「許しがたいダークファンタジー」天気の子 イクユーザ・Kさんの映画レビュー(感想・評価)
許しがたいダークファンタジー
「君の名は。」が観客へのサービスを徹底して作った『「非」新海的』な作品だったとしても直球弩ストライクで心に突き刺さり滂沱の涙を流した自分には、本作は途中で退席したくなるほど退屈なうえに最後には嫌悪感まで感じた、見たことを後悔させられた作品になった。
・拳銃、チンピラ、児童買春等等、東京の影の部分を執拗に緻密に描きながら「雲の上に別の世界がある」というファンタジーを強引にからめているが全然親和しておらず、違和感だらけだった。
・家出少年に孤児となった姉弟、そのキャラクターがそうなった境遇などが描かれることなくまったく感情移入できない。
・東京に異常気象による「避難指示」が出るシーンがあるが近年各地で死傷者の伴う豪雨災害が発生し、「避難指示」がリアルにニュースで流れる中、その人たちへの配慮はなかったのだろうか?言い換えるなら某大震災の後に東京が大地震に襲われ半分以上がなくなるような作品を作るようなもの。製作者側に意見する人がいなかったのだろうか?
・主人公が愛する少女を助けるためにした選択が東京の大半を水没させる異常気象の世界を到来させる。当然そこには破壊された市井の人の生活や甚大な死傷者が想像できるのだがそういうところは全く描かず言及もせず、主人公がそのことに対し罪悪感を抱く姿も極めて軽くしか描かれない。加えて何も知らない立花老人や須賀(奇しくも「君の名は。」の神社名と一緒)の言葉で免罪させているのは無責任ではないか。
せめて主人公には自分の選択のせいでどれだけの死傷者が発生したのか認識しているシーンが欲しかった。それでも最後「僕たちは大丈夫だ」という言葉の中に「青空も、住む場所も自分たちのせいで奪われたなんて誰にもわからないんだから大丈夫だ」とすら聞こえたのだが。
「君の名は。」が「代償なく多くの命を救った許しがたい作品」というなぜ「代償」が必要なのか根拠のわからない批判に対する「多くの命を代償にして自分の大切な人一人を救う物語」という意趣返しなのかもしれないが、このエゴイズムな姿勢を知ってか知らずか意外と多くの人が肯定的に評価しているのが自分には恐ろしい。
・ファンサービスとしてなのだろうが「君の名は。」のキャラと同姓同名の人物が脇役で出演していて、それにより「天気の子」が「君の名は。」と地続きな世界であることを印象付けているが、「天気の子」によって「君の名は。」の瀧の就活以降の世界がすべて否定されることになる(雨が繰り続く世界なので奥寺先輩との再会シーンや四谷での再開シーンもなくなると受け取れる)。
津波災害に遭った某地を「「君の名は。」の原点と話し、「幸せな気分で劇場を後に」出来るよう「誰かの幸せを願う話」として作った「君の名は。」のエンディングをわざわざ「天気の子」で否定した(そう受け取れる)監督の姿勢に許しがたい憤りを感じる。
「君の名は。」への批判が本作作成の動機(「もっと怒られる作品」を作ること)と、ことあるごとに公言しているが、自分には「もっと怒られるため」に批判をものともせずに作りたいものを作った、というよりも批判を気にしながら、さらに数々の応援企業への配慮から作品の自由を奪われあちこちに破綻をきたした痛々しい作品に受取れた。