天気の子のレビュー・感想・評価
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ファンタジー感動作。
主人公二人の家族が全くでてこないから途中までなんかしっくりこなかったんだけど後半になってそれがふたりのきずなを更にきわだたせることになってた。君の名はがヒットしすぎて二番煎じ的な感覚になるけどこちらはこちらで傑作。
に、しても、人気役者は声優に使ってほしくないなー。
評価が難しい映画
『天気の子』は評価をするのが難しい映画だと思います。
実際、上映後の映画館では「すごい良かった」という声があった一方で「思っていたのと違った」という声も聞こえました。
自分の中でも面白かったのかつまらなかったのか今でもよく分かりません。
そんな中でただ一つ感じたのは生々しい映画だということです。
某求人サイトの街宣車などを含めて数多く出てくる実際の企業のロゴと緻密な作画が相まって、映画の中の世界をリアルに感じることができました。
だからこそ、序盤の帆高の辛い状況や終盤の逃避行のシーンがとても生々しく映ります。
この映画は賛否がはっきり分かれる映画だと思いますが観て損はない映画です。
新海監督の作品は初めてだったのですが、『君の名は。』など他の作品も観たいと思わせられたすごい映画でした。
ちがった良さ
RADWIMPS×新海監督だとどうしても君の名はと比べてしまう気持ちで見始めたが、全然ちがう雰囲気でとても楽しかった!
ストーリーを雨女ということしか知らずに見に行ったので少し意外な内容だったが、映像が前回にも増して綺麗になっていた気がするし雨の雰囲気ととてもマッチしていて感動した。
君の名はとはまたちがった良さでどちらも好きです。
感動しました
君の名はと比較して観てる方が多いので、比較して観てしまうとまずこの映画の良さは分からないと思いました.
映画なので賛否両論当たり前なんだけど、単純に良い作品でした.
様々な年代の方の様々な価値観で観ることでこの作品の価値が形成されていくと感じました.
過激な内容もあり、未成年には良くないシーンもあったけど、この狂った現代社会に対しての強いメッセージ性が伝わってきて、最後の洋次郎さんの歌詞と物語とのマッチング具合や儚い歌声が綺麗過ぎて複数回観たいと思う作品でした.
風景画の素晴らしさ
風景が本当に綺麗で写真なのか映像なのか分からなくてなるくらいリアルでした。
新宿もあそこだって分かり景色を見る楽しみもありました。
風景画の凄さは新海作品では欠かすことの出来ない要素だと思います。
神木隆之介さんの瀧くんはあれから数年経ってるので声が大人になってて感動しました。
笑いあり恋愛要素もあり物語に凄く引き込まれました。
大人でも子供でも楽しめる素敵な映画です。
賛否両論というけれど…
エンディングで賛否両論、と言われる所以は「愛する人か、世界か」を論じているのかな、と思います。
その点においては、美しいエンディングでした。
「自分たちの選んだ世界で君を愛する」。
素敵だと思います。
世界なんてそうそう変えられないし、そんな責任を誰かが追う必要なんてありませんし。
純粋に、映画の題材としても、カッコイイ。
しかしながら鑑賞中の心情は、「いや、世界救うかどうかはさておき、犯罪者にならない方法はあったんじゃないか??」という時点で置いてきぼりになってしまいました。
「世界の天候を変えてしまった」ことなんて、彼らがあの事件の後、生きていく上でなんの意味もないでしょう。
ですが、「補導歴があること、逮捕はされなかったけど、重大な犯罪を犯したこと」は、彼らの人生を一変させたはずです。
実際、刑事が途中「彼は人生を棒にふった」と言っていましたよね。
しかし、あのエピローグでは平々凡々な学生に戻っており、犯罪を犯した代償は、「愛する人と3年間会えなかったこと」のみ。そんなことがあり得る「世界」に納得できる大人が一体どれだけいるのでしょう。
世界に楯突く少年を描くなら、それだけの代償も考えてほしかったです。
あれだけ「現代社会」に似た世界を詳細に映像で表現しておきながら、
「現代社会を模したシステム」があまりにお粗末すぎます。もはや夢オチだといってほしいくらいの御都合主義。
「雲の上に世界があって、天気を変える巫女がいる」というファンタジーは許容できても、「就職活動中であったり、親権の申し立て中なんて微妙な立場にある成人が、公務執行妨害を始め、様々な犯罪を犯した後、3年後に幸せにくらしてます」なんてファンタジーは許容出来ません。
主人公はエピローグで「天気を変えてしまったこと」を反省してますが、「多くの重大な犯罪を犯したこと、周りの人間も巻き込んだこと」に対しては特に何かを感じている様子もなし。
あれだけの犯罪をして、エピローグでそれ相応の生活になってしまってるなら、納得も出来ます。
それらをきっちり清算しての、あのエンディングなら、私はきっと涙して絶賛していたと思います。
私は本作の「気持ち悪い駄作」だと感じましたが、それは「監督の性癖てんこもりだから」ではなく、「整合性ガン無視で違和感ありありの妄想」だからです。
いくらあれが「妄想を描いたファンタジー」だとはいえ、「物語と世界観の整合性」は無視しないで欲しかったです。
天気なんて、狂ったままでいいんだ!
今回は新海誠監督の最新作ということで鑑賞させていただきました。自分の見た感想ですが文句の付けようのない素晴らしい作品でした。新海誠誠監督の作品は何作か観させていただいていますが、今回も素晴らしいクオリティーでした。私は19日の公開日にハイレゾ音源でサウンドトラックを購入していたので曲が流れた時に興奮してしまいました。観るのは一週間遅くなってしまいましたがw。女性ボーカルも最高です!!私の場合ですが「君の名は」を観たときは一回で全ての伏線や話の内容を理解することは難しくモヤモヤしました。しかし今回はメッセージ性も分かりやく非常に素晴らしい作品でした。自分も高校生で学生なので主人公がもがいているシーンが印象的で心に突き刺さりました。広告が多いとも言われていましたが私は気になりませんでした。特に新海誠監督さんのファンではありませんでしたがファンになってしまいました。素晴らしい作品をありがとうございました!!
駄作
映像が綺麗な所と音楽がいい以外見所全くなし
ストリーが滅茶苦茶酷い、高校生が凶悪犯罪オンパレード
何と拳銃を刑事の頭に向け発砲、殺人未遂、しかも2度も発砲
何の意味があるの、高校生が売春、ラブホ利用子供達にはとても
見せられない酷い作品です。
この作品を理屈をこねくり回して絶賛しているのが理解出来ない。
泣けるシーンなど一つもない。
TV毎日ようにこの映画のCMが流されていて膨大な資金を費やしているので1度は見る人は多いがリピはないですね。
次作を期待しています。
心あらわれる映像美と音楽
夏休みということもあってか名古屋の映画館では珍しく満席に近い状態でした。うん、映像音楽も音響もストーリーも素晴らしい新海誠監督の世界観にどっぷり浸かることができる作品だと思います。特にこのところ不安定な空模様が続いて、代償なしに晴れ女・晴れ男の機能が発揮できたら嬉しいなぁなんて思ってしまいました。(明日仲間うちでのBBQを控えて)特に雨の描写から晴れる展開の映像の美しさ、またシーンごとに入り方を相当試行錯誤したと感じられる楽曲、またそれを圧倒的に効果的に聴かせてくれる音響効果!是非映画館での鑑賞をお薦めします。たくさんの素晴らしいスタッフと監督のタッグで完成した作品だと思います。アニメに詳しい方ではありませんが日本のアニメの素晴らしさを世界に伝えられることを誇りに思う今日この頃です。
中盤から襲う異様な不快感
観に行ったこと自体を若干後悔もしていますが、もし観に行く前の方に何か言うとしたら、「映像美以外の何にも期待するな」でしょうか。
前半は、所々引っ掛かりを残しつつも、ボーイミーツガールの青春モノとして楽しめました。
ですが後半は、登場人物の行動原理に一切感情移入できず、思わず顔を歪める不快感…。
主人公たちと一緒に、泣いて、笑って、ハラハラして…といった「感動」を求めていた点においては最悪としかいいようがありません。
映像美や、登場人物のくだらなくも可愛らしいやりとり…そういった素敵だと思える点の全てを吹っ飛ばす気持ち悪さでした。
私は、映画としてこの作品を面白いとは思えません。
余計なことを考えずファンタジーを楽しめる子供は純粋に楽しめそう。 ...
余計なことを考えずファンタジーを楽しめる子供は純粋に楽しめそう。
敵役として警察や行政を持ってくるのは違和感を覚えた。最近多い気がする。子供を主軸に舞台を現代社会とするとそうせざるを得ないのだろうか。
それから繁華街に暮らす子供を描くにしては中途半端だった。
人柱の少女とそれを救いたい少年を描くのに裏社会をチラ見せ程度に描いたのはどういう意図からなのか是非知りたい。穂高の背景がほとんどわからなかったので彼の行動が本当にわからなかった。
結末は良かった。
当人たちからしても世界からしてもメリーバッドエンドというところ。
瀧と三つ葉が出てきたことで君の名はとの関連性から想像や考察ができそうだ。
ただ前作と地続きの話だとすると、前作のラストシーンと矛盾する。ただのファンサービスであって、天気の子はあくまでパラレルワールドなのだろうか?そうならば残念だ。
また、せっかく憧れの東京に出てきた彼らが水害に巻き込まれていると思うと哀れだ。
そしてもし次の人柱が現れたら、彼女とその回りの人々はどのようなわ選択をするだろうか。
再レビュー 新海誠の世界だった
前作の[君の名は]とは違い、大衆向けの内容でもなかったと思います。監督が仰っていた通り、賛否両論ある内容でした。
自分的には有りです。10人同じ感想にならない、とても良い映画です。
ただ一つ言わせてもらうと、前作との結びつきは無くても良かったかと...それだけ気になりました。
再レビュー
2回目を見に行きました。
1回目見たあと、CMや主題歌を聞いている内に、改めて見たくなり見に行きました。
1回目の時よりストーリーやキャラクターの感情が理解出来て、2回目の方が感動してしまった...w
レビューやSNSでこの映画を面白いと感じる人を非難したりするコメントをよく見かけます。
映画自体を非難することは分かりますが、面白いと感じることや、つまらないと思うことは自分だけの感性や感情であり、誰かに非難される筋合いはないと思います。
自分は面白いと思いますし、前作より好きです。
駄文悪しからず。
『代償』の存在する世界
映像美、音楽、声優(俳優)さん達の演技、ストーリー。それぞれ総合した点数ですが、この場にはストーリーに対する感想(というか極めて個人的な考察)を書きます。
前作『君の名は。』はとても好きな作品です。しかしひとつ引っ掛かったのは、瀧くんと三葉が行った現実改編には代償が伴わないんだな、ということ。
起こってしまった悲劇を、過去に遡るなりして無かったことにする。比較的ありふれたストーリーだと思いますが、同時にこういった物語で描かれがちなのが『現実を作り替えたことによる代償を支払わされる』という展開だと思います。
現実を生きる私たちには、過去に戻ることも、犯した過ちを無かったことにすることもけして出来ません。『やり直すことが出来ないからこそ、今を必死に生きなければならない』というメッセージの裏返しとして、こういった展開は描かれるのだろうと思います。
今作『天気の子』もまた、起こってしまった悲劇を無かったことにする物語です。それも隕石落下のような誰の過失でもない自然現象ではなく、主人公の選択の結果として起こる少々自業自得にも思える悲劇をです。そしてこの現実改編には、大きな代償が伴う。しかもこの代償を支払うのは、主人公やヒロインではなく世界全体です。
主人公とヒロインの選択により、失われた『普通』の東京。今日結婚式を開く誰かのため、花火大会のため、喘息に苦しむ子供のためにも晴れていなければいけない東京の空が、もう永遠に晴れない。では、帆高の選択は誤りだったのか。彼らは自分勝手な選択をしたのでしょうか。
そうではなく、私はそもそも『普通の東京』こそが普通ではなかったのではないかと思いました。瀧くんのお祖母さんが言っていた通りです。元々沼地だった江戸を誰かが干拓し、造成して今の東京を作り上げ、それがいつの間にか『普通の東京』になったように、私たちが胡座をかいて『普通』と思っている全てが実は普通などではないのではないか。普通を成立させるためには、影に誰かの努力があり、犠牲があるのかもしれない。けれどそれが想像されることはほとんどない。
ふと思い浮かんだのが、かなり毛色の違う話にはなりますが、24時間営業コンビニについての労働問題です。働いている人がもう無理だと声をあげなければ、私は夜中も開いているコンビニをごく当たり前のものと思って生きていただろうし、それを成立させる苦労も知らずにそれが普通だと思っていた。
それと同じように、もしかしたらあの世界でも、ここ百年あまりの人間にとっての『普通』を維持するために、毎年陽菜のような生贄が捧げられていたのかもしれません。
人知れず生贄に選ばれた陽菜、彼女は前科者になってでも(あるいは殺人者になってでも)自分を引き留めようとする帆高がいなければ、きっとこの世界には帰ってこられなかった。何かの犠牲にされるとき、人が一人でそれに立ち向かうのはとても難しい。
たった一人の犠牲で普通が維持されるならむしろ大歓迎。須賀がそんな意味のことを言っていました。酷いことを言うなと思いましたが、しかし冷静に考えてみれば、現実も大体同じように回っている気がします。青い空の見える世界が普通、それが維持されないとみんなが困るとなったら、少しくらいの犠牲は仕方がない、あるいは当然のこととみなされる。
身近な誰かが晴れ女になってしまったとき、永遠に『普通』が訪れなくてもあなたが幸せならそれでいいと言える自分でいたい。けれど同時に、もし自分に須賀のように喘息で苦しむ娘がいたら。誰かの犠牲を黙って見過ごすのではないだろうか。
自己責任論が声高に叫ばれ、自分のしたことの責任は取れと強いられるわりに、自分ただ一人のためだけに生きることも許されないこの社会で、見えない人柱に気付くということ、せめてそれを想像しようとすること。その必要性を、私はこの映画のテーマとして受けとりました。
陽菜も帆高も、加藤浩次も、トニー・スタークにならなくていいんだよ。
『君の名は。』みたいに泣かなかったけど、どっちかと言えば『天気の子』のほうが好き。
「圧倒的な映像美と音楽の相乗効果で感動を楽しめる!」的な話は、たぶん公開初日に3億人くらいの人が言ってるだろうから書かない。…と言いつつ書くんだけど、確かに映像表現として「街・空・雨・日差し・雲」のキレイさは目に快感だし、RADWIMPSの音楽にもエッモエモに盛り上げられるし、さらに公開時期と作中の季節感がぴたっと合ってるし、「夏休みエンタメ」として映画館でたくさんの人に観られたらいいと思う。
作中に『君の名は。』の2人がちょい役で出てくるとか、ソフトバンクの「犬のお父さん」が2回チラッと出てくる(ちゃんと見つけれた!)とか、そういうイースターエッグも楽しくていいんじゃないかな。個人的には物語への没入感を削がれるのであんまり好みじゃないけれど。
今作は、主人公帆高がヒロイン陽菜に恋する“ボーイミーツガールもの”のように見えて、実はそれほど恋愛映画じゃないから、『君の名は。』的な感動を求めて観る人には、少し物足りないかもしれない。
どちらかというと『天気の子』は、主人公帆高が自立を目指し、他者と関係を結び、自分の居場所を決めるまでの“少年の成長もの”という要素が強かったのかな。個人的にはそっちのほうが好みだから、僕には良かった。
『天気の子』を映画館に観に行く価値としては充分だし、満足。
加えて僕がいちばんグッと来たのは、宇多丸さんをはじめ多くの作品評でも触れられているように、「新海誠がセカイ(系)について自己言及して、自己相対化を経て、世界へと再定義していること」だと思う。なかなかにチャレンジングなことだと思うけど、ちゃんとエンタメ大作としての役割を踏まえた上でやってるのがエライなと思う。「セカイから世界への再定義」は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で庵野秀明もやっていたことだと個人的には認識しているんだけど、あまりに突然のド直球すぎて阿鼻叫喚の地獄絵図だった(笑)。それはそれで面白かったけど、さすがに新海・川村(元気)コンビはやり方がスマートだなと感心した。
ちなみに“セカイ(系)”についての定義と評価はこんなところか↓。
【セカイ系とは「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」であり、代表作として新海誠のアニメ『ほしのこえ』、高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作があげられた。
「世界の危機」とは全世界あるいは宇宙規模の最終戦争や、異星人による地球侵攻などを指し、「具体的な中間項を挟むことなく」とは国家や国際機関、社会やそれに関わる人々がほとんど描写されることなく、主人公たちの行為や危機感がそのまま「世界の危機」にシンクロして描かれることを指す。セカイ系の図式に登場する「きみとぼく/社会領域/世界の危機」という3つの領域は、それぞれ「近景/中景/遠景」(別役実による)や「想像界/象徴界/現実界」(ジャック・ラカンによる)といった用語に対応させて言及されることもある。
こうした「方法的に社会領域を消去した物語」はセカイ系諸作品のひとつの特徴とされ、社会領域に目をつぶって経済や歴史の問題をいっさい描かない点をもってセカイ系の諸作品はしばしば批判も浴びた。つまりこの時期にはセカイ系とは「自意識過剰な主人公が、世界や社会のイメージをもてないまま思弁的かつ直感的に『世界の果て』とつながってしまうような想像力」で成立している作品であるとされている
(中略)
これらのセカイ系作品については前述したように社会領域を描いていない点を批判された他、集英社コバルト文庫の看板作家だった久美沙織はセカイ系作品をとり上げた際に、少年が戦闘せずにそれを少女に代行させ、その少女から愛されて最後には少女を失うという筋書きは「自分本位の御都合主義で、卑怯な責任放棄」に過ぎないと述べ[18]、評論家の宇野常寛は「母性的承認に埋没することで自らの選択すらも自覚せずに思考停止」していると断定した。
[From セカイ系 - Wikipedia]】
“セカイ(系)”についての是非や議論は、2000年代に終息した感じになっていたけど、2016年の『君の名は。』によって、新海誠の作家性や童貞性(!?)、そして東日本大震災の文化的克服論と共に、再度「セカイ系」という文脈が語られていたように記憶している。乱暴にまとめると、「『君の名は。』はバカ受けしたけど、やっぱ新海誠なだけにセカイ系だよね!」という感じかな。
そのへんの評価に対しての新海誠の回答として、本作『天気の子』のラスト展開があったということが、グッと来たところ。
「セカイの中心でアイを叫ぶきみとぼく」は、確かに自分本位の自意識過剰なヒロイズムなのかもしれない。でも世間や社会がアテにならない閉塞感や煮詰まり感もある。「共同幻想と自己幻想の逆立」的な正しさのもとに、個人の犠牲に無頓着なのは「社会領域」だって一緒じゃん、政治に文句は言うけど、半分以上は選挙行かねー社会なんだもん。
“愛にできること”は、地球や世界を救うことではないし、「セカイか?きみか?」の二択問題に正解を選ぶことじゃない。この世界できみと生きていこうとする、私的で小さな勇気だ。その勇気を奮い起こすのが「セカイ系的な情熱」なら、それはそれでいいじゃん?若いんだもの、大丈夫。
だから出発点は「きみとぼく」でいいんだ。そして「きみとぼく」だけで生きていけないことはわかってる。だから「きみとぼく」で生きていこうと決めた場所を、居場所として受け入れることができれば、それは“セカイ”ではなくて“世界”になる。
『天気の子』はそういう話だったんじゃないかなと、僕は思う。
陽菜も帆高も、加藤浩次も、トニー・スタークにならなくていいんだよ。
アニメのいいところは現実にない色彩や効果を表現できる点です。しかし...
アニメのいいところは現実にない色彩や効果を表現できる点です。しかし異世界すぎる内容ではしっくりしません。この両方がマッチした新海監督の作品は前作『君の名は。』からだと思います。
今作も本当に美しかったです。
強いて言えば本田翼さんの声は合っているのに当てるのが下手だという点が残念でした。
掘り下げ不足、終始ハテナが頭上に浮かぶ
映像が綺麗なお陰でそこまで退屈ではなかったのですが、主人公の帆高は終始ヒロインやお世話になった人や警察に追われてもなお頑なに「地元には帰りたくないんだ。」の一点張り
多分深い事情があるんだろうなあ、ネグレクトとか虐待とかいじめかな?って思い中盤や最後で掘り下げてくれると思いきや最後警察に捕まり、普通に地元で三年保護観察と卒業式を迎えて、何故そこまで地元に帰りたくなかったの???と尚更主人公にむかつきました。
主人公が大人しく最初地元に帰ってれば小栗旬のキャラや本田翼のキャラ、ヒロインの人生を棒に振ることは無かったでしょう…。
天気の巫女に関しても掘り下げ不足を感じました。適当にサブキャラクターにそれっぽい厨二ワードを並べて解説感が半端無かったです。
主人公に感情移入出来れば多分泣けると思うし面白いと思います。ただ、君の名は。の瀧くんのやさぐれた現代っ子の子供感とは違い本当にただ私利私欲自分のワガママだけでお世話になった人の恩を仇で返す、一人の女に狂ったサイコパス童貞というイメージしか沸きません。
どちらかと言えば大人側に感情移入できる映画でした。
そりゃ急に「この夏の晴れが帰ってきたのはヒロインが犠牲になったからだ!!」って叫びだしたら頭おかしくなったのか?って普通思いますよね。
感受性豊かな方や子供なら感動できるのかなーって思ったけど、あまりにも重い犯罪と聖地巡礼には向かないラブホ街連発で子供にはすすめたくない映画です。
歌詞が最重要🙆
セリフだけに気をとられては本質がわからないですよね。
RADWIMPSの歌に感情移入すると、すべてが判ります。
相互に作成した今作はとても重要です。
君の名は、とはリンク度がまったく違うから❗
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