「主人公の選択がもたらすものの違い」天気の子 じゅんちさんの映画レビュー(感想・評価)
主人公の選択がもたらすものの違い
前作「君の名は。」の記録的大ヒットの後とあって、今度はどんな作品が見られるのかという期待と、あの非現実的とさえいえるほどのヒット作を上回ることができるのかという不安とがぼくの中にはあった。
結果は、本当に驚かされたいい映画だった。
少年が少女と出会い、救われ、彼女を守り助けるために一人戦い、最後に少女を救う。
その大筋は「君の名は。」と同じに感じるかも知れない。
けれどこの二つの作品には大きな違いがあった。
前作君の名は。では、主人公瀧がヒロインの三葉を救うことがそのまま糸守という町を救う事とつながる。
彼らの行動は全ての人を救い、全ての人から感謝され、称賛される。
二人は数年の時を経て運命的に再会し、幸せに結ばれる予感を残して観客から祝福されて幕が下りる。
しかし今作はそうではない。
天気が狂い雨が降り続く世界で主人公帆高はヒロイン陽菜と出会う。
祈るだけで天気を晴れにできる陽菜は「天気の巫女」であり、やがて彼女は世界を晴れにすることと引き換えに生贄となって消える。
その運命にあらがって帆高は陽菜を救い出し、それによって世界は再び雨に沈んでいく。
彼らの行動は、他の誰にも利益をもたらさないどころか不利益でしかないのだ。
それでも、たとえ世界を敵に回しても、自分の一番守りたいものを守ったっていいんじゃないのか?
これこそがこの映画のテーマだ。
我々人間は社会的な生き物だ。
常に一定の我慢を要求され、公共の福祉に利することを求められる。
隣にならえの風潮強い我が国では特に、「同調圧力」という言葉に表されるように、時として自分の願望よりも大勢の利益を優先することが美徳とされる。
そんな社会や風潮に対して、ノーを貫いたっていいじゃないか、と呼びかけるのがこの作品だ。
彼らの行動で世界はなにもよくならない。
それでも主人公は最後に叫ぶ。
「ボクは選んだんだ。あの人を、この世界を、ここで生きていくことを」
世界の全てを敵にしても貫きたい、守りたい大切なもの。
そのかわり、自分の選択の結果に責任をおわなければならないこと。
そういうことをこの映画から感じ取った。
エンターテイメントとして、見せ物としてはもしかしたら君の名は。のほうが面白いかも知れない。
けれど、社会に対する挑戦的なメッセージ性という意味で、最高傑作の一つに数えられるべき名作であると僕は感じる。