「初めてのタイプのドキュメンタリー映画」セメントの記憶 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
初めてのタイプのドキュメンタリー映画
このエッセイ(随筆)が父親をしのぶ書き方であったり、それに、家族をシリアにおいて働きにきているシリアからの建築業の人々が故郷を案じている書き方であったりしている。いかに、個人のストーリーを淡々に語っていて、何ひとつ会話がないが、この表し方が、私の心を打つ。目がどうしても、字幕に行ってしまうのが常だが、監督は我々に、視覚で味わう時間を与えてくれている。ストーリーが途切れる間も、かえってこのエッセイの朗読を深く
感じさせてくれる。ゆったりとした低い声で語るエッセイ朗読の仕方が、ストーリーやスクリーンの過酷さとは真逆のイメージを与えるところがいい。青い空と海、そこに高層ビルの建築。ましてや、雑音や騒音をかなり消して、エッセイに趣をおいたのだろうか。視覚と聴覚に訴える映画だが、ふっとセメントの匂いを感じさせる映画だ。今までの見たことのないタイプのドキュメンタリーだ。ベイルートでシリアからの労働者はビルを建設しているが、シリアのアレッポやダマスカスではビルが崩壊されている。皮肉だ。
シリアからの労働者の人間扱いされていない生活や現場での扱い。彼らが、休むところは工事現場の地下、周りに雨水が溜まるところ。それに、手袋、マスクなしで、現場で働く。一人はヘルメットも被っていなかった。無くしてしまったのかもしれない。予備がないのかもしれない。なくしたら、高いお金を払わなければならないかもしれない。そのことはわからないが。この状況をみれば、なんとなく見当がつく。
ベイルートの高層ビルで働く労働者は地中海を臨める景色のよい素晴らしい地域が仕事場だ。ベイルートの高級地域だということは見るだけでわかる。エレベーターで現場まで行くが、12時間も過酷な太陽がギラギラする現場で、目の下に、広大な地中海の見ながら働くという皮肉な労働状態。こんな場所で、肉眼で(ガラスを通さず)肌に感じることができる。夜はレバノンのシリアからの労働者は七時以降は外に出られないと。テレビやスマホのスクリーンで、シリアの内戦(アサド政権によって、アレッポが攻撃され、破壊されているとか、ダマスカスでの同じことがおこっているとか、レバノンにシリアからの難民が流れ込み、差別が始まっているとか。)での様子を伝える。家族は大丈夫かどこにいるかと心配して、スクリーンに釘付けになる。視聴者は、この戦争が起こす悲惨な生活環境に同情するが、その反面、地中海に面している景色に目を奪われる。