「優しい物語をありがとう。でも……」天気の子 shimuniiさんの映画レビュー(感想・評価)
優しい物語をありがとう。でも……
熱量のままに、映画とは関係のないことも書かせていただきます。
まず最初に2つのことを言いたいです。
優しい映画をありがとうございました。
そして、様々な苦悩を経てここにたどり着いたスタッフの皆さん。お疲れ様でした。
今では優しい物語だなと思ってはいます。けれど、1度目に見たときには怒ってしまいました。
私は10代の人間です。
私は「元々狂ってた」世界に生まれました。気づいたら、自国の財政は大変なことになっており、環境はズタズタになっていました。
物心付いたときから東京の夏は36度を超えるものだと思い、一年に台風が何個も来るのは当たり前だと思って生きてきました。突然のゲリラ豪雨に電車が止まるのは、少し嫌だけれど。それでも実体験として、それ以外の世界を私は知りません。「記録的〜」という異常気象に対する表現が、なんだか誇らしく感じてくるほどに、この狂った世界は私にとっての一部でした。
そして、上の世代に「今の子どもたちは可愛そう」と言われるたびに、自分たちは美しくない世界を生きているのだと思って生きてきました。
進歩する時期があれば、衰退していく時期がある。私はその衰退期に生まれてしまったと思っていました。
私は……どこかで上の世代を憎んでいます。
どうして誰も手を打たなかったのか。どうして何もしようと思わなかったのか。自分たちが、次の世代の"原因"なのだと、どうして思ってくれなかったのか。はやる気持ちに任せ、若さに任せ、世界にも、庭先のごく小さな草花にすら目を向けず、ただ大切な人と生きるためだけに必死だったと叫ぶ大人を、私は見て生きてきました……。
私の思春期、反抗期は自分のことしか考えられない大人たちへの反抗でした。
自分のことしか考えない大人にはならない。相対化の視線を常に持ち続けられる人になろうと思って生きてきました。
そんな私がこの映画を見ました。
作中の「世界なんて元々狂ってるんだから」という言葉が印象的でした。それを蹴っ飛ばして、選択を受け入れる帆高が心に残りました。
ですが、「世界なんて元々…」という甘えた言葉に共感してしまう情けない大人のなんと多いことか。この感想欄を見てても思います。私達はその狂った世界で生きているのだから。自分と世界は分けられないのだから。世界「なんて」などどうして言えようか。
狂った世界を生きてる実感すらない、この世界で生きていることも、狂ったものと地続きであることも、この世界の一部を作り上げてきたことも、作り上げてきたものの一部によって今の子どもたちが喜び、ときに苦しんでいることも、全部無視した、自分勝手な若者のときから一切進歩していない大人たち。それをこの映画を見て感じました。
この映画は、そういう大人の非主体性をノスタルジーとともに回復しようとしている映画に最初は見えました。
正直最初、私達現代の若者に本当に寄り添った映画には見えませんでした。
私達の世代は3つに大きく分かれています。
1つ目は上の世代と同じく、個人的で、他人との衝突を避けつつ、慎ましく生きていこうとする集団。他人のことも考えているという建前の裏で、自分のことだけを考え、うまくやり過ごそうとする人たちです。
2つ目は、他人なんて最初から考えない人たちです。
そして、もう1つは、自分と他人のどちらかを選ぶのではなく、思考を続けることで、全く新しい解が見つかると信じている集団です。
今の大人たちは、たいてい2つ目から、1つ目へと変わることを成熟だと思っています。自分勝手な思考停止から、自分勝手さを建前で包み隠した思考停止へと変わることを、大人になることだと言っているのです。自分の役割を決めつけ、その範囲外は考えない大人たち。みんなが役割の中で一生懸命生きるだけでは、悲劇が起きるということから目を背け続ける大人たち。
そんな大人が、この映画を見て何を思うんでしょうか。「そうだよ、10代ってこうだったよな」
ふざけないでほしい。3つ目の集団がいることを忘れないでほしい。あなた達の世代にだってそういう人はいたはずです。新しいものを作ろうと藻掻く人は、何もこの手のひらから取りこぼさんと頑張る若者は、ピュアじゃないとでも言いたいのか。
本当に私にとって切実なのは、「他人か、自分か」ではない。「他人か自分かと考えてしまうか、他の解を見つけようと藻掻くか」です。
……最初はこんな風に怒ってしまいました。
ですが、今では少し考えが変わりました。
どんなに頑張ろうと、自分か他人か選ばないといけないときもあります。何かを犠牲にするしかないのなら、自分を選んでしまうことだってあります。
そんなときは、自分が選んだんだと言い張り、本当に大切な人からの「大丈夫」を支えに生きていけばいい。
憧れのままに飛び出した帆高。突きつけられた選択肢に戸惑うことなく、ただ愛する人と生きることを選び、二人で生きていこうとする強さは、映画を見終わったあとに段々と心に染み渡ってきました。
そう考えると、優しい映画だなと思えるようになりました。
この映画は、混沌とした世界でどうしようもなくなったときに、戻ってくるべきセーブポイントだと思います。制作スタッフの方々たちの優しさを感じました。
でも、私は次を見たい。この生き方が正解だとは思えない。どうしようもなく「自分か他人か」を選ぶように突きつけてくる世界で、思わず「自分」を選んでしまう時があったとしても、それでも答えを探したい。
もう時代は戻らないのだから。若者全員が自分のことだけ考えてればいい時代ではないのだから。過去へ戻るのではなく、次の明るい未来へと私は進みたい。
天気なんて人間にはどうしようもないけれど、それでも若者二人に背負わせるような世界であってほしくない。もし監督が言うように「天気はみんなと繋がっている」のならば、みんなが他人事だと思わずに自分のことだと思ってほしい。天気のどうしようもなさを、みんなで背負ってほしい。
この映画が新海誠監督の最高傑作であってほしくはありません。もし、本当に次世代を担う若者を応援したいのなら、憂鬱を気にせずに飛び出す若者だけでなく、世界を取り巻く憂鬱に立ち向かおうとする若者も応援してほしい。そう思いました。
ただ最後に。それでもこの映画には救われました。私は背負いすぎてしまうタイプなので、一人で背負わなくていいんだよと言われている気がしました。