「変わるとは思いの外簡単ではない」ある少年の告白 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
変わるとは思いの外簡単ではない
物語の中心は同性愛者の矯正施設での出来事だ。
同性愛者は病気ではないので、治るとか治すとかいう問題ではないのは今では常識だが、物語の当時では治るものと多くの人が考えていた。
治らないものを治す、その方法は自我の破壊、思考の破壊だ。
神の名のもとに人間を壊す。精神疾患の患者にするロボトミー手術のごとく、治療というよりは破壊。
恐ろしくおぞましい施設での「治療」は、中世の魔女狩りに似た狂気すら感じる。
しかしこの時この中で狂っているのは回りの人間ではなく、同性愛者である主人公たちだ。という事実がまた恐ろしい。
そして、おかしいのは自分ではなく、回りの人間たちだということに気付き、主人公は自分を守るため行動を起こす。
それは同性愛を受け入れられない牧師の父との対立を意味し、息子か神かの二択を迫られることとなる。
信仰心の薄い日本人には、信仰を守りつつ息子を受け入れるという選択を取ることを容易に感じるだろう。
しかし、長きにわたり正しいと信じていたものを僅かでも否定することは、自己の否定と等しい。
私などには簡単に思えるバランスを取った両立は熱心な牧師である主人公の父には不可能だったのだ。
僅か数十年前の出来事であるが、本当に恐ろしいと思うのは、今でもアメリカではこの物語の感覚と大差ないだろうということだ。
数年前にハリウッドスター(間違えたらマズいので名前は伏せる)が、合衆国大統領は科学を信じている者がなるべきだと発言して騒ぎになった。
日本人の感覚では当たり前の言葉すぎて何のことやらと思うだろう。
しかしアメリカ人の多くは、大統領は科学よりも神を信じている者がなるべきだと思っているのだ。
大学で教鞭をとるような人が、地球は平面だと信じていたりする国。それがアメリカ。
そんな、敬虔を通り越して愚かにも思える人々に対し、信仰にとって真に大切なことは神ではなく、人だと、当たり前にすら思えることを訴える作品だった。
同性愛の人が親に受け入れてもらえないという話を日本でも聞く。
そこに信仰まで絡んでしまうアメリカにはこの先十年や二十年では変われない根深さがある。