「そろそろ微妙になって来た...」セメントの記憶 bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
そろそろ微妙になって来た...
去年観た「ラッカ」や「ラジオコバニ」と比べると、明らかに「魂」が抜けてる感は否めない。いや、こんな言い方するのは、本当に憚られるんだけど、そろそろ「シリア内戦被害者の立場を悪用」に入って来てる風体は、ある。
レバノンの高層ビル建築現場のシリア人労働者の姿、おかれている環境を淡々と「言葉無し」で撮り続けます。爆撃で瓦礫の中に閉じ込められた少年の回想録が語られて行きます。コンクリートの味は死の味だと。
シリア内戦で市街地戦のミッションに就く戦車からの映像はショッキング。砲台に据え付けられたカメラは、砲撃によって舞い上がる煙を写す。簡単に言うと、それだけ近い場所を砲撃している事を示します。そう、まさに目の前の住居・建物。せいぜいの場所であっても、それは到底軍事施設とは思えない、一般の建造物。
空爆によって一瞬で瓦礫となった建物跡に男たちが群がる。レスキューでも、軍人でもない一般人です。生き埋めになった者を、掘り返すために。助け出すために。誰かが掘り起こされる。小さな歓声が上がります。倒壊した壁と床の間の狭い隙間に潜り込んで行く男。倒れたコンクリート壁と床の間から、何かを引きずり出そうとしている。それは人なのか?家具なのか?何者かが引きずり出された後に、床下から飛び出している様に見える男の顔と手。生きている。動いている。こちらを振り返っている。だが。どうやってあそこから、この状況から救い出せば良いのか?底知れぬ絶望。
シリア市街戦の生々しさは驚愕です。
破壊し建てる。誰かが破壊した命も誰かが再生する。誰かが奪おうとしている命を、誰かが救おうとしている。映像は、そんなことを語ってくれる。
誰が何を守ろうとしているのかが、すでに分からなくなっているこの戦争は、まだ、終わっていない。
映画への不満は、これらを、あまりに情緒的な追憶の物語風にしてしまっていることです。ドキュメンタリーって呼びたくないよ。