「映像は美しい。音楽も良い。」天気の子 ニューヨークチーズケーキさんの映画レビュー(感想・評価)
映像は美しい。音楽も良い。
コンセプトとして、「教科書にはない」「政治でも言わない」「報道でも伝えられない」ことーつまり「世界(社会)の為ではなく自分自身のために、恋い慕う人を優先する」ことがある。
それ自体については、そんなに真新しいものではない。しかし別にコンセプト自体は悪くないと思うのだ。おそらく現代社会に生きる人は社会をよりよくするため、みんなを幸せにするためという考えが少なからず心の何処かにもたげていると思う。自分は一体何のために生まれたのか、そんな疑問に対して明確な答えを得る時間もない中であくせく働くためには何か「大義名文」が必要だ。人間は意味がない、理由がないものを怖れるからだ。だから「人のため」というのはとても都合がいい。自分の存在意義を肯定してくれるし、他の人の役に立っている自分の人生はなんて素晴らしいのだと。別の視点から見れば「人のため」は他人のためであり自分のためでもある。内包されたエゴイズムを汚い物だと決めつけ他者への貢献という布を覆い被せただけなのだ。ここで大事なのは本来エゴイズムは汚くはないのではないのか?という問題だ。自身の欲を撒き散らし、ほかの誰のためでもない行動を行う。それが唯一美しくなるのは他者を希求する行為が最大の欲になっている時だ。人はそれを愛だという。エゴだとしても許される、唯一の免罪符。愛そのものを誰しもが疑わない。愛は「自分自身のためでもあり、特定の人のためである」からだ。それが本当に特定の人のためなのかと言った真偽は問えない。本当に成立しているのはその一方行の愛を両者が持っている時のみだ。
話が長くなってしまったが、本作はこの「愛」本来が持つエゴイズムを忌憚なく発揮している。わかりやすい形で。覆っていた布を一気に取り払ってくれる。「大義名分」を教えてくれる。しかし私は本作を手放しに評価できない。なぜならこれは「愛」ではないからだ。圧倒的に知恵がない主人公がなんの努力もせず、法律を犯してまで求める「特定の人」。
その「特定の人」をそこまで思う主人公の境遇、感情、葛藤、考えの描写がほとんどない。
この映画は「愛」を描いたように見せかけて、「理由のない人のため」を描いているに過ぎない。綺麗ごとを言うなと言いながら、綺麗ごとを求めている。
つまるところ「映像美と音楽が優れている」
のみで写実描写のみが優れ心情描写に欠けた物語である。なぜ一部の人に評価されるのかといえば、そう言った美しい写実描写、音楽と一見リアルな会話とファンタジーが観ているものの思考と感情を誘導しているからだ。一つ一つ見ればそれは単なる表面的なものでしかない。
挑戦しているようでしていない。社会と異なるようで異なっていない。共感できるようできない。愛を描いているようで描いていない。みんな「のよう」で停止している。
文字通り「絵空事」の域から抜け出していない残念な作品であった。(´;ω;`)