「エヴァへの挑戦状」天気の子 みねやまちどりさんの映画レビュー(感想・評価)
エヴァへの挑戦状
「こんなモノ知るか…!」と『責任』も『運命』もぶん投げた「セカイ系」のカタチの提示。少なくとも私にとっては新鮮で爽快で気持ち良い作品だったけれど、一方でブチギレる人が多数居てもおかしくない、本当の意味で「賛否両論の」映画ではないだろうか。
正直、ほだかの選択は全く共感ができない。私は(例のすがに関する考察の通りなら)、すが側の人間で、この世に生きる殆どの人間もこっちのタイプだ。「仕方がないことは潔く諦める」「自分(たち)が犠牲になることで他人が救われるのならそれでいい」。私はこの指標に従って、多かれ少なかれ苦しみながら生きてきたし、これからもきっとその姿勢が変わることはないだろう。
一方、ほだかたちは、その常識に風穴を開け、私が取りたくても取れなかった選択肢をいとも簡単にとってしまった。おそらくその点に賛否の境目がある。私は、そこが爽快で仕方がなかった。理想が見れたことが嬉しかった。一方、現実で耐えて苦しんできた人間であればあるほど、このほだかたちの選択は自分勝手で許せない。
今まで多くのクリエイターたちが「セカイ系」と言われる分野の中で、「自分の理想を押し殺して人(の理想)のために生きていくこと」と「そこに至るまでの葛藤・苦しみ」を描いてきた。それこそが作品の「面白さ」であり、同時になんとも言えない「閉塞感」の原因だった。
しかし、『天気の子』はその道から外れ、新しい道を示した。つまり『天気の子』は「今までセカイ系作品」に対するアンチテーゼ、もしくは挑戦状と言えるのではないか。(要は「逃げちゃダメだ」の状況の中で「逃げた」のが『天気の子』なのだ。)
新海監督は『天気の子』で、今まで名だたる監督たちが長い時間と労力をかけて描き続けてきたものに対し、堂々喧嘩をふっかけたように見える。この点が本当に面白い。
私は今まで、新海監督は彼らの後継になろうとするものだとばかり思っていた。しかしまさか真っ正面から対抗するような作品を作ってくるとは…(!)。新海監督は、現代の東京を美しく描ける唯一無二の監督だという話を聞くが、まさにそういうところなのではないだろうか。
関連して、物語「後半」が「本編」なら「前半」は一体何の意味を持っていたのだろうか?ただの長い導入なのか、それともやはりなんらかの大きな意味を持つものだったのか。
少なくとも前半部分は単純に見ていて楽しかった。これだけの「盛り上がり」を複数ポイント、決して長くはない尺の中で作れるのは本当に凄い。映画の前半と後半で「楽しい/面白い(興味深い)」の棲み分けがなされていた気がする。だからこそ、この映画の「より前半が好き」な人と「より後半が好き」な人がいるのだと思う。
色々伏線らしいモノがあった。気になる描写もあった。小説読んでインタビュー読んで考察読んで満を持してもう一回(もう二回?)観よう。あと、今まで何となく避けてきた「本格派セカイ系」作品をじっくり見て比較してみたい、と思った。
以上。異論は滅茶苦茶認める。
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普段あまりレビューを書き込むことはないけれど、『天気の子』については人の意見を色々聞きたい、と思える程度の非常に面白い映画だった。ぜひ、多くの人に観て欲しい。