり、孤独な闘いを続けていた。
そんなある日、長年の願いだったウクライナの戦災孤児である幼い女の子、ニーカを養子を迎える申請が受理され、彼女は工場との決着をつけるべく単独で動き始める。
だが、“従兄かもしれない”牧場主の男と双子の姉アウサは彼女を密かに支えるのである。
◆感想
・今作は、自然破壊や地球温暖化という環境問題への風刺でありながら、一人のネルソン・マンデラとガンディーを崇拝する女性ハットラの意志の強さと、反面ウクライナの戦争孤児の女の子の母になりたいという優しさを、不思議なテイストで描いている。
・彼女が抗議活動を行っている時に現れるトリオの楽団の演奏シーンが何だか可笑しいし、民族衣装を纏った3人の女性達の姿も何だか可笑しいが、きっとハットラを応援している鑑賞側の意図を表しているようにも思える。
<ハットラは念願だったウクライナの戦争孤児ニーカに会いに行こうとするも、到頭捕まる。
だが、刑務所に面会に来た双子の姉アウサが、彼女の身代わりとなりが、ハットラはウクライナに行き、ニーカに漸く会うのである。
そんな二人の後について行く、トリオの楽団と民族衣装を纏った3人の女性達。
今作は、コミカルテイストを絡ませながら、人間の強さと優しさを描いた作品なのである。>
原発をどうとらえるかだ。
フランスは脱原発ではない。従って、従来の温暖化運動と同じだと思う。ウクライナでそんな事あるのかなぁ?と思ったし、ウクライナと言えば、チェルノブイリ原発事故。忘れてはいけないと私は思う。気骨あるテロリストと思えなくもないが。狙うなら、チェルノブイリなのでは。と思った。勿論、テロが良い訳がないが。
話は面白かったが、裏があるので、評価出来ない。
温暖化を世界の終焉と表現してもらいたくないし、寧ろ、原発事故の方が差し当たっての問題だと私は思う。
まぁ、養子縁組には賛成だけどね。
音楽とかカットわりとか良かったので、大変に残念な映画だと思う。
ブラック・コメディ?
情熱の発露として母性とテロリズムが同居する奇妙な女性のスナップ映画かしら・・。
主人公を理解するためにはアイスランドの特異性を知ることが必要と思われたので調べてみました。
アイスランドは氷河と火山の島、北海道くらいの広さに東京の北区程の人口(32万人)。
環境保護と言っても国土が荒涼とし過ぎていて守るべき自然がピンとこない。
世界初の女性大統領を生んだ国でもあり信念の強い女性が居ても不思議はない。
バイキングの末裔として自力で何でもやる国民性、DIY・日曜大工も普及しており皆、工作に長けているらしい。(ワイヤーカッターは日本製でした・・)
劇中でもいとこモドキと言っていたがアイスランドでは良くあることで近親結婚を避ける為に家系図をネット検索できるインフラがあると言うから驚きだ。
水力と地熱発電による豊富で廉価な電力という強みを生かして大量の電力を必要とするアルミ精錬産業の誘致で急速に経済発展したことは事実。
劇中でも描かれないし地元民ではないのでアルミ工場が自然環境にどんな弊害をもたらしたかは不明(フッ化水素の問題?)だが送電線の破壊を大義とする理由は見つからなかった。
邪推すれば工場誘致で得た利益が金融投資に充てられリーマンショックの打撃をもろに受けたことへの恨みつらみが市民にはあるのかもしれない。
ラストのウクライナの洪水のシーンは温暖化への暗喩なのだろうが安易に風潮に乗っただけのようで残念。
50歳を過ぎた独身、双子姉妹、ヨガ教師と合唱教師で不自由無く暮らしているのは資産家なのだろうか。人格、信条形成に至る過程のエピソードが描かれていないので理解が深められない。
ウクライナの孤児を引き取るのは慈善と母性の促す行動なのだろうが母親の資格があるかは疑問。ことほど左様に主人公の生き方に共感できないので観ていて辛い。
理不尽にもとばっちりを受ける傍観者、時々絡む自転車のツーリストの役割は何だったんだろう、黒子のようにミュージシャンが至る所に登場し狂言回しのような劇伴を奏でる演出は奇抜だが慣れるまでは違和感、サスペンスも織り込んだブラック・コメディとの理解でよいのだろうか、良くも悪くも一筋縄では理解できない妙な映画でした。
独特な演出がクセになりそう
アイスランドの田舎風景が堪能できそうなのと、
各種レビューの評価が高く関心が湧き、
鑑賞してきました。
たしかに広大な緑の平原に送電鉄塔が立ち並ぶと、
自然を愛する人からしたら
「企業憎し」にもなりましょうが、
主役の度が過ぎて、かつ女性の発想を超えた抗議・妨害・破壊活動には、
もう少し動機づけを描いてほしかったです。
ただの意固地な頑固オバさんで終わってしまいます。
しかし、なにがビックリかって、
「BGM」
シンプルな編成の楽団やコーラス組が、画面に共に出演する、、、!
しかも出演者の顔色を伺いながら演奏するという、
これだけでも観る価値ありです。
主役にソックリなヨガ講師を双子と知らせるには、
もっとストレートに「双子」と言わせても良かったとは思いますが(ソックリさん、、、なのかな?みたいに思えた)
ラストシーンはしっかり観てるこっちも安堵でき、
また爽快でもありました。
機会があれば、鑑賞をオヌヌメします(ΦωΦ)/
寓話的コメディ
49歳のおばちゃん一人に5回も6回も送電線を切られて捕まえきれないアイスランドの警察もどうかしてるな。ドローンを飛ばしたり猫も杓子もスマホいじったりしてるとこは今風なんだけど、やってることはドタバタコメディに近く結構笑えました。捕まえる気がないのかな?と思えるほどの展開で最後に姉と妹が入れ替わるなんてあり得ないんだが(笑)
初体験のBGMシステムが面白い!
何の情報もないまま、全くの未知数で鑑賞。
始まってすぐ、ストーリーには関係の無い、大自然の中でBGMを演奏している音楽家が映し出される様にビックリ。
でも、ストーリーが進んでいくにつれ、その姿にも慣れ、終わるころには耳にリズムがこびりついているという中毒性は、急に歌って踊り出すインド映画に通じるものがあるのかも。
山女としてのハットラの活動中に映し出される大自然はとても雄大で、惹きこまれてしまったが、追ってからの逃げ方(隠れ方)にちょっとビックリ。
最後の展開も含め、そうきたか!という心地よい驚きのシーンが多かった。
いとこもどきバンザイ!
観終わってから、ジョディ・フォスターのリメイクの件を知り、彼女が主役のハットラを演じるのではないのかもしれないけど、彼女のはまり役としか思えず。。。
他の方も書かれているように、ハリウッド版で本編の描かれ方以上にあの音楽がどうなるのか、楽しみで仕方ない。
映像美と音楽がスタイリッシュ
ストーリーは
あるハイランド地域の街に住む、50歳独身のハットラは、地元社会人合唱団の音楽教師をしている。双子の姉が近くに住む。ハットラは、音楽教師以外に、自然環境破壊と戦う、活動家としての顔も持つ。地元には、鉱業ジャイアント、多国籍企業のリオ テイントが所有するアルミニウム工場がある。ハットラは、アルミニウムを精製する過程で出る廃液が環境破壊につながるために、工場の生産を止め、環境を保護するために、すでに5回も工場に直結する送電線をショートさせ送電の妨害を起こしている。
会社も黙ってはいない。アルカイダによるテロか、ゲリラグループによる破壊活動か、グリーン党内部の過激組織によるものか、犯罪グループの摘発のためにCIAの知恵を借り、犯人を特定、追跡しようとやっきになっていた。ある日、ハットラが6回目にアルミニウム工場送電線を妨害して帰ってくると、養子縁組担当者から手紙がきていた。4年前の事なので、すっかり忘れていたが、ハットラは養子縁組の申し込みを出していたのだった。ウクライナから4歳の孤児を引き取るかどうか問われて、ハットラは突然の事なので、戸惑いながらも喜んで引き取ることにする。合唱団の人々も祝福され、双子の姉からも喜んでもらえた。
でも子供を引き取る前に、子供の未来のためにやらなければならないことがある。まず、アルミニウム生産による廃液が自然環境を破壊していることを街の人々に訴え、これまで6回も送電を妨害してきたのは、テロリストでも過激派グループでもなく、単独犯であるという声明を印刷して町中に撒いた。リオ テイント社の工場が閉鎖しなければならないほどの打撃を与えなければいけない。ハットラは、爆弾と電動カッターを持って、山に入り、送電線を爆破する。
警察は思いのほか早く動き出した。犬を使って本格的な追跡隊が駆り出され、ドローンもヘリコプターも日夜わけずに上空から偵察を続行する。ハットラは、山を走り、凍った氷河を登り、氷水の濁流を渡り、もう力尽きて逃げ切れなくなったところを、牧場主に助けられる。牧場主に街なかの自宅まで送ってもらうと、その日はもうウクライナに養女を迎えに行く日だった。空港に行き、カウンターに向かう。しかしそこでは、「テロリストハント」が行われていて、通過できないことを悟ったハットラは、タクシーで引き返す途中で、逮捕される。
拘置所に双子の姉が面会に来てくれた。姉はハットラをしっかり抱きしめながら、自分のワンピースを妹に頭からかぶせて、自分はハットラの囚人服を素早く身に着ける。車のキーを渡しながら「これで空港に直行し、ウクライナで亡命しなさい。」という。身代わりの囚人になった姉を残して、ハットラは言われた通りに国外脱出し、ウクライナの孤児院を訪ね、4歳の娘に会う。そこで孤児とハットラは、しっかり心を通わせる。娘を引き取ってバスで首都に向かう途中、洪水でバスがエンコする。他の乗客たちと一緒にハットラは、娘をしっかり抱いて、腰まで水につかりながら進路に向かって進んでいく。
というおはなし。
しばらくこんなに素敵な映画を他に観なかった。まず映像が素晴らしい。そして音楽が良い。まず映像だが、前作で映像の詩人といわれた監督の作品。詩情に満ちた映像に、登場人物のかもしだす大人のユーモアがちりばめられていて何度映画を観ながら笑ったことだろうか。アイスランドの山々が広がる広大な高地の美しさが例えようもない。山々は何億年もの間、溶けることのない雪渓を抱えている。雪解けの水が川を作り、乾いた大地は深い緑色のミズゴケの覆われている。その柔らかな大地にうち伏してミズゴケの匂いを胸いっぱい吸うハットラの自然にむけた深い愛情。われら皆大地の子供。山々が吹き下ろす風の音を聴け。雪渓から落とされる水滴に耳を澄ませ。ミズゴケに覆われた大地の柔らかさに心を開け。
そんな美しい大地にいくつもの送電線が林立し、ミズゴケを殺し環境を破壊する工場に電気を送っている無惨なすがた。たった一人、誰の支援もなく単独で、多国籍企業に立ち向かっていくのはドン・キホーテでもなく、スーパーヒーローでもなく、ひとりの中年のおばさんなのだ。50歳独身の音楽教師の家の居間には、ネルソンマンデラと、ガンジーの大きな写真が飾ってある。そんな彼女が何をしているか知った人々は、手助けの労をいとわない。確固たる心情をもって、ひとりきりで突き進む孤高の活動家は、決して孤独ではなく、アイロニストでもペシミストでもなく、ただただ大真面目に生きているのだ。彼女が絶体絶命のときに救いの手を差し伸べる人々とは、彼女のやり方がどうのとか、批判も評価もせずに、ただ出来ることをしてやる。みんな大人なのだ。成熟した社会に住む人々。
警察の追跡から逃れようと、山を走り、雪渓を渡り、氷の河を潜り、力尽きて死にかけているハットラを助ける牧場主が素敵な男だ。何も聞かず、何も問わず黙って低体温で半分心臓がとまりかけているハットラを温泉に放りこんで救命し、警察の警戒網を突破する。人生を達観した男の魅力。
ハットラが警察から逃げまくっているときに、3回も同じスペイン人バックパッカーが、ハットラの身代わりの様にして警察に逮捕される。山でテントを張り、自転車で気ままに高地を彷徨っているのだから誤解されても仕方がないのか。彼が登場するたびに大笑いしてしまうけれど、精悍な顔をした好青年なのだ。
この映画の一番の良さは詩情たっぷりの映像の美しさと、そして音楽のスタイリッシュな使い方だ。映像と同時に画面に音楽隊が登場する。ハットラが山で走り回っているときに、突如ドラムとピアノのホーン3人の楽隊が登場して演奏する。ドラムがハットラの早鐘のような心臓の音を鳴り響かせる。
彼女がウクライナから養子をもらうことになった途端に、3人のウクライナ女性が民族衣装を着て登場して、フォークソングを歌い出す。ハットラが合唱団を指揮したあとの帰り道自転車を走らせるバックミュージックは、合唱だ。3人の楽士と、3人のウクライナ歌手達は、映画の最後まで繰り返し、繰り返し登場して演奏する。ハットラの頭の中に住む存在なのだろう。最後に異常気象で苦しむウクライナの洪水のなかを、ハットラが子供を抱いて歩くシーンでは、3人の楽士、3人のウクライナ合唱隊が総出でバックグラウンドミュージックを奏でて、ハットラを見送る。
映像のバックに音楽を演奏する楽隊を登場させるという斬新でスタイリッシュな方法に感動する。新しい。これからこのスタイルで音楽を使う映画が沢山出てきそうだ。
登場する人々がみんな大人で、過激な活動家の話なのに安心して見ていられる。成熟した社会が背景にあるからだ。豊かな自然をもつアイスランドの魅力も尽きない。ヴァイキングが9世紀に持ち込んだ、長い毛と太い足を持った美しい馬たち、山から吹き下ろす風に揺れる山岳植物、雪渓の広がり、ミズゴケが生えそろう柔らかな大地が、いつか訪れるとき、待っていてくれるだろうか。それとも鉱山開発の垂れ流す汚水で生物が死に絶え、気温上昇で河が氾濫し、洪水で村が流され、破壊された自然を怒った火山が大爆発を繰り返すアイスランドになっていることだろうか。
ゴルゴ
音楽を奏でる映像を
緊迫する場面に入れ込む
シュールな感じと
環境を守るという意思表示のために
インフラ破壊を続ける主人公。
赤外線探知する追手からの
逃走シーンは、
かなり本格的で、
デューク東郷のよう。
シーンの切り口や
音楽の使い方は
かなり独特で面白く、
映像は美しいです。
話の流れや中身が単調に
感じ
あまり、
合いませんでした。
少し退屈でした。
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