ある少年の告白のレビュー・感想・評価
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簡単に言えばアメリカの性差別の映画❗
星🌟🌟🌟🌟性については先進国と思っていたアメリカでもLGBTを認めない、尚且つ矯正施設があることに凄く驚きました❗内容は正直中盤までまったりした展開でちょっと退屈だったのですが母親役のニコール・キッドマンが息子を施設から守ろうとするあたりから俄然面白くなって、ラスト父親役のラッセル・クロウとの本心をぶつけ合うシーンちょっと感動しました❗救いのある映画で良かったです❗主人公の性のギャップに悩むジャレッド役のルーカスヘッジズも役に合っていて彼も良かったです❗彼の次回作ジュリア・ロバーツとのベンイズバックも楽しみです❗
作り手の作為がはたらき過ぎた感
これが現代(せいぜい近過去)の物語だというのが、なんだか信じられないというか、未だに信じていないというか。未成年の同性愛者を「矯正」する施設と言うのが未だに存在するという事実。私はまったく知らなかったし、その中で行われていることに関しても、それが現代に行われていることだというのが俄かには信じられないようなもので驚愕した。「ホモフォビア」とまでは行かずとも、同性愛にちょっとした気まずさや違和感を覚える人がいるにしてもそれを「矯正」し「治療」しようという価値観が未だに残っているなんて。
作り手も、そういった「矯正施設」という場所がいかに狂気的であるか、悪質であるか、というところを社会に向けて発信しなければという思いがあったのだろうと思う。そういう意義をもって映画が作られるのはもちろん悪いことではない。
ただこの作品が惜しいなと思うのは、作り手がその矯正施設を"ヤバい"場所であると意識しすぎてしまった、あるいはそれを演出しすぎてしまったところだと思う。
施設が"ヤバイ"というのは映画を見ている観客が自ずと気づくべきことであって、演出で押し付けられるべきことではない。宛らホラー映画の如く施設内の出来事を描写して、施設の狂気を演出してしまうとそこに作り手の作為が加わって、観客としては作り手の価値観を通して映画を見るような感覚になってしまう。言ってしまえば「ドラマ」ではなく「報道」により近いものになっており、施設の外では一人の少年とその家族のドラマとして成り立っている内容が、施設内に入ると途端に「矯正施設はこのようなことをしているのです」「施設内ではこのようなことが横行しています」「施設はこんなに酷い場所なんですよ」といったガイダンス的様相を見せ始めるのが、映画全体として捉えた時に終始ちぐはぐした印象を受ける理由かと思った。
伝えたいメッセージは重要でありもちろん異論もない。ただ映画としてそれを表現するスタンスに少々のずれを感じ、そのずれが時に「作為」に見えてしまう嫌いがあった。それでは本来伝えるべきメッセージが適切に伝わらなくなってしまうし、せっかく意義のあるテーマなのにそれが届き切らないのは受け手としてももどかしく思った。
排他性
私が洋画を観だした80年代後半で同性愛を描いた作品は「モーリス」位しか思い出せないのですが、昨今ではLGBTを描いた作品が普通に公開されているので昔と比べると世の中がえらく変わったものだと感じています。ただそれを認めない人達も一定数いる訳で、今作を観ているとアメリカはリベラルと保守派で全く違う世界に生きているのだなあと痛感しました。
時として神の存在は人を救いますが、逆に人を排他的で攻撃的にします。現に今作で描かれるキリスト教福音派は同性愛や中絶に反対しているだけではなく、イラク戦争を始めたブッシュや排他的なトランプを支持してます。福音派が持つ排他性と攻撃性が戦争したい戦争屋とちょうどコミットするのだと思います。
ラストでヴィクターもまた矯正施設に送られてきた側の人間かもしれない事を示唆していましたが、ありのままの人格をお互い潰しあう宗教とは何か?を思いしらされた様な気がします。
父親の想いも汲んでほしい
これが最近の話であり実話という難しさ。かと言って、いざ自分に置き換えて考えてみると、いきなり息子の告白を素直に受け止めることが難しいのも分かる。そして息子本人からしたらどうしようもないことも分かる。
両親、特に父親は、自分の体面だけではなく息子を想っての行動だった事も分かるので、最後の息子との会話がとても悲しかった。息子にも分かって欲しかった。
でも、今は笑顔で一緒にいられているようですね。良かったです・・・時間をかけて伝わる想いもあると信じたい。
また、自殺してしまった少年がとても悲しく、苦しかった。上手く生きられない少年に救いが何もなかった事がもどかしく、辛かったです。
以外に知られてない事実。
最近はLGBT…Qまで入るんですね。
キャストが良い事と、単純にカムアウトの話しなのかな?くらの知識で観に来ましたが…
そこから一歩踏み込んだ、同性愛が許されぬ宗教家の子供達を洗脳施設に入れると言う実話がベース。
今の時代宗教って、人と人との壁を作るだけで本当に必要なの?とか、人間の尊厳について色々と考えさせられました。
『カッコウの巣の上で』や『時計仕掛けのオレンジ』と共通する洗脳暴力的な作品。
息子が人間であることは認めるべき
初回は、花粉症の薬に負けてしまった。
再度観ることにした。作品の出だし、やはり単調であり、前回同様に、睡魔が襲うかもと不安になった。
イーモンズ役の高校生が、どこかの作品で見た!という印象を受けた。やはり「マンチェスター」、「スリー・ビルボード」に出演されていた。目立たないが、(記憶に)残る俳優であった。2回目は、しっかり観られた。結構、ラスト泣けた。同性愛者の矯正治療施設に、半強制的に入らされるジャレッド。作品が進むうちに、この施設の異様さに気付く。こんな施設があることが異常なのではと思うようになる。「心の清算???」、訳が判らない。
父は、プロテスタントの教職者である牧師。同性者である息子である、彼を施設に入れさせる。
この牧師役が、ラッセルクロウだ。以前、「グラディエーター」のあの強靭な肉体を持つ彼ではあったのだが、今や観るも無残。
ラストに、アメリカの国内には、TGBTを強制治療する施設が幾つもあることを知る。サイクスの行動、治療にあたる彼の神への異常な尊さ敬虔さ、そして施設内の人間が、人として人間性が欠けている。治療を行っていたキャメロンの死は、果たして「自殺」であったのか。施設での治療に耐えられなくなったジャレッドが罵倒しながら施設を逃げだす場面は、彼の行動こそ正常な人間に見えた。4年後、父と子が再開する場面、車の窓からの場面は、う~ん泣ける場面だね。再度、見直して本当に良かったと痛感した。
施設費用無駄金すぎる
アメリカの地方の街で、牧師の息子が同性愛者であることから矯正施設に入れられる話。
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この施設では同性愛は生まれた時からのものではなくて、その人の選択のせいってことになってる。だから罪を認めて改心させようとする。
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この施設でやってること変な宗教の洗脳と同じだし、こんな施設にお金払ってる親って。そのお金あるなら息子ともっと話してあげて。
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何より驚くのは、今現在もこういう施設が現実にあること。こういうのって一昔前の話かと思ってたけどまだあるんだな。
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同性愛者より若い子大好きセクハラじじいとかすぐ浮気するヤツとかを矯正施設入れろよって思うけどな!!!.
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ラッセル・クロウが実際のお父さんと激似すぎた。
否定されるつらさ
息子にゲイだと告白された両親が、どうしたらいいか
わからず彼をゲイを治すという施設に入れる
そこでゲイを治すと言う名目で
ひどい仕打ちを受けていく
これは実話というのだから驚く
ゲイの人がこの作品を観たらどんなにつらい思いをするかなと
思った
好きを治すことは出来るのか?
極端な話 異性が好きな人をそれはいけないと
同性を好きになるように治すと言われて同性を好きになれるか?
施設に入ってるある青年が
「ふりをして過ごすんだ」と話しているのを聞いて
施設の行っている行為がいかに愚かなこととわかる
クライマックスでは息子を守ろうとする母親ニコールキッドマンに
同じ母親として 心の中で拍手した
このシーンは感動した
息子がゲイであることを受け止めきれず
しかし彼を愛していると言う複雑な思いを吐露する父親を演じるラッセル・クロウに 私は泣いてしまった
施設に入る前に家族でもっと話すべきだったと思う
しかし彼が入ったことで実態を世間に公表できたのだ
人間は何度も愚かなことを繰り返す生き物だ
この現実を見よ
「同性愛の矯正施設が今も存在する」事にまず驚きを禁じ得ない。性的指向が病の類ではない、「治療」するものではないことは現代の常識だと思っていた。しかし、この映画で描かれる現実は、目を疑いたくなるものだ。矯正施設では行われることは何から何まで的外れ、というか害だ。受ける側はひたすらに傷つくだけ。恐れによる人格の変容。もしくは逃げ出す為に割り切って演じる者。演じる事もできず鞭打たれる者...あり得ない、と思うが、その現実がそこにはある。
ルーカス・ヘッジズは非常に生真面目な青年を生真面目に演じている。それ故に施設の異様さが際立つ。
そして両親。どうやっても変えることのできない息子の指向にどう向き合うか。父親にも父親の信仰があり、信念がある。その葛藤を含んだラストは心にくるものがあった。父親に従属的な母から、息子の様子を見て意思を固めるニコール・キッドマンは相変わらず強い。そして強そうだけど、揺れる父親ラッセル・クロウの存在感よ...
そして最後の字幕で驚いた。負の連鎖とそこからの脱却ということを思った。
ニコールとラッセル
ラッセル・クロウはすぐ分かったが、ニコール・キッドマンはエンドロールで「ああ、何か見たことあったが」という感じだった。内容は「アメリカでも10年前はこんなのだったの」という感じ。プロテスタントは今でもこうなのかな。
今年の一押し
主人公の父親がアメリカの典型的なプロテスタント教条主義。
子供のことより信仰があるからと子供を否定するくだり(本人にそのつもりはあまりない)などは原理主義の怖さを良く描けていると思う
是非見てください
☆☆☆☆ 『Mommy/マミー』『愛のむきだし』(ほんの1部)系?...
☆☆☆☆
『Mommy/マミー』『愛のむきだし』(ほんの1部)系?
感想が書きづらいので、ほんのちょっと…で(-_-;)
途中までは「普通かな?」…と思って観ていた。…が!
施設に居た彼女はどうなったのか?等。多少不明な点もあるものの、終盤は完全に感情移入させられていた。
元々、神を隠れ蓑にする輩達に【多少】の思いを感じていたからだろうか。
行き過ぎた宗教的な面を描いている事もある為に。何かと信心深い国や地域では受け入れ難く、評価は低くなり易い気がするが、なかなかの秀作だと思いました。内容的に、好き嫌いは出るでしょうが…。
2019年4月29日 TOHOシネマズ/シャンテシネ1
タイトルなし
確かに、この映画の中で行われている事は、忌むべき事だし、現実のアメリカ社会で未だに多い保守派のアイツらはまーどうしようもないやつらだと俺も思う。
それに、社会から、どころか家族からさえも謂れのない差別や抑圧を受けるハードモードどころじゃない人生の中で闘いを選んだ主人公、というか原作の筆者はそりゃ素晴らしいですよ。
でもそれと映画が面白いかは全然別問題で…。
仕方がないことではあるんだけど、俺は日本人だし、同性愛とかダイバーシティに対するスタンスも、まぁ多分普通の範囲内なわけよ。
だから、最初からこの施設に対して疑いの目を持っている、比較的俺らよりの主人公の目線で進んでく施設内のパートがまぁ退屈。
監督の前作にあった倫理観のぐらつく感じなど一切なくて、「まぁそりゃあそうだろうね( ᷇࿀ ᷆ )」で進んでく。
主人公が施設の実態に気付いたであろうところも「知ってた」で片付く。
何かもうちょい、この施設内の方がやはり正しいのではないか…?と思わせる何かとかなかったんすかね。
だって最初から家系図持ち出してあんなことさせてるんだぜ。
鼻持ちならねぇよな!
要は、俺が普通の日本人だからかもしれないけど、「この施設って普通にダメじゃね…?」ってなっちゃうんですよね。
入れられてるヤツらみたいに洗脳されない。
なので、主人公が傷つけられたとか言っても、されたことを鑑みたりしないとストレートに受け取れない。
それと、終盤に唐突に覚醒するニコール・キッドマンも問題で、「アメリカ社会が抱えてる問題の共通認識」が前提としてその上に成り立ってるだけで、この映画の中で彼女が虐げられてる場面なんてないんですよ。
だから、すげぇ取って付けたように見える上に、この映画の中で片付けるべき問題がぶれる気がする。
いや、最初から扱っとけばいいんだろうけど。
そんな終わり際で言われても…みたいな。
後は、結論の付け方も何だかな…。
今回は父ちゃんの設定が設定だけに仕方ないかもしんないけど、やっぱ逆差別とか、それって結局マイノリティだから守ってって事じゃないの…?ってなっちゃいますね。
その前に父ちゃんが渡したものとかすごくよかっただけに、過渡期的な結論の付け方は微妙かな~。
あとは、ニコール・キッドマンがかつらっぽいのが気になったかな( ᷇࿀ ᷆ )!
それと、車の窓から手を出すアレ、自由とか自立の象徴かもしれねぇけど、「高速道路で手を出すとおっぱいの柔らかさ」みたいなの浮かぶよね、日本人はね( ᷇࿀ ᷆ )
踏み外すことでの自由感
性の考え方は本来なら自由であるはずなのだが、道徳観念宗教的その他さまざまな縛りで
思い悩まされるのは間違いない。しかし縛りを外してしまうのも間違いなく危険であるのも頭ではわかっている。矛盾であり白黒でありグレーであり結局人は欲の生き物であることからは逃げれない欲ないとされてるお坊さんや神父も知的欲求があり人に説くということさえも欲だと考えたら、日常はまさに欲だらけに囲まれ生きる生活でしかないない。肉体と脳と心と言葉と他者との関係性を真面目にマジメに考え生きれば上手くいくことも上手くいかなくなるはずのは間違いないはず。ありとあらゆる人が地球と言う名の箱の中でさらにさらにさまざまな箱を作り箱の中にいる自分に気づかない中で人を箱に押し込め管理したがる感情も語ることも難しいなかでも時計の針は動き続けることに気がつかないふりして生きる毎日を繰り返すことでバランス
を取る感じを持たないとそれこそ身がもたないように思う。鈍感力の大切さだろう。そうこの作品主人公視点での一点で語るとしたら
繊細な鈍感力の大切さこそが自由な日々の近道ではないかなぁ〜と思い勇気を出して足を踏み外すことで自分の世界の中で自分の自由を感じることが出来るようになりました。こんな感じではないだろうかと思う。そしてシンプルな作品であればあるほど美しく醜く記憶に残り思考を繰り返すことが出来、何年も何年先に見てもまた考えることが出来る作品なように思える。必見映画であるこは間違いない。
同性愛の矯正という思想の不毛さ。
敬虔なクリスチャンの牧師家庭に生まれたゲイの青年が、その時代に受けた矯正教育の実態と、心の葛藤を描いた物語。これが実話だということに驚いた。
父親や母親、施設の人間、みなすべてがそれぞれの正義だという点が心苦しく逃げ場がない。
現代ではLGBTQに対する認知が広まってきているとはいえ、認知することと、それを受け入れることは別物。未だなお、見えない所で静かに苦しんでいる人間が山ほどいるんだろうと思う。
それにしても、最後のクレジットでのサイクスのその後が衝撃的すぎた。彼も上記のその一人だった。
男らしさって何
幸せそうな幼少期から一転、不穏な音楽の中、青年となった主人公がとある施設に入って行く、というサスペンス調の冒頭部分から引き込まれました。
主人公が入ることになった同性愛者矯正施設の描写は嫌な圧迫感緊張感が漂い、自己否定させ救済を謳う人格無視の精神論的狂信的なプログラムはやはり理不尽で恐ろしいです。
いつの時代だよと思ってしまいますが、現在でもこのような施設が存在しているということで、更に恐ろしいです。
とは言え、日本でも公然とこういう偏見がまかり通っているようで、他国の話とも言い切れないような気もします。
従順な良き妻という価値観に縛られた女性への視点もあり、これもまた同様に。
不穏な施設の描写とともに、同性愛者であることを自覚する主人公やその両親の、戸惑い、葛藤などの丁寧な描写も印象的です。
やはり役者陣の演技がそれぞれに繊細で素晴らしかったです。
一定の価値観から外れた者を悪として扱う社会の理不尽さを見せるサスペンスと、社会の理不尽な価値観に抗う青年と家族の人間ドラマが、上手く組み合わされていたと思います。
自分自身を認め家族とも認め合える、希望の持てるラストは良かったです。
しかし、矯正施設での、男、男と連呼するけど男らしさって何だよという中で、言うなれば最も男気を見せた青年の結末は、なんとも辛いです。
家族から認めてもらえない絶望からか、主人公のように認めて受け入れてくれる家族の誰かがいれば違ったのかと、やるせなさが残ってしまいます。
同性愛も人格か
実話を元にしたストーリー。
アメリカ人の考えそうな矯正施設の話です。
アメリカ人にかぎらないでしょうが、他人からどう見えるか を気にするあまり、LGBT問題を 矯正できると考え、人格破壊のようなことを平気でするところが、古今東西問わず今でもある、それだけの話です。こう言い切ってしまうと身も蓋もない感じですが、テーマはやはり重いので、それに自分はどう向き合っていくか、頑なに否定するのか、両手を挙げて肯定するのか、仕方がないと渋々受け入れるのか、問われます。
自分はクリスチャンなのですが、聖書を読むとその時代から同性愛ははっきりとあり、そしてそれは恥ずべきこととされている、しかし、他の多く罪と同様に、人間の罪の性質の一つであるとも思える。肯定するのではないが、どう向き合うかは答えは一つではないような気がする。
「人」が「人」として心地よく生きていくために
冒頭からしばらくは観ていて苦しいやら辛いやらだったけれど、だんだん腹が立ってきて、
「ばっかやろーーー!!!
ただでさえ、これからどう生きていこう?何していこう?ってそれだけでも頭が一杯になる年代の年若い子どもたちに、それ以上の苦しみを与えるんじゃない!!!
な~にが選択の結果だ!社会性の動物である人間がわざわざ自分が苦しむような選択するかよ!?ばっかやろーーー!!!」
と、怒り心頭になりましたよね。
「人」が「人」として心地よく生きていきたいだけじゃないか。人が自分じゃない人に心惹かれる、ただそういう素敵な気持ちを、どうして否定されて、偽って生きていかねばならないのか?
この映画は、実話に忠実に描かれているそうで、それ故にサプライズもスーパーマンも出てこない。それがとてもリアルで、この話が今も続くリアルなんだと感じさせてくれた。
自分を偽るよりも受け入れるほうが幾分もマシ。主人公の父親は今までの自分の信念を覆すとても大きい決断をして、その決断を自分の中に染み込ませるには相当の時間がかかるんだろうけれど、それよりも息子への愛を選んだ、子への愛情を高く寿ぎたいなと思った。
今や”LGBTQ”を取り上げてる作品はそんなに居るのか⁈と訴えたくなる程…
[コレは日本人だけの目線になるだろうが] 一寸,個人的な話から入っちゃうが、お気に入りの作品に“レ・ミゼラブル”という作品の中で素晴らしい歌唱力の持ち主でもある(意味があるのかは知らないが,かなり肥えちゃったが)ラッセル・クロウは難しい親父の役を演じ切り、またえぇ叔母ちゃんになっちゃってた二コール・キッドマンは、複雑な心境の母親をやってくれた。
がしかし、すみません,いかんせん私には映画作品自体は好きだが、正直”LGBTQ”の心?気持ち?想いは解らないし、知ろうとも想わないし、知りたいとも想えないのが,正直な感想…
神はそれぞれの中にいる
前半は正直、淡々と進みすぎて、結構しんどい
途中から、話が展開を見せ始めると、そこからは目が離せなくなった
付き合っている彼女に対して、性的な気持ちが起きないジャレッド
大学に入り、あることをきっかけに、自分が同性愛者であることを自覚する
父は牧師であり、もちろん敬虔なクリスチャン
ジャレッドの告白に治療という対策をとる
LGBTQは罪であり病気であり、更生し治すものである
その見方で愛する家族や自分の同性愛をとらえてしまうと、それはつらく、苦しい道のりしかないように思える
なぜなら、それは罪でも病気でもなく、更正出来るものでも治せるものでもないのだから
始めは治せるものと信じ、施設に入るジャレッド
それはどこかに、親の期待に応える自分でありたいという気持ちが見える
だから、入所直前に主治医から言われた、あなたは間違っていない、間違っているのはご両親の方だという言葉も耳には入らなかった
日々の課程や課題にも取り組む
けれど、どこからか感じ始める違和感
その違和感の正体は少しずつ姿を見せ始める
違和感の正体がほぼ見え、確信になった時、それを見逃さずに立ち上がるった
そして、彼の言葉を強く信じた母、勇気を出して手をさしのべた人、ジャレッドは壊れる前に逃げ出すことに成功した
その時の母の強さ
戸惑い、ショックを受け、父や地域の長老的な人たちの言葉に従い、息子を施設に入れる
感じた違和感と直感と息子を信じ、立ち上がることを決意した母
その母の強さ
この母なくしては、彼は施設から逃げられず、ダメになってしまったかもしれない
息子の同性愛を受け入れられるかどうか、ではなく、あるがままを受け入れると決めた母の強さ
言葉で言うほど簡単なことではないはず
それにしても施設の怖さ
これが、犯罪や病気だった過去の話ではなく、まだまだ実際に行われているという事実にも驚く
そして、最後の字幕に出てくる実際のサイクスのその後にもびっくりするけれど
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