「もやもやする。子供の貧困に眼が行ってしまう。」天気の子 aoiさんの映画レビュー(感想・評価)
もやもやする。子供の貧困に眼が行ってしまう。
ネガティブな記事です。
ファンの方は読まないことをお勧めします。
本当に、映像は美しいのですが、
どうしてももやもやしてしまい、
そのもやもやを考察したくて書いています。
同じくもやもやする方がいれば、考察の一助になれば幸いです。
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拍手喝采はできなかった。
映像は美しい。
美しいアニメの巨匠が日本から発信しているのは素敵だ。
でも、なぜだか、もやもやが残る。
何で、もやもやするのか?
それを自分の中で考えてみた。
異世界と繋がるのは未成年、純潔な男女、人の手前の神からの預かりもの授かりものの子供。
そこまではすべての物語と同じ。壮大な背景だと思う。
別に、ジブリと比べる必要はないのだけれども。
ジブリ的なものとの違いが痛切で、見ていて悲しかった。
「ジブリ的なものとの違い」という言葉で私が言いたいのは、たぶん、子供が子供でいられる世界。
子供が不思議の中で成長できる世界。
この物語が持つ非ジブリ的なものは、おそらく、福祉のなさ、長老の不在。
もう、ジブリ的な王道の甘やかなお伽話は、現代では求められていないのかもしれない。
そんな綺麗ごとは、勧善懲悪は、長老的なものは、この世には存在しない。
それが現代のリアルなのかもしれない。
この話が人気だというのは、そういうことなのかもしれない。
今どきの話には、現代の貧困とある種の自閉がある。
それが現代性なのかもしれない。
パラサイトや万引き家族が、アジアの代表作になってしまうことに、私は、苦痛と恥ずかしさを感じる。
こんなに生きづらく息苦しい物語が、私たちが暮らす街の、現代の抽出だということが、苦しい。
そこを見事に掬い取っているのだけど、強烈なのだけど、それを見てみないふりしてやり過ごしている人間たちがいる以上、冷徹な映画の眼でそれを抉ることが重要なのだろうけれど。
生まれた国が、苦しい街になってしまっていて、悲しいと、いつも思う。
天気の子も、その系譜に連なる物語だった。
見ていて、ずっと不安だった。
家出や死別で、子供が社会に遺棄されていて、犯罪すれすれのところを渡り歩いている。
保護者は行方不明者届を出しているし、民生委員は遠巻きに見守っているけれど、子供たちは心を閉ざしている。
子供が一人で危ないところを歩いているのを見るのは、ひりひりする。
唯一、手を差し伸べる大人は、妻を失ってあの世に近しく、オカルト雑誌の記事を書きながら、不安定な暮らしをしている男。
異世界に近い男が、異世界の住人である閉ざされた子供たちとの橋渡し役になる。
これがきっと昔の物語なら、橋渡し役になりうるのは、天に近づいた老婆や大地に根付いた大老なのだと思う。
橋渡し役は、優しくて共感力があるのに、弱くて悲しくて迷いのある大人。
頼り切ってはいけない、迷惑をかけてはいけないと、子供に思わせる、影の薄い大人。
また、多くの物語で、子供は「奇想天外なタブー」を犯して、世界と繋がる。
この物語の子供は、クライマックスに自然と繋がる扉を開くために、警察から逃走して線路を走る等の犯罪を犯す。
「身近な子供がうっかり手を染めてしまいそうな犯罪」を犯してしまうところも、不安を煽る。
そして、小さな子供同士の、二人きりの小さな恋愛と、壮大な天気の物語が、
私にはどうにもうまく、咀嚼しきれなかった。
ひたすら、映像は美しい。
でも、どうしても、もやもやが残る・・・。