「人柱という日本社会の悪習」天気の子 Hirotoさんの映画レビュー(感想・評価)
人柱という日本社会の悪習
本作では「君の名は。」から物語の構造はそっくり継承しています。理不尽な運命に翻弄されるヒロインを、主人公が救済するという。この物語の構造を器に例えるなら、盛られた料理は「君の名は。」とは全く別物です。
キーワードは「人柱」です。「君の名は。」の主人公とヒロインは、高級レストランでバイトし、洒落たカフェで、豪華にデコレートされたパンケーキに舌鼓を撃ってました。本作では主人公もヒロインもバイトは怪しげな編集プロダクションの雑用にマ〇ドナルド。挙句、ヒロインは売春をさせられそうになります。食べるものはポテチやインスタントラーメンのようなジャンクフード。現実世界では、彼らのような人々は貧困層として希望を失い、ただ生きるために公の福祉制度に繋がる他はない。ネットで「ナマポ」などと蔑まれる対象、即ち「人柱」となるのです。
しかし作品世界では、主人公は勤勉でモラリストです。ビジネスセンスがあり、モバイル端末でホームページを開設するスキルや粗削りながらライターとしての才能もあります。何よりヒロインが美しい!ありあわせの材料で、ハレの料理をテキパキと作って主人公をもてなし、ラブホで風呂上りの色っぽいバスローブ姿を披露するなど、思春期の男子の妄想を具現化しています。女性は「美しい」のでなく「美しくなる」のです。丸山眞男ではないが、「である」のでなく「する」のです。こんなことは希望を失った現実世界の貧困層ではありえない。
しかし作品世界においても、有能な主人公と美しいヒロインといえど、「人柱」の運命は避けられない。主人公は「反社会」の立ち位置に追いやられ、ヒロインは異常気象を鎮める文字通り「人柱」となったのです。その意味では、就活で「御社が第一志望」を連呼させ続けられる夏美も「人柱」の変種です。貧困層と夏美のような若者が総「人柱」化することで日本の社会が成り立っている、この悪習にいつまで縛り続けられなきゃいけないのか、これに対する主人公とヒロインがラスト近くで採った決断の結果、東京は一応大変なことになるのですが、登場人物は誰も特に困窮することになったわけでなく「日常」が続いたのです。かつて三島由紀夫は昭和20年8月15日以降も「日常」が続いたことを嘆いたが、主人公とヒロインが決断した結果として、それに対する「開き直り」も有り、というのが本作の主題です。
最後に、協賛企業の「押し」が作中キツ過ぎで辟易、との評がネット上で散見されますが、これも新海監督の「戦術」のような気がします。貧困層や若者を「人柱」にするのはもうやめろ、という本作の主題に同意するね、と協賛企業に踏み絵を踏ませているのではないでしょうか?私は本作の主題に激しく同意しました。