「それでも世界は終わらない」天気の子 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
それでも世界は終わらない
クリックして本文を読む
この映画は「私-世界がシームレスに関係し合う」というセカイ系的論理を愚直なまでに採用しているが、帆高の選択が表層では世界の破滅を招来しながらも実際にはいかなる影響も及ぼしていない(東京は確かに水没したが、その後も東京は東京という都市としての機能を喪失することなく駆動し続けている)という点においてむしろセカイ系作品に通底する「私こそが世界である」という傲慢な世界認識の虚構性を暴いている。「世界の破滅というのは結局『私』が自分自身の内面において世界という他者を無限に肥大化させる空疎な妄想的営為に過ぎない」という諦観こそがこの映画の本旨であり、それによって我々はセカイ系的自閉性の外側へと開かれていく。我々は「私-世界」だけで構成された極小の箱庭からあらゆるノイズが横溢する無辺の社会生活へと踏み出さなければならない。2010年代とはそういう時代なのだ。セカイ系を標榜し続ける自閉的オタクたちへの警鐘として、またLINEやらInstagramで日々無数のコミュニケーションを交わし合う若者たちへのささやかな肯定として、この映画は明確に現代的意義を持つと考える。
ただ、ジェンダー的感性だけはゼロ年代の頃から一切進歩しておらずそこだけは本当に気持ちが悪い。さすがに「それさえもゼロ年代的女性観に対するアイロニーの一環だ」とは擁護できない。
コメントする