「前作は問題作、本作は凡作」天気の子 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
前作は問題作、本作は凡作
天候不順で夏になっても雨が降り続く東京。
離島の実家を家出して東京にやって来た高校生の帆高は、なかなかバイト先を見つけられない。
心が折れかけていたとき、連絡船で命を助けてくれた須賀のもとを頼ることした。
須賀は、潰れたスナックを根城に小さな編集プロダクションを営み、主な記事はオカルト関連のもの。
そんなある日、弟とふたりで暮らす少女・陽菜と出会うが、彼女はネットで話題の「100%の晴れ女」だった・・・
というところから始まる映画で、夏になっても雨雨雨の今年を言い当てたのかしらん、と思うような設定。
だが、ノッケから、ちょっとゲンナリ。
帆高が陽菜と出逢うまでの物語が長く、その上、帆高の背景もよくわからない。
なんだか理由があって家出してきたようだけれど、経緯もわからず、あまりに無目的的。
もうちょっと下調べぐらいした方がいいんじゃない? と思ってしまう。
さらに、手持ちのお金も尽きて、ネットカフェにすらいられなくなった彼が、偶然に「あるもの」を手に入れてしまうあたりも出来過ぎ。
これが後半の追いつ追われつの伏線になるのだけれども、ご都合主義は否めない。
さらに、弟と暮らす陽菜の背景も書き込みが足らず、「行き場のない若いふたり(弟を含めると三人か)」の設定をつくるだけにしかみえない。
(おっと、ふたりを助ける須賀も、その仕事仲間の若い女性も、行き場がないといえば行き場がないのだが)
というわけで、「天気の子」として陽菜が活躍しだして物語が動き出すまでが、もっさり、まだるっこしい。
陽菜が「天気の子」として活躍しだしてからは物語も動き出すのだけれど、着地点は疑問。
前作と違って、災害が・・・という点ではなく、なんだか、主人公ふたりのエゴ承認欲求があまりに強すぎて、辟易してしまう。
ま、この世で大切なのは、お互いだけ・・・というのはわからなくもないが(主人公たちは、まだ16歳ほどだから)、青春の青さとして片付けてしまうには未熟すぎる。
未熟・・・というのが、どうも、個人的には受け容れられないのかもしれない。
前作は、個人的には(「過去作品の設定を拝借」とか「東日本大震災をなかったことにするのは・・・」という、しかしある種のエンタテインメント作品としては)「問題作」だったのが、本作は未熟な「凡作」という感じがしてならなかった。