「二回見ることで、本当の良さがわかる作品」天気の子 たっちさんの映画レビュー(感想・評価)
二回見ることで、本当の良さがわかる作品
私は公開日に『天気の子』を一度鑑賞し、2日後にもう一度『天気の子』を鑑賞しに行った。その結果、全く異なった感想を持ったので、それに関して話していく。
まず、初めて鑑賞した際の感想は、正直期待はずれだな、というものであった。
私は、新海誠監督の『君の名は。』が大好きで、これまでに10回以上鑑賞し、小説も何度も周回した。それほど『君の名は。』に夢中になったので、新作の『天気の子』にもかなり期待して、鑑賞していた。
しかし、鑑賞後の感想としては、描写や音楽は安定して良かったが、ストーリーの展開がスムーズでなく、さらに伏線回収もされず、最後の最後まで映画に集中できずに、正直がっかりした。
私がそう思うのは、『君の名は。』を好きな理由が、あの2時間弱という短い時間で、あれほど前半部分の伏線(例としては、組紐と流星群の関係性や、口噛酒とラストの繋がり)を回収し、さらには、主人公の瀧君や三葉に感情移入することができることで、ラストシーンに近づくにつれて、ドキドキしたり、感動したりできたからだと思う。つまりは、ストーリーの内容が濃い上に、よく考えられて作られているなと感銘を受けたからである。
しかし、『天気の子』に関しては、そもそも、主人公の帆高がなぜ地元が嫌で東京に来たのかも説明されず、そして、何よりもヒロインの陽菜が晴れ女になった理由が薄いこと。(代々木の廃墟ビルで祈っただけで、雨の巫女になるのは、前作と比べて弱い。)
なによりも、前作に比べて前半の仲良くなるエピソードから、クライマックスになるまでが急で、(というよりかは、いらないシーンが多い!)主人公、ヒロインに感情移入ができなかった。その雑さがどうしても気になり、ラストシーンで感動することができなかったと感じている。それは、どうしても前作の『君の名は。』と無意識に比較してしまい、二番煎じに思えてしまったからだろう。ストーリーでの、フラグ回収が少ないことが私の好みとは異なっていて、映画の時間が長く感じてしまうほど、作品にのめり込めなかったのだ。
しかし、そう感じるのも、『君の名は。』という歴史的な大ヒット作品の次作であることからの期待からであり、2回目の鑑賞では、新海誠作品であることや、伏線考察、矛盾点などは考えずに、素直に主人公やヒロインに感情移入し、ストーリーを楽しもうと決意した。
そう思い鑑賞した二度目の『天気の子』。感想として、とてもいい作品だな!と感じた。
理由はどうであれ、帆高と陽菜が運命的に出会い、そして親交を深めていく。『君の名は。』は入れ替わりの話であるから、お互いのことをほとんど知っており、実際に本人に会いたいという気持ちがすごく伝わる設定であったから、一回目の鑑賞でも感情移入ができた。
『天気の子』も一度鑑賞すれば、最終的に帆高と陽菜はお互いにかなり惹かれていることも分かった上で二回目の鑑賞ができるため、前半から二人のやりとりを純粋に楽しめる。そこからの展開も、伏線などを気にせずに鑑賞すれば、素直に思い合っている二人が離れ離れになってしまい、そこから、好きだ、もう一度会いたい!という気持ちだけで、どんな困難にも立ち向かう主人公に感動することができた。また、二度目の鑑賞であるからこそ、一回目の鑑賞では気付きづらい伏線というか、描写に気づけた。(例えば、陽菜が一度空に浮くシーンで、街灯に体が重なった時、すでに体が透明に透けていること。空に陽菜が行った際、母のブレスレットであった雫の首飾りが割れて、彼女が雨の巫女でなくなったことなど。)
一番の感じ方の違いは、ラストシーンで主人公がヒロインに会った際に告げる一言の考察である。
「僕らなら、きっと大丈夫。」
正直、一度目は、なにいってんの?どゆこと?雨が降り続くような困難でも、二人なら大丈夫ってこと?と、はっきりわからなかった。
しかし、二回見ることで、ラストシーンに瀧君ばあさんと会ったシーンと、圭介との会話シーンの意味。からの主人公の考え方の変化を描きたかったのだなと理解できた。
それは、主人公の帆高は、自分の想いと決断により、東京が沈没したという罪悪感を感じていたが、瀧君ばあさんとの会話で、あくまで東京は元の姿に戻っただけという慰めを受け、さらに圭介との会話で、自分たちが変えたという風に責任を持つ必要はない、この世界は元から狂っていると思うことで、少しでも自己肯定しようしていた。陽菜に会ったら、陽菜もきっと罪悪感を感じているから、励まそうと、でも、どのように言葉を伝えるべきなのか、という主人公の葛藤が描かれている。しかし、いざ、陽菜の姿を目にした時、きっと彼は三年前感じた、「この子さえいてくれれば、どうなってもいい。この子と一緒にいれば、この子への愛があれば、きっと僕は何でも乗り越えられる。」(←あくまで、私の解釈です)という気持ちになり、その結果出た言葉が「僕らなら、きっと大丈夫」であったのだなと思った。
ここまで述べたように、展開やストーリー性に注目するのではなく、主人公とヒロインの気持ちに注目して、純粋にストーリーを楽しむことで、『天気の子』の良さに気づけるのだと、私は感じた。
この、作品に対する見方の違いが、感想としての賛否両論を生んでいるのではないだろうか。
新海誠の作品として、まるで『君の名は。』をなぞったかのような、ストーリーと展開、そして描写にがっかりした者は多いだろう。確かに、新海誠監督がこれからも、災害をテーマに感動を産む展開を続けるのであれば、それは私も気持ちのいいものではない。正直、今回の大豪雨も見ていて不快な気持ちになったのは確かである。しかし、新海誠監督の描く、主人公とヒロインの青春は、人を惹きつけるものであるのも確かである。きっとそれは、今後の作品でも、美しい景色とともに、描かれ続けるだろう。次回作には、これまでとは違ったストーリー構造と展開を期待したい。
最後に、ここまで長々と意見を述べてきた結論として、まるでレポートのようなこのレビューを締めくくりたい。
『天気の子』は二度鑑賞し、純粋に主人公とヒロインに感情移入することで、作品の良さを感じることができるであろう!ぜひ、もう一度映画館へ足を運んでほしい!