「綺麗な物語にはない歪で純粋な美しさ」天気の子 えごしさんの映画レビュー(感想・評価)
綺麗な物語にはない歪で純粋な美しさ
ふとレビューを見ると大人になった方々の低評価が目につき、子供の私も感じたことを書こうと思う。
帆高は殴られたら発砲するくらい向こう見ずな少年である。そんな穂高の物語なので天界の秘密や家出の理由なんてさして重要ではないのだ。(陽菜の首飾りや帆高や須賀の指輪など物語を理解するのヒントとなる描写はある程度あるが)説明されていない点は物語にスキを生み出し、そこに違和感を覚える人が多いようだと低評価レビューを見て感じた。
二回目の発砲は社会との後戻りのできない対決を表す決定的なポイントだったと感じた。対決とはいっても正義は社会(警察)にあるわけだが。
穂高の行動は陽菜を救うために様々な無茶をする。当然、穂高の行動は常識的な目線から見ると犯罪行為が多く、陽菜を救う以外の理由で彼の犯罪行為が正当化されなかったのは非常に良かった。帆高はあくまでも間違った行いをしている。
世の物語は大概、正しい行いは正しい結末に終わる。しかし世の中はそんなに甘くはなくどれだけ努力をしても報われないなんてことはざらにある。どちらかを選びどちらかを捨てなければならない時、世界を敵に回してでも守りたいものがあるのはシンプルながらも心揺さぶられるものがある。
そもそも世界はそれほど大切なものなのか。最後の須賀の発言にあるように、社会に起こる不合理はしょうがないで片づけられてしまう。無意識のうちに我々は誰かの悲劇をしょうがなかったこととしてスルーしてはいないだろうか。世のために犠牲になることは今の日本では当たり前の風潮であって現代の息苦しさに繋がってはいないか。
東京は物やサービスに溢れる現代の豊かさの象徴である。しかし帆高も陽菜も貧困を極め豊かさを甘受しているとは言えない。今の日本は努力をしても報われない社会に徐々になりつつあるが、それは帆高や陽菜のような若い世代のせいではない。それでも社会のために若者に犠牲を強いるのは当たり前で正しいことなのか。帆高の行動を理解できなかった人たちに問いたい。
最後に流れる「大丈夫」は間違った選択の先にある不安と、間違った選択をしてでも好きな女性を救った自信が共に存在するあのラストの場面に非常にマッチしていたし、不穏で不安定な未来を感ぜられて最高のラストだったと思う。