「この設定に気がついたか気がつかないかで作品の見え方が違う」天気の子 shotamalさんの映画レビュー(感想・評価)
この設定に気がついたか気がつかないかで作品の見え方が違う
以下ネタバレ含みます。
須賀という男の存在は、大切な人を諦め、世界の平和を優先することを選んだ場合の「未来の帆高」をうつした存在だ。
須賀が左手に着けている二本の指輪のうち1つは、亡くなった奥さんのもの。
事故で亡くなったと話していたが、おそらく須賀の妻も晴れ女だったのではないか。陽奈同様、晴れ女として力を使いすぎたせいで消えてしまったのではないだろうか。陽奈が消えた時、指輪が空から落ちてきた。須賀の妻も消えた時に、指輪が空から落ちてきた。須賀はその指輪を、後悔を抱きながら左手に着け続けているのではないだろうか。
須賀の娘は喘息持ちで、雨の日に発作が酷くなりやすい。
娘のために、妻は天気を晴れにし続けた。その代償として妻が消えてしまう危機を感じていながらも、須賀自身咎め切れなかった。
結果妻は消え、須賀は止められなかった自分自身に責任と未練を感じながら、妻の形見(指輪や冷蔵庫のメモなど)とともに生きてきた。
オカルトものに関心があり、それを仕事にしているのも、妻のことがあったから、須賀自身も未知の力を誰よりも信じているからなのではないか。
妻の代わりに新たに「晴れ」にしてくれる陽奈が現れた。力を使い続けた後の結末は知っていた。しかし雨が続くことは娘の病状にも影響がある。そのため須賀の中には様々な葛藤があった。あの時の須賀の無意識に溢れた涙は後悔や葛藤、その全てを表しているのではないだろうか。
あの廃墟に須賀がいたのは、全てを知っていたから。ある意味須賀という存在の答え合わせのシーンだ。
最期は帆高に自分のように後悔してほしくないと思い、助けたのではないか。
作中、須賀という登場人物の背景に踏み込む直接的な解説はなかったが、私は須賀という登場人物をこのように捉えた。
ベラベラと登場人物が自分自身について話し、過去を回想するシーンなどが下手になかったことは良かった。
(君の名はは、解説や伏線回収がしっかりしてたから万人ウケしやすいわかりやすい作品だったのだろう)
追記
最期、帆高の選んだ結末に関して賛否両論あるが、私はこのラストで良かったと思う。
「もう大人になれよ、少年」
かつて自分自身を押し殺し「大人の選択」をした須賀と、大人にはなりきれなかったが真っ直ぐに大切な人を選んだ帆高。
世界の形が変わったとしても、誰かにとって不幸になる形でも、自分の世界に必要不可欠な人。その人と共にならそんな世界でも生きていけると思えること。
唯一無二の大切な人がいる者なら、帆高の選んだ結末を「ワガママ」の一言で終わらせることが出来ず、理解し、心打たれる部分があるのではないか。
天気の子は、「愛」という視点では君の名はを超える良作だと感じた。
【追追記・おまけ】7/22
2回目の作品鑑賞後は少し考察も変わっているので、以下のコメント欄の私のコメントを参照していってください。
上記説が合ってるか合ってないかについて。
監督が100%その説はありえません!と断言するまでは、この視点もつまらなくはないと思うので無理やり消さずに残しておいてよいのではないかと思う。
この説を100%合っているということも、100%異なるとも言える根拠はありませんので。
ただこの説を信じるものとして新たに降りてきた考察がもう一つ。おまけとして追記しておきます。
「そもそも須賀はなぜ親権を奪われているのか?」
妻が「本当に」事故や病気など現実的な亡くなり方をしていれば、親権はそうそう奪われないのではないか。
虐待・ネグレクトなどのよっぽどの問題がなければ、ふつうそのまま母不在でも父と子で暮らしていけるはず。子への愛情が十分にある須賀から親権を祖母に譲ったとは考えにくい。現に納得せず親権争いが続いている。
上記説だと話がうまくまとまる。妻が消えたのだ。
冷蔵庫のメモや写真などからも夫婦中が悪かったとは考えにくいためやはり単なる失踪ではなく、天に消えたと考えられるのではないか。しかし周囲からは理解できない現象なため、失踪もしくは事件に巻き込まれたと考えられた。当時須賀も疑われた。事件でないにしても、妻が消える原因が須賀にあると周囲の人々は考えた。そのため少しでもグレーな須賀からはこどもは引き離された。
うん、考えられなくもないと思います。
自分でもハッとして、おもしろいかなとおもったので追記で。
7/23
たくさんの共感とコメントありがとうございます。
おもしろい思考を掻き立てられるコメントもちらほら。本当にありがとうございます。
以下のコメント欄のほうでも、ちょこちょこ書ききれなかった考察(須賀のみにこだわらず)を追加していっているので、興味のある方にはぜひ読んでいただきたいです。
今回の私の考察レビューは以下のコメント欄内での考察も含めて、1つのレビューということにしたいと思います。
また、みなさんの感じたことや発見などもさらに聞かせていただけますと私自身の解釈もより広がります。
私は文章を書くことが仕事ではないので、つい長々としたわかりにくい文章で表現しがちです。(誤字脱字もちらほらありますね。お恥ずかしい(*´-`))
私のレビューを読まずとも、同じように解釈されたかたもたくさんおられることでしょう。
しかし、その解釈をうまく言葉にすることができなかったり、周囲の人とうまく共有することができなかった人がその中にいるとしたら、私の考察レビューがその言葉・気持ちをうまく代弁できていれば幸いです。
ケロリンさん
コメントありがとうございます!
コメント欄も読むのにお時間取っていただけたとのこと。
全部読むの結構大変でしたよね。ありがとうございます!😭
4DXいいですね!
私は3Dメガネが苦手で行けないので羨ましいです( ; ; )
ようやく今日、天気の子を観てきました!お初の4DXで。そしてコメント全部読ませて頂きました。一つの映画に、これだけの熱量が集まるって凄いことですね。読んでいて嬉しくなりました。
2回目を観に行くのが楽しみになりました。有り難うございます❗
shotamalさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
気付いて下さり、ありがとうございます(笑) 嬉しいです。
もはや“須賀の妻晴れ女説”無しで本作を観ることが不可能な領域に入っています(笑)
今度4D版の上映が始まるということで、ワクワクしている今日この頃です(笑)
masamiさん
コメントありがとうございます!
たくさんお褒めの言葉を頂き、大変恐縮です。
コメントまで細かく読んで下さりありがとうございます!
中島みゆきさん達の一連のやりとり。とても素敵ですね。
表現者にとって自己の作品を自ら解説するという行為は、屈辱以外のなにものでもないようにさえ感じます。
創作の核心をあえて語らず、受け手に委ねる。
想像の余地を与え続けてくれる。
その対応はまさに、本物の「アーティスト」なのだと心より感じます。
良いお話をまた一つ聞くことができました!
ありがとうございます(^ ^)
shinjiさん
コメントありがとうございます。
須賀神社のこと、私は知らなかったです!
「聖地」の情報に疎いもので・・^^;
縁結びの神社なんですね!
そういうところにも繋がりがあると思うとおもしろいですね!
教えてくださりありがとうございます(^ ^)
遅くて急に失礼します。
須賀神社に五回も通っているのに今気づきました。須賀さん。ここからネーミングしているのですね。四谷にあるこの
神社。行くたびに外国の方々の割合が増えている!新海監督の国際性を象徴している。地方の方は一回行ってみるのをお勧めします。
さて私が言いたいは沢山ありますが、二点にします。
まずここの元のshokotamalさんの誠実さと博識さです。
いちいち、この膨大なコメントに対応している姿勢が素晴らしい。しかも専門外であろう神道、喘息、指輪のサイズなどに誠実に答えている。時には関係者のように扱われているがそれにも誠実に答えている。
敬服します。
もう一つは新開監督が須賀の妻イコール天気の子説を否定するか否か?
話は飛ぶが北山修さんがその著書のつで、中島みゆきさんと対談している。
その中で北山さんは、創作の核心について質問をする。その度にみゆきさんの
答えはこうだ。
「それはねー教えてあげないの」
そういうやりとりが続いて北山さんの言った言葉が最高だ!
「教えてくれなくてありがとう」
感動した。みゆきさんが吉田拓郎さんに提供した曲で「永遠の嘘をついてくれ」という曲がある。永遠の嘘をついてくるた。
映画も音楽もリリースした瞬間から受けての物!
新海監督はこの説を、否定はしない。けど肯定もしない。むしろ楽しむだろう。
ここまで行間を感じさせるとは・・・
改めて言うが、傑作だ。
もう既出かも知れませんが、『君の名は。
』のラストシーンで三葉と瀧が再会するのは、有名な「須賀神社」の階段です。
須賀家は、縁結びの家系であるかもと思うと
さらに空想が広がりますね。
天空の城ラピュタ、千と千尋の神隠しなどをもう一度観ると更に、宮崎駿監督から、新海誠監督が受け継いだものの深さが、この作品の中に隠れてますね。
とくに、退職金だと言って須賀が帆高へ渡す帽子に描かれた龍。
この先は多くを語らず新海誠監督に倣って
想像にお任せします(笑)
本日3度目の鑑賞してきました。
皆さんのコメントに書かれているレビューまでは多くて読みきれてないので同じことがあったらすみません。
須賀の妻が天気の子前任者説に関してです!
エンドロールの紹介では帆高と陽奈に次いで3番目にくるのが夏美でした。一方で須賀の紹介は最後になっています。(2つのエンドロールともに)
本来では須賀が3番目にきてもおかしくないと思うので、これもまた今回の作品での須賀の重要性を物語っていると感じました!そうした時にどの点で須賀が重要なのかと考えるとやはり出てくるのは須賀の妻が天気の子前任者なのか。て感じました!
y.summerさん
ご意見ありがとうございます
度々このコメント欄にも巫女=清浄といったようなことをお書きになる方がいますが、
巫女=清浄とは、巫女=処女=聖なる力でなくてはならないという意味であってるんですかね(^_^;)
たしかに日本古来の巫女と呼ばれる人たちは基本的に結婚前の人を指すようですが・・
この物語において、処女が聖なるものとして重んじられていてそうでなければ力を得ないという設定であったとしたら、「私には」しっくりこなかったです
すみません・・・(^_^;)
もちろんそういう設定を大切にする人もいると思います。
ご自身のレビューを立ち上げていらっしゃるようなので、y.summerさんの解釈はそちらで賛同される方々が集まると思います!
ひなの家系がもともと天気にまつわる力を持つ家系であったのではとのことですが、そういった視点でみることもできるかもなと思います
しかしやはり私はこの物語はどうしても須賀に意味を感じてしまうので、自分はこの説で楽しもうと思います!
しばらくバタバタとした生活をしており、コメント返信などできていなくてすみませんでした!
遅れてしまいましたが、ここしばらくで頂いていたコメントを先程拝見させていただきました(^^)
ありがとうございました!
☆Night☆さん
長文コメント大変嬉しいです(^^)
私も、新しくて面白い視点を提供してくださる方々のおかげで、物語の解釈が広がり大変感謝しております
ハッとするような鋭いご意見をくださる方もいらっしゃるので、
コメント欄も丁寧に読んで拾っていただけたこと、私自身もとても嬉しい気持ちになりました(^^)
ありがとうございます!
あくまで個人の見解です。
須賀の奥さんは天気の子ではないと思います。天気の子とは天の巫女であり、清浄でなくてはいけない。「君の名は。」の口噛み酒と同理論。
しいて言えば、陽菜の母親がかつての天気の子であり、天野家が天気の子の家系だろう。
勾玉の継承もそういうことかと。
初めまして♪後れ馳せながら、たった今鑑賞してきました。
ネタバレとあったので、ここのレビュー読まずに鑑賞してきました。
何が傑作か?
『このレビューの主さんとコメントされてる皆さんが作り上げた このレビュー』が傑作です(*´ー`*)
映画を二回鑑賞しないのですが、再鑑賞しようと思わせられました!
自分一人で消化できなかった『描写』『言葉』が、たくさん方の見方を聞くことによって、この作品の深みが一気に増しました。
どの考え方が自分に馴染むかは敢えて言及しません。多くの方の多くの意見があるのが当たり前で、それを踏まえて、レビュー全て読みました♪
このレビューに出会えたこと shotamalさんに感謝致します!
初めまして♪後れ馳せながら、たった今鑑賞が終わりレビューを見させて頂きました(*´ー`*)
ネタバレとあったので、読まずに鑑賞したのですが、通常2回目の鑑賞しないのですが、再鑑賞したいと思いましたね。
何が傑作か?
ここのレビューの主さんと、個々のコメントされてる『このレビュー』が傑作だと思いましたよ♪
たくさんの方のたくさんの見方を得ることによって、こんなに作品の奥行きが深まり、こんなに気付きがあることに非常に満足感を得ています!
『須賀が水が流れ込んでくる扉を開けたこと』
『須賀が夏美に人柱の話をしたのか!の言葉』
『須賀が流した涙』
『エンドロールで須賀(小栗旬)が一番最後であった』
など、など 書ききれません…
到底自分一人では消化できなかったことが、自分なりの意見として入ってきて、この作品の面白さが一気にこみあげました♪
どの方の意見が自分に合うかの言及はあえて避けて、皆さんそれぞれの楽しみ方があって良いなと思います♪
で、締めくくらせて頂きます(*´ー`*)
素敵なレビューに出会えたことに感謝致します!
ANGEL
小説では、須賀の奥さんは事故死となっていて、交通事故で亡くなった、とは書かれていません。
しかも、そのあとに、あの時の話はかなり複雑で〜みたいなことが書いてあって、かなり意味深です。
本日初見で鑑賞してきました。
私も彼に関してはこちらのコメ主さんと同じ印象を持ちました。
須賀さんがオカルトの記事を書きながらも、オカルトに対して何処か馬鹿にしている雰囲気なのは、奥さんをそのオカルト(晴れ女)によって亡くされたからではないでしょうか。
涙を流したのは、陽菜と奥さんの姿を重ねたからに他ならないかと思います。
須賀さんは出演時間が長く、明らかにキーパーソンであるのに、奥さんの死因が交通事故というのはあっさりし過ぎな気もします。
交通事故死であるなら自動車に何らかのトラウマなどの描写があってもいいような気もしますし…。
どのタイミングで喘息を発症したのか明確になっていないのであれば、須賀の奥さんは雨天の子だったとも考えられないでしょうか?
占いオババのシーンで晴女・雨女の特徴を語られていたのが気になります。
母親の不在というストレスを喘息という形で表しているのであれば、雨で喘息が酷くなるのは雨続きになったのと母親が居なくなったのが重なっている心理的要因からでもあり、降り続く悲しみでもあるのかなぁと。
あまり深く考えての発言では無いのでどこか辻褄が合っていないようならすみません。
なるほど!と思った解説でした!
「晴れ女について調べてこいよ」なんて言って、自身もきちんと取材しているところを見ると、本当に晴れ女か確信がつかめなかったけど、確かめたい気持ちが須賀にあったのでしょうね! 納得!
もちろん、作り手がどう考えていたかは分かりませんが、こういった想像をかきたてるところも含めて、好きな映画でした。
Awesome Enrouさん
ご指摘の点に関する描写の考察はこのコメント内ですでに記載しているので詳細はそちら参照ください。
コメント内ですでに記載したことの簡素なまとめは以下です。
須賀は晴れ女の力や人柱の力について半信半疑であり、真相を調べていた。
陽奈が晴れ女だという噂を聞き、半信半疑だが自分の目でその力が本物か確かめたかった。
実際に陽奈が本物の晴れ女だとわかり、晴れ間を見て妻の指輪を触った。この時、陽奈の今後に災いがあるかもしれないということを感じたのではないか。
(指輪を触れる描写が作中2回ほどあるが、そのタイミングは須賀が心の中で罪悪感を感じるタイミングだと私は思っている)
以上です
ここ数日で、コメントくださった方々ありがとうございました!
返信遅くなってしまいすみません。
○Ryoさん
コメント最後で、お気遣いいただく言葉ありがとうございました!
少し気持ちが楽になりました(^^)
○tsuyamaさん
考察ありがとうございます!
ラストの再開時に空が晴れたか、天気の子が帆高になったのか、龍神が宿ったかなどについては私の視点にはない発想でしたが、そういう視点で見ることもできるかもなと感じました。
次鑑賞する機会があった際は、tsuyamaさんの視点も取り入れながら鑑賞しようと思います(^^)
ありがとうございます!
○ykさん
私もこの説前提で観ていたので、もし作品の意図と全く異なった場合は、星評価は2くらいになってしまいそうなところが正直あります^^;
先日天気の子を見てきました。もし既出だったら申し訳ありません。
本当の最後のシーン離れ離れになっていた帆高と陽菜が再会するシーンで空が晴れたような気がしました。(勘違いだったらすみません)
つまり天気の巫女陽菜と同様《天気の子》帆高になったのでは?と感じました。
・願いながら神社をくぐり陽菜を助け出し2人で帰ってこれた(陽菜も同じ流れで力を得た)
・陽菜を助けに行く道中龍神にあった(やはり帆高には龍神系の神がついてる?もしくは宿った?)
・雨が好き
という観点からタイトルの天気の子という名前も当初、陽菜を指している事かと思っていましたが良い意味で少しズレているのかもと思いワクワクしました。
そんなの分かりきってるよって思ったらすみません。長文失礼しました。shotamalさんの考察俺は大好きです。
考察、面白かったです。
ありがとうございました。
他の方々も書かれていましたが、確かに全体的に意味深なシーンが多かったことや、エンドロールの名前の順番からも須賀がキーパーソン的なキャラクターであることには間違いないと思います。
(真っ向から反論を書く方はきっと自分が気付けなかったことを華麗に解説されて悔しくてしょうがないんですよ。。)
本当に素晴らしい考察です。
凄く共感できました!
二度見の楽しみが更に増えました
これからも面白い考察ありましたら、是非投稿して下さい
(天気の子、一発目のコメントが貴方で良かったです)
syu32さん
お久しぶりです!
2回目の鑑賞時にレビューの視点を踏まえて観ていただいたとのこと、ありがとうございました!
感想お聞かせ頂くことができて大変嬉しいです。
クライマックスは私もこの視点でみるとsyu32さんと同じように感じました(^^)
shotamalさん、お久し振りです。
本日2回目の鑑賞に行って来ました!
「須賀圭介の奥さん“晴れ女”」説を念頭に置いて観ると、いろいろと腑に落ちる描写がたくさんあることに気付かされました。
クライマックスの圭介の行動は、自分が出来なかったことを帆高に託そうとした故のものかもしれないなと感じました。
↑続きです。
前記した通り、私は思考の合わない方の書かれたレビューを否定するコメントを書き込みには行かないです。
※しかし、「私のレビューのコメント欄内」で私の解釈を否定される場合に限りは私の管轄内なので、反論の余地のあるレベルの意見の限りは、私の考察を突き通させていただきます。
(おもしろいと感じる意見は今まで通り柔軟に吸収させていただきますし、私自身も意見に賛同する時はその方のレビューを見に行き共感やコメントします)
これでもなお「否定的かつ自分的につまらない解釈」が私のコメント欄内に見られる場合は、返信するのも体力使うので、スルーさせていただくのでよろしくお願い致します。
※ 根本的に全く思考の異なるもの同士だと、どうしても話が交わらないので。
※ 共感してくださった方、単純におもしろいと思ってくださる方、よりおもしろく解釈を広げられる方が集まればよいと思っています。
そのために各々自由に書いたレビューが存在するのだと思います(^ ^)
なにが言いたかったかまとめますと↓
※反対意見があることは他者が書いたレビューを自分で読みに行っているので知っている。その上でおもしろいと思う考察を自分なりに書いている。コメント欄にまで出向いて反対意見を押しつけにこないでほしい。
※考察を読んで合わない考えと思ったら、退散してほしい。
※反対意見はご自身のレビューを立ち上げてそこに記載して、そこで同じ感性の方々と共感し合ってほしい。
※レビューを書きたくない反対意見の人は、900件以上あるレビューの中から根本的な思考の合う方を探して意見交換してほしい。
※私のレビュー内での反対意見に関しては私の管轄内なので、私の考察を通させていただきます。
この説を100%合っているとも、100%異なるとも言えない」と前もって私自身が述べさせていただいているように、私のレビューやコメント欄内での返答は「私自身がおもしろい」と思う物語の解釈の仕方です。
私の解釈を一視点としておもしろいと思ってくださる方からのみ、共感やコメントいただければと思っています。
「自分はこの考察と反対の考えだけど、この視点はこの視点で面白かった」と他者のレビューを尊重できる方は私も求めていますので、ぜひコメントください。
監督のコアなファンではない私が鑑賞後に率直に感じた感想です。
私の解釈が受け付けられない・それは絶対違うと思う人は、レビューを読んだとしてもコメントはせずにそっと退散していただき、
※ 約900件のレビューの中から、自分の思考に合った方の考察レビューで共感・コメント・意見交換していただきたいです。
※ もしくはご自身のレビューで共感やコメントを得る形にしていただきたいです。(←これは切実に願います)
フィクションには人それぞれの解釈の仕方があることは十分理解しているので、私自身は、自分の解釈と全く違うなと思う他者の記述したレビューを読んだとしても、一つの解釈として受け入れ、そっと退散します。その方のコメント欄に、その解釈を否定して自分の意見を押し出すコメントはしないです。
フィクションはその人なりの解釈をする余地があるものであり、それはそれでその人の感性であり尊重されるものだからです。自分には合わなかっただけで。
(制作側の意図と異なる解釈であったとしても、製作陣たちは一つの解釈としておもしろがり受け止めてくれるはずです。なので一観客が他者のレビューに出向いてまで反論してこなくていいと思います。)
私のレビュー内で一つの解釈を狭める反対意見がたまに書き込まれますが、私が物語をおもしろいと思う考察は前述した通りです。
この説と反対の内容が書かれたレビューがあることも私は知っており、たまに読んでおり、その上で自分のレビュー内には自分がおもしろいと思う考察を書いています。
合ってても外れても「私の中で」この視点でみるかみないかではだいぶ物語の面白さが異なります。
Gemさん
時系列についてたくさんまとめてくださったコメントありがとうございます。
東京詳しくないので、私はちょっと書かれていることを飲み込む(理解できるまで)のに時間がかかりそうです^^;
たいへん興味深く考察を読ませていただきました。
私の感想としては、須賀の奥さんが晴れ女で人柱となって消えた説は『ない』と思いました。
理由としては、
①須賀が廃ビルに先回りしていたが、程なく警察も到着したので、夏美→須賀→警察と連絡が行ったと思われる。
帆高はフラフラになりながら走ってビルに向かっていたので、須賀が何らかの交通手段を使えば先回りは容易。
②須賀が、晴れ女の末路を知っていたのなら、陽菜の存在を知った時点で能力の使用を止めさせたはず。
③奥さんが命を投げ出して人柱になったのだとしたら、ラストの帆高と陽菜の行動によって全て無駄になりましたよね。
そんな二人を須賀は許せますかね。
④出会ってまもない男女の絆より、親子の絆の方が深くて重いです。
ですから、幼い子供を置いて自分が消える事を選択するとは思えない。
⑤パンフレットの監督のインタビューに、『帆高と須賀を対立させるとなると、須賀も空の上の世界を信じていなければいけないことになってしまう。でもそれはどうも違う。』とあります。
それに、須賀の奥さんが晴れ女で人柱となって消えた設定を盛り込んだ場合、監督のやりたかった事と映画のテーマが今とはかなり違ったものになってしまうと感じました。
あくまで個人的な意見ですので気にせずに。
またまた追記
これまでとは関係ない話にはなりますが、三葉も陽菜も帆高も何かを願いながら鳥居をくぐってるんですよね。
東京のイケメン男子にして下さーいも願ってますし。
三葉と陽菜の巫女って結構近しい巫女ですよね。
これはネットで見た話ですが三葉が口噛み酒を売る話題になった時に想像した舌を出した巫女姿の自分の頭の飾りと須賀の変装帽子の龍同じなんですね。
天井絵のおじいちゃんの家系と、宮水家の繋がりも気になります。
瀧と三葉が電車ですれ違った場所ってどの辺なんでしょう?
最後の階段は四ツ谷駅から徒歩10分らしいですが。
東京詳しい人いますかね笑
今山手線の路線図を見たんですけど環状線の内側に横向きに路線が走ってるんですね。
でちょうどその真ん中、円の中心付近に四ツ谷があって五反田と巣鴨を直線で結ぶとだいたい四ツ谷と重なりますね。
新宿駅は使えてるので山手線の駒込から大崎までが沈没してるんですね多分。
うーん四ツ谷が沈没してるか微妙だな。
映画の最後らへんに短い間ですが沈没した東京が描かれましたよね。
あの場面でどの辺が沈没しててどの辺が沈没してないのか覚えてる方いますかね。
あとは東京のイケメン男子に託しますね。
追記
・須賀さんのオフィスをでて新宿から山手線に乗って冨美に会った
・山手線は環状線ではなくなっていて、c型に途切れている
・巣鴨と五反田は水上バスで繋がっている
と小説にあるので電車止まってはないですね。
電車にのった描写が映画であったかどうかは覚えてないですが。
ここからは僕の考えですが、陽菜を連れ戻してから数ヶ月経ってるのに水溜まりが出来ている程度なのは不自然だし、電車も止まるはずなので、「ずっと誰かを…探してた!!!!!!」のシーンも、起こりえないと思います。
特に再会したあの階段の下とか水浸しになりそうだし。
それに、瀧が帆高に「プレゼントあげなきゃね!」と言ったり、三葉が帆高に「喜んでくれますよ!」と言ったりしているの、出来杉じゃないですか?監督が狙って瀧と三葉自身が出会えないルートに導いてしまっているように描いているとしか僕は考えられません。しかも余計に帆高の選択に重みが出る。
あと、新海監督が瀧と三葉の結婚を暗示するために写真を出すような人には僕は思えません。
それこそ君の名は。に擦り寄りすぎです。三葉や瀧をガッツリ登場させたのも、ファンサービスではなくミスリードを誘うための伏線でもあると捉えています。沈没世界でも瀧と三葉はきっと結ばれる!という意見もあるとは思いますが、2人はあんなに強く思い合っていたのに、「あの人の名前が思い出せんの」「お前は誰だ」と、残酷にもすぐ忘れてしまいます。その2人の思いの脆さも君の名は。の面白さのひとつだと僕は思っているので、それこそ電車ですれ違いざまに目が合うような大きなきっかけがないと結ばれるのは難しいのではないでしょうか。
なので僕は天気の子はパラレルワールドで、2人は出会えない説を推します。
もしかしたら新海監督もハッキリとは決めていなく、見る人達に委ねますというのが本心かもしれませんが。
覚えてないんですけど瀧の結婚写真は小説にしか出てませんかね?
映画に出てるのか覚えてたら教えてください🙏
以上ですありがとうございました。
君の名は。時系列
・2013 9月最初の入れ替わり
・2013 10月2日最後の入れ替わり
・翌日3日に三葉が瀧に会いにいく
・翌4日に隕石落下
・2016 10月瀧が糸守へ
・2022 春二人が再会
小説君の名は。に瀧が大学を卒業し就職したとあるので2022春で確定。
3年で卒業する変わった大学とかがあったら分からないけど
小説天気の子を読み終えて、久しぶりにここに戻ってきて来ました。
コメントの盛り上がりがすごく全てを読み切れていないので既出だったら申し訳ないですが、瀧と三葉が出会えてない説を推します。
あるサイトで君の名は。と天気の子の時系列がされていたのでそれを参考にしようと思います。
陽菜と帆高がお天気ビジネスを始めた時テレビに2021/8/11と表示されていて、瀧と三葉が出会うのが2022年春だそうなので、天気の子3年前→君の名は。ラスト
須賀が帆高の故郷(島)に行っていたのは、いつか娘と暮らせるようになった場合に空気がキレイな場所を探してのことだと想像してたのですが、それはちょっと的外れですかね…。
それと今回の作品では”東京”という街をキレイに描くのがとても上手いのと同時に必要以上に歓楽街やラブホテルの看板描写が多く、新開監督はそういう東京のダークな部分も雨によって少しは沈めたいのかなというメッセージがあったのかと勝手に想像しておりました。
(東京が元に戻るというおばあちゃんのセリフをええように解釈)
CMや前作の影響で小学生も多数来場することが予測される映画で序盤からいきなり風俗店に関するアルバイトとかちょっといきなり攻めてるなーと思いまして。
上映開始前から海外への配給も多数決まっており、あまりダークな部分を出すのは日本にとってマイナスなイメージを外国の方に抱かれてしまうと危惧してしまいましたが、映画のロケーションが日本全国だけでなくここまで東京だけにピックアップしてるのも東京五輪前に東京はキレイなところだけではないということも海外に伝えるという意図があったのかと個人的に好き勝手妄想させてもらいました。
こうやって間違ってるかもしれませんが、各々で色々と想像させてもらえるのが新開誠監督作品の良さです。
普通のリアルな親の感覚だと、子供の健康や警察に歯向かってますます会いづらくなるかもしれないことを考えると、帆高を逃がしはしないとは思います。
もしそういう設定があるなら、制作側はもっと分かりやすく描写してくるんじゃないかな~とも思ったり。
昔東京は水没してて住めるようにしてきただけで、元に戻っただけというおばあちゃんのお話も不要になって来るような。
レビュー投稿開始後1週間以上経ちますが、現在も共感やコメントしてくださる多くの方々、本当にありがとうございます!
「物語をより楽しく、解釈を広げられる考察」であれば、私自身広い視野で、積極的に吸収・学ばせていただきたいと思っておりますので、今後もよろしくお願い致します。
ろまんさん
なぜ人柱になったかなどについて「私自身の」考察はコメント内ですでに記載しているのでそちら参照ください。
そして私自身、この映画の関係者ではないのであくまで私の推測でしか話はできないことをご了承いただきたいです。
私自身の「考察」を単に知りたいのであればお応えできますが、映画設定の「真相」を奥様がお求めでしたら、映画関係者の方に直接お問い合わせしてください。(対応していただけるかはわかりませんが)
以下はあくまで私の考察です。
日本全国各地、どこでも雨はほぼ等しく降りますよね。
夏の沖縄や山々に囲まれた田舎なんかは全国的に比較して雨が多い地域かもしれませんが、それ以外の場所だと大体どこも雨が降る頻度ってさほど変わりませんよね。
引っ越すことで回避したりなにか状況が変わるものではないから引っ越さなかっただけではないでしょうか。(日本国内の引っ越した先で東京より雨の頻度が減る「保証のある」場所はないのではないでしょうか。あるとすれば国外の砂漠地帯くらいでしょうか。砂漠に行ったらいったで砂埃すごそうですね。)
過去の東京の天候が、全国比較して特別悪かったという描写はなかったので。
晴れの日はいいとして、雨が降った日で娘の発作がある日は力を使って晴れにしたのかと。その状況が重なったときは、同様に繰り返したのかと。
一時的なお天気が娘の病状(酷い場合は生死に関わる)を左右するものであり、自分自身に晴れにする力があるとしたら、私自身力を使っちゃうのかなと思いましたけど、そう思わない人も中にはいるのかもしれませんね。
陽奈が得意げに晴れにしていたように、須賀の妻も陽奈同様に晴れにし続けた代償は世界のバランスが崩れるギリギリまで気がつかなかったとも考えられます。(気がついた時は時すでに遅し。)
須賀の母が天気の子だった設定前提での心理状況も「私自身の考察」は前記してあるのでそちらを参照ください。
上記の考察で私は特に不備を感じず、フィクションなりの根拠を考えながら楽しめています。
しかし奥様がどうしても「有り得ない」と思う設定なのであれば、私の解釈を読むことはそもそも合わないと思いますので、読まれない方がよろしいのかもしれません。
何度もコメントすみません。
貴方の考察には全く異論は無いの
ですが、映画の設定に異論は唱えます。
何故圭介の妻が人柱になったのでしょうか?
東京の天候が悪い為に愛娘が苦しんでいたからですよね?
やはり圭介親子(嫁も含めて)が東京を離れないのはおかしいですね。
神頼みではなく天候の良い土地に行けば済むことでしょう。
逃げるのではなく行動するという意味で。
たかが局所的、一時的なお天気の為に母親が命を賭けるなんて設定は有り得ない!
以上、ロマンチックに無縁の元看護師の嫁の意見です。
余程の映画でないと泣かない「鉄の女」です^_^
(わたしは「ろまん」ですが ^_^ )
ろまんさん
人柱の効果ですが、陽奈の一件がなければ妻の人柱の効果は続いていたと思います。
しかし陽奈の一件があったので数年間だったと考えられます。
なんやかんや雨が続く東京でも、須賀の子供は元気に外で遊べているようなのでラストですこし安心しました。
(雨の日でもコントロール良好になったのは、三年経って少し大きくなったので、気管も小さい頃よりしっかりしたのかな。治療も続けておりコントロールが前より良くなったのかな。と考えました)
ろまんさん
コメントありがとうございます!
第二次世界大戦後は、石炭を主要エネルギーとした工業復興により、各地で降下ばいじんや硫黄酸化物を主とする大気汚染問題による呼吸器障害が問題であったこと、さらに当時は吸入ステロイドによる治療がなかったことから、喘息患者は特に呼吸状態悪化しやすく、都会から田舎に綺麗な空気を求めて逃げてくるなんて話も当時はたしかにありました。
しかしそんな話はすでに戦後の大昔の話です。現在の日本においては大気汚染も基準が設けられていることや、吸入ステロイド薬が普及していることから、喘息患者だからといってクリーンな空気を求めてわざわざ田舎に越してくるなんて話はすでに絶滅した話となっています。
現在の日本で、きちんと治療を受けている喘息患者が都会に住んでいたとしても、都会の空気が発作に関わるということはほぼないかと考えられます。
(あるとすれば長期間未治療の喘息コントロール不良の患者。その場合は引っ越すなんてことせずにまずはきちんと治療受けましょう。)
よってきちんと治療を受けている患者が発作を起こすとしたら、現代では風邪や気圧の変化などによるものが大半と考えられます。
以上の話+須賀の家庭はきちんと治療を受けていて、発作も雨が降った時などの気圧の変化による場合に限られ現れる様子であったことから(治療をしており、普段の生活を送る分にはコントロール良好)、都会から引っ越すというのは特に解決策ではないため引っ越さなかっただけかと考えられます。
つい、奥さんのおっしゃったことが引っかかってしまい、長々とした説明をしてしまいすみません!
面白い考察ですね!長文読んでしまいました!
須賀嫁が天気の子なら過去にも異常気象があったはずではってことですが、単純に天気の子の心と天気が繋がっているから、というのはどうでしょうか。
須賀嫁の場合は家族仲良く暮らしていて精神的に安定してますよね、それに対してひなの場合は親もいないしお金もないし精神的に沈んでますよね、というのが自分の考えです。
良かったシーン数ヶ所
突っ込みどころ満載の映画でしたが、貴方の考察にはほぼ突っ込みどころはありません。
素晴らしい。ありがとうございます。少し気分が晴れました(^^)
嫁さんは「喘息のある子供を引き取りたいのに何故東京に住んでるの?」って突っ込んでますが(^^)
奥さんが生きている内に空気の良い土地に引っ越したら良かったのにって。それを言うたら映画にならないよ!って事をよく嫁さんは言います(^^)
midoriさん
コメントありがとうございます!
私も陽奈のチョーカーについてはmidoriさんと同じような意味合いかと感じて観ていました!
陽奈を世界に戻すために母も手助けしてくれたことを物語っているのではないか。戻ってきたときチョーカーが切れていたのは、世界のために身を呈した陽奈に対して「もうそんなことしなくていいんだよ」という母からのメッセージも含まれてたりなんかして、なんて思いました!
考察とコメントありがとうございました!
こちらのレビューを見て2回目を観てきました‼︎
須賀さんの表情に、1度目よりグッときて2度目の方が感動しました。
2度目で陽奈が着けているチョーカーはお母さんの形見だという事に気がつきました。最後地上に戻ってきて鳥居の下に2人で倒れているシーンでチョーカーの紐が切れていたので、彼岸にいるお母さんが守ってれたのかなぁ…など想像してしまいました。
須賀の奥さんが、天気の子だったかは不明ですがその設定で観ると夢が膨らみます。素敵なレビューありがとうございます。
今日「天気の子」を見たばかりです。
そして、このコメントを見てすごいとしか思えませんでした。
私も不思議に思ってたことが多々ありました。その中で最も不思議に思ってたのは、帆高より先に須賀さんがあの廃墟にいたこと。そして、あの鳥居を見上げて目にした時の須賀さんの表情です。そのシーンがあって、須賀さんは無関係な人ではないなと思いました。でも自分ではどうしても分からなくて、このコメントがその答えになってくれました。
本当にありがとうございます!
「天気の子」はいろんな意味で「君の名は」を超える最高の作品だなと思いました!
エージェントKさん
コメントの方もお時間いただき読んでいただいたとのこと、本当にありがとうございます!
私の文章がエージェントKさんにとって、少しでも解釈を広げることのできるツールとなったこと、大変喜ばしく感じております。
コメントでご意見いただいた、滝のおばあさんの話に関するエージェントKさんの解釈。
とても素敵で、可能性としても十分考えられる素晴らしい考察と感じました!
そういう解釈もできると考えると、なお話がロマンチックに感じることができますね!
新しい思考の提供ありがとうございました!
元々須賀の奥さんが晴れ女説は納得していたのですが、shotamalさんの考察、それに対する返信の内容を全て読んで、それが確信に変わりました。須賀が窓を開けたシーンもずっと気になっていたのですがとてもスッキリしました。本当にありがとうございます。ちなみに、誰も言及されていなかったので気になっていたのですが、滝のおばあちゃんが「200年前の東京は元々海だった」ということを言っていますが、それは200年前の天気の巫女とその恋人が今回の陽菜と帆高のように、世界よりも自分たち愛を優先したから、という説が個人的に好きです。
なるほど、そういことだったんですね。謎解き要素が前作より少ないと感じましたが、視聴者自身が謎を説く感じに作られていたとは、新海監督なかなかやりますよねー。
フォロー・いいねありがとうございます。
ほかの方の感想・考察をみると
そういう考え方もあるか
そんな点もあったかなど
作品に対する考察が深まって面白いものですね。shotamalさんのレビューとても共感しました!
マルさん
コメントありがとうございます!
コメント欄まで丁寧に読んでいただけて大変感謝です!
私もすでに2回目観ていますが、上映終了間際頃に3回目観てこようと思っています。私自身もみなさんからいただいたコメントから、新たな解釈や発見もありましたので(^^)
緻密な映像や素晴らしい音楽など、映画館で体験しなければもったいないものばかりですもんね。
2回3回と鑑賞して、また新たに気がついたこと、感じたことなどあれば、またぜひ聞かせてください。
shotamalさんの考察や、ここに書かれている みなさんの考察を見て、今日観てきたのですが、モヤモヤ一人で考えていた感じたこと疑問に思っていた事が解消しました。
皆さんの考察を拝見していると、よくここまで描かれていない背景を豊かに想像できるなと感心してしまいました。
自身が感じたのは、世の中の縮図を垣間見た感じで、「若者の貧困」、「母子家庭」、「ネットカフェ難民」、「大人に搾り取られたこの世の中ので子供たちがこれからどう足掻いて行くのか」など…
皆さんの考察や感想を小1時間w見てもう一度、いや何度か観に行こうと決意しました。
映画を観た後は、誰かと感想を言い合い、お互いの感じたことを話し合う方が楽しいですね!^_^
長々失礼しました。
綾人さん
やっぱりそう思っちゃいますよね!^^;笑
あそこまでだとやられちゃうと天気の子で楽しめなかった場合の、ある意味保険に感じちゃいますよね。十分楽しいんだから正々堂々勝負してよかったのに…。監督不安だったのかな??
それはそれで2回3回と観客を引き込むいい作戦かとは思いますが…。
奥さんの記憶力素晴らしいですね!
たしかにあんな色合いの格好してましたね!
いろんな人と共有することで発見が増えて楽しいですよね(^ ^)
返信ありがとうございます!
僕も個人的には、てっしーたちぐらいの出演でちょうどよかったかな?と思ってました!声だけとか!
「がっつり出演やん」ってなっちゃいますよね。
声だけにして、スタッフロールで驚かせるぐらいでよかったかなーとは思いました。
嫁が「三葉の服装ラストシーンと同じだったね」と気づき、君の名は。を見返したら、「水溜まりあるー!」ってなりました。
綾人さん
コメントと考察ありがとうございます!
君の名はと天気の子の時系列について。
私はこの点については深く考えていませんでした。
私が天気の子の星評価を、十分楽しんだにも関わらず4にしていることは、「監督、君の名は引きずりすぎ!」感を要所要所で感じて、天気の子をオリジナル作品として完成させていなかった点があったからなんです…。
個人的には、君の名は要素は、「てしがわら達の後ろ姿のみ」もしくは「みつはの目から下のみ映す(2人が再開している前提で、すでに結婚しており、仕事のネームの苗字が瀧くんのものになっているなどの工夫もよかったかも)」程度の登場にとどめておくほうが、天気の子という作品に集中でき、かつ、君の名はファンも楽しめる作品なのでは?というのが率直な感想として抱いています。
しかし教えていただいたように、君の名はの2人の再開前と天気の子の時系列を楽しむという監督からのオマケが含まれていると考えると、また一つ違う楽しみ方ができるのだと、コメントをいただき感じることができました!
私は東京の地形に詳しくないので、公園などの位置関係のことはわからなかったですが、たしかにコメントを読んだ限り、2人が再会前の時系列で合っているのかと感じました。
新しい視点の提供ありがとうございます!
とても興味深い考察でした!
自分は1回目では、作品を深く理解できず、色んな方の考察、感想を見た後に2回目へ行きました。2回目は、主役2人より須賀を1番熱心に見ていた気がします。
須賀の奥さん天気の巫女説のこの考察を見て、不可解だった行動に全て納得がいきました。3回目に行こうと思います。
この考察ではまだ触れられていませんが、「君の名は。」との時系列はどのようにお考えでしょうか。
○自分の考察
「天気の子」の時系列は、2021年夏(Twitter等から)と分かります。
これは、「君の名は。」のラストシーン、2人の再会シーンの時期と一致します。(彗星落下から8年後)
·今作の三葉の服装が「君の名は。」の再会シーンと同じ格好。
·「君の名は。」のラストシーンは、晴れているが道路が濡れていたり、水溜まりがあることから、直前に雨が降っていた?(だとしたら傘持ってないと不自然ですが、折りたたみかな?)
·須賀親子が遊んでいた公園が新宿近辺(御苑とか)であれば、「君の名は。」ラストシーンが晴れていることに繋がる。(須賀親子の公園のシーンは、三葉登場の直後)
以上の点から、今作の三葉登場シーンは、2人の再会直前だったのではないかと考えています。
今作は、沢山感想を語り合って本質が分かる作品ですね!
笠間稲荷9ちゃんさん
今年(特に最近)は本当によく雨が続きましたね。
ナイスタイミングでの上映となりました。
映画館に入るまでは、私も「雨か〜やだな〜。駐車場から映画館まで小走りしたのに濡れちゃった〜」なんて思うこともありましたが、鑑賞後は降り続く雨にも愛着が湧くようになりました。
コメントありがとうございます!
アポロンさん
私自身、信仰宗教があるわけでもなく、神や神社について詳しい知識はないので、あの神社にまつわる神の正体ついては詳しくはっきりとはわかりませんでした。
しかし神=自然という考えは私も感じることのできる物語でした!おっしゃる通り、作中神社がボロボロだった描写などから、現代の人々の思考が、神=自然と結びつかないことや、昔の神や自然を重んじていた人々との対比を描いており、ぐっときました。
考察非常に面白く拝見しました!
なるほど!と更に天気の子が興味深くなりました。
東京がなぜ雨続きになったのか。
君の名はでは神様への信仰を重んじて守ってきた、結果的にチャンスを与えられて救われた。
天気の子では気象神社がぼろぼろだったように信仰を忘れてしまった都会の人たちその罰を受けていた。
なーんて思いました。
神様=自然。大事にしないとバチが当たるよ!笑
気象神社が祀る神様は八意思兼命。天照大御神を岩屋戸から出して晴れを取り戻した神様ですね。
これ以上頭働かないのでどなたかうまく考察してください。
奥さん晴れ女説は不明ですが
娘のためという所に合点が行きました!
最後の廃ビルでの須賀の引き止めがやたらしつこいなと思ってたのですが娘のために晴れにしておきたいという気持ちから来てたのではとレビュー見て思いました!
まだ書き忘れていた考察について追記。それにしてもいちいち追記しすぎですね、すみません。一度にすっきり書けないもので^^;
興味ある方だけお付き合いください。
作中、雨は人々から嫌われ、不必要なものと考えられていた。
そのためラストは人々へのある意味罰として、降り続く雨であった。しかしそうすると、本来人々の生活に必要な雨というものが悪者に見られるかたちで物語が終わってしまう。
「雨は悪くないんだ」。最終的にそう思わせるためにも、
ラストに瀧くんのおばあちゃんが「もともとこの辺は海だった。もとあるかたちに戻っただけだ」と語った。若い世代が、最悪な状況を考え方次第ではポジティブにも受け取れるようにと、救いの言葉を発したのだと考えた。そして悪いのは降り続く雨ではないのだということも言葉の裏にあるのではないでしょうか。
この言葉があるかないかで物語の締まりが違いますね。
冒頭の須賀の嫁の母や、瀧くんのおばあさんたちの世代では、晴れだけでなく他の天気も楽しみながら育った世代であり、現代の人々との思考の対比を、物語の序盤とラストで上手く取り入れたのでしょう。
この2人もこの物語には登場させなければならないキーパーソンであったと考えられます。
しゃあさん
コメントありがとうございます。
指輪についてはコメント内ですでに解説したとおり、須賀が自分の左手薬指に入るように号数を直したのかと。
結婚指輪というのは、どこのブランドで買っても、太ったときや年取って細くなったときなどのために、永続的アフターケアサービスがあります。指輪の号数をある程度調整できるようになっています。(最初の大きさより大きくすることも小さくすることもできます)須賀の指は男性の中でも特に太いというわけではないので、十分調整の範囲内ですね。
実際に、配偶者に先立たれ、その指輪を自分の薬指の指輪と重ねてつけたいと思い(永遠に心は一緒だよ、という意味合いでしょうか)、サイズ調整して自分の手にはめるロマンチストな方もいますよね。
わりとよくある話なのでわたしは特に気にならず、普通かと思っています。
私もこの説を信じます。
エンドロールで須賀さんの名前が何故か一番最後にされてるんですよね。監督が本来描きたかったのは須賀さんの物語なのかなと感じています。
ただ、帆高と須賀さんがたまたま出会うのは、偶然にしては出来過ぎな感もある気がして。ひょっとして、物語全て、須賀さんの後悔から生まれた妄想だったりする可能性もあるのかな、とも思ったり。
このコメント群で、この天気の子は、200%楽しめる映画となりました。その人なりの解釈だから、こういう見方で観られる人とそうでない人とで、映画の楽しみ方も大きく変わりますね。
このコメント欄を読めて幸せでした。
誰も興味ない文章かもしれませんが、須賀のイケメンパパ度について熱く語るため、さらに追記したいと思います。
これまでの話からずいぶん脱線します。さらに長々とした文なので、興味ある人だけ読んでください。
今は喘息といっても、基本的に正しく治療を受け続けていれば、酷い発作が起きないようにコントロールすることができます。
しかし、正しく医療を受け、発作誘発因子を生活から可能な限り排除し、(因子とはハウスダストやタバコ、ペットの毛、ストレスや風邪を引くことなど)日頃からコントロールするように最大限努めていても、子どもはどうしても風邪を引きやすかったり、気圧の変化を受けやすかったり、子どもの気管は大人に比べて元々脆弱であったりと、うまく喘息をコントロールできないことも度々あります。治療を受けさせ、生活に配慮し、親としての義務はすべて果たしているが、それでもどうにもならない時に、親というものはつい神頼みしたくなるのでしょう(親になった経験のない者が語っております^^;)親にやれることは後は残念なことにそのくらいです。
喘息の子は、普段から毎日使うコントローラー(慢性的気道炎症を抑える吸入器)と、作中に使用した発作時に気管支を即効的に広げる吸入器の2つを持っているパターンが多いです。
しかし喘息の子を持つ世の中のお父さん(妻健在の場合)の多くは、その使い方や使い分け、効果、使い時を正しく理解している人はかなり少ないのでは?そもそも喘息でないにしても、自分の子供になにかしらの疾患があったとして、それを十分理解しているお父さんってかなーーり!希少かと。お母さんがいるならすべてお母さん頼り。お母さんがいなければ1人でなにもできずにオロオロ。
(世のお父さんを責めているわけではありません。お勤めご苦労様です)しかしそんな中、須賀は1人でも慌てずスマートに適切な対応を取ることができている。
妻消失後は娘とは暮らしていないため、妻健在のころから須賀は「娘のすべてを理解しようと努め、夫婦共同して子育てできる」素敵すぎる夫だったことが伝わります。
昔からの長年の行動が身についているのですね。あの吸入器一本でだいぶ語れます。もう須賀がイケメン過ぎます。子と引き離された時はよっぽど堪えたことでしょう。
以上、気にするところが超〜細かすぎてもはや誰もついてこれないのでは?な考察でした。笑
【追記】
帆高が地元の島で、自転車に乗って必死に「晴れ間」を追いかけていたあの描写。その晴れ間を追いかけた先が東京であったこと。
陽奈が帆高と出会う前から晴れ女を始めていたこと。
そのことから、陽奈が本来雨の場所を晴れにするということは、雨を消して晴れ間を生み出しているのではなく、「世界のどこかから切り離してもってきている」とも考えられる。帆高が追いかけた晴れ間は、陽奈が(無意識に)どこかから切り取り東京に運んでいるものではないか。
そのように考えると、持ってきた晴れ間の代わりに、降るはずだった雨がどこかに追いやられている(それがしだいに雨の塊になる)ということの根拠になるのではないだろうか。
そしていまだにすっきりせず、私の中で疑問に残る描写がある。冒頭で須賀は帆高の島になんの用で訪れていたのか?
あの島にも晴れ女に関わる何かがあったのか?
須賀は自分の中の半信半疑に確信を持たせるため一人調査に訪れていたとか?
須賀もあの島出身で、たまたま帰郷していただけ?
男ひとり旅って雰囲気ではなさそうでしたね。
そのことについて、なにか面白い考察があれば、みなさんからぜひ聞かせてほしいです。
Gemさん
レビューを見た後にさっそく2回目試聴とのこと、ありがとうございます!
私自身、物書きでも、映画の回し者でもなんでもありませんが、文章を通して自分の考えが他の人と共有できること、それがきっかけで読んだ人の「自分なりの解釈」が広がっていくこと。大変嬉しく思います。
映画を見て、私のレビューを読まずとも、同じような解釈をする方はたくさんおられるかと思います。しかしそれをうまく人と共有できなかった人、一人で悶々と考えている人がいるとするならば、私の文章でうまくその気持ちが代弁できていれば幸いです。
こまさん
コメントありがとうございます!
こまさんのおっしゃる通り、須賀の冒頭の「誰かの恩人になるのは初めて」という言葉は自分なりの解釈から物語を振り返ったときにかなり深みのあるセリフだと改めて感じました。
たしかに重要なセリフですね!
まだまだ色々な鍵が物語の中に落ちているかもしれませんね。
ありがとうございます!
↑続きです。
ご指摘であった通り、800年前に描いた絵からも、人柱は人知れずいざという時は犠牲になることでこの世界はこれまでも救われてきたのでしょう。しかし人々はその思考のままでよいのか?
実際に、陽奈も犠牲になれば助かるので、どうしようもない時は生贄になるのは「人柱としての重要な力の一つ」であることはたしかなのでしょう。しかし今までもこれからも、その選択が正しいのか?
なぜ世界のバランスが崩れたか?直接手を加えたのは陽奈だが、晴れを望んだ人々は明らかにそれに加担している。
お寺の人や人々の話は、あくまで物語全容のヒントであり、その話だけを切り取ってただ素直に受け止めるのは危険です。一つ一つのヒントを繋げ考えなければ。そうしなければ物語に出てくる東京の人々「なにも知らない人々」と一緒になってしまうのだと私は感じました。
これも前述した話となりますが、須賀の妻の母が物語冒頭で語った「今のこどもたちはかわいそう。昔はどんな季節も素敵に感じた」といったような言葉。これはまさしく雨や雪を疎ましく感じる(世界のバランスなど考えない)現在の人々の愚かさをまさしく表す言葉と捉えました。
以上のことを自分なりに繋げると、自然とこの解釈にいたりました。そうすることで、あの結末は観ているこちらとしても受け入れざるおえない。
やはり私の考えはこれ以上でもこれ以下でもないです。
喘息については、世界からみたらたしかに小さな話となります。人々の役に立つわけでも、世界を救うためでもない。身勝手のようにも映るでしょう。しかし1人の親からすれば我が子の命にも関わる重要な話であり、身を削って力を使うには十分すぎる話かと個人的に考えました。
人々の役に立つことで存在意義を感じる陽奈と、人々の役には立たないが我が子のために力になりたい母。
一見反対のように感じるが、根っこは同じ。誰かの世界を救いたかった。そんな人たちが、この数年で東京に2人いたのかと。
昔は各地域や村ごとに人柱がいた(つまり同時期に別の地域に人柱が存在していた時代もあった)との話が作中語られたことから、むしろ現在では人柱が現れる頻度は極度に少ないくらいなのではないかと感じます。そのことを踏まえると、数年前に東京で消えた人柱がいて、現在は違う人柱がいることはさほどきになる点ではないかと思いました。
y.summerさん
コメありがとうございます
私も1回目観た直後は、いつか来る災害のために人柱が存在し、その時世界を救うためだけに存在するのかと思いました。
しかしその場合、ただ異常気象が徐々にひどくなっていくさまを単純に描けば良いだけかと思います。
どこかで水の塊ができて、それが落ちてくる描写。そしてこの謎の現象は、どこかを晴れにしている陽奈や帆高とは関係のない場所で必ず起きており、晴れ女としての活動を進めて行くうちに頻繁にみられるようになりました。この描写をわざわざ挟むこと。これは上記で前述したとおり、晴れにしたことでこの世に降らなかった雨たちの塊が、行き場を失って一箇所に身を寄せ合い、耐えきれず落ちてきたということを印象づけるためだと私は感じました。
つまり、この世には雨も必要不可欠である(陽奈の行動は天からしたら間違い。本来天が期待した行動と陽奈の行動は異なった)という、天からの悲鳴のように捉えました。世界のバランスが崩れかけていると警告しているのだと。
そのため災害は、ただ自然のいたずらに起こるべきして起きた結果ではない。私たち(人々)は決してただの被害者ではなく、自分たちで無意識のうちに少しずつバランスを崩し、選んだ結果なのだと。
帆高が東京に来る前から、晴れ女の目撃情報はあり、陽奈はすでに少しずつ力を使っていたと予想されます。帆高が東京に来る頃にはすでに雨ばかり降っていた。これは以前のコメントでも書いたとおり、もともと夏場で雨が降りやすい天気だったとも考えられるが、陽奈が少しずつ世界のバランスを(帆高と出会うことでよりヒートアップして)自らの手で変えてきたことを、世界のバランスが崩れ始めていることを、降り続く雨によって表しているのかと。
たしかに人柱一人で世界は救われる。しかし本当にそんな単純な話でよいのか。すべての責任をひとりの女の子が背負ってくれている。しかしことあるごとに無意識に晴ればかりを望む私たちにも少しずつ責任はある。そのことについてもう一度深く考ようという意味も含ませることで、ラストはさらに人々が胸を打たれるように物語が深まったと感じました。
↓以下のコメントに続きます
レビュー拝見しました。私には初回で背景を深く考察できる頭はなかったんですが、キラキラした物語の鍵があちこちに浮かんでいるような、そんな感覚をくれる視聴体験が好きでした。皆さんの考察の助けを借りて、一つ一つ鍵の合う扉が見えて来た気がします。須賀が最初の船上で水塊が降るタイミングを知っていたのも、shotamalさんの説を裏付けるし。「誰かの命の恩人になるのは初めて」という台詞も、妻に世界ごと救われた過去を持つからと考えれば、切ないです。
タイアップに枚数を取られながら、自由にストーリーを補完できる鍵が散りばめられた作品。だからこそ、観る人それぞれのルートで扉を開け、物語を解釈する楽しさがあるんですね。
とても神秘的な考察で、改めて観に行こうと思います。
ただ、天気の子は、寺のやりとりで、800年前に描かれた絵が示すように、異常気象を正常に戻すために現れ、人柱となるという設定です。須賀の妻が天気の子だとして、娘の喘息のために晴れにするというのは、さすがに話が小さすぎるし、身勝手すぎる気もします。それに、娘の歳から見ても亡くなったのが数年前。さすがに身近で立て続けに現れすぎてはいないだろうか、という素朴な疑問です。
精霊馬を須賀が置いていた説は、納得できるし、鳥居がこの世とあの世の境で、炎を跨ぐように、そこをくぐるという意味合いだとは思いますが。
2回目を見に行く前に、みなさんの素晴らしい考えを聞けると嬉しいです。
ご返信ありがとうございます。
動揺から出た咄嵯の行動ですか。確かに、須賀さんの前後の感情表現を考えると違和感がないですね。なるほどです。
となると、娘に会えない状況に気落ちしていた須賀さんの内的変化が起きていく最初のシーンになりそうですね。
どうしても、帆高や陽菜と言った子供側の感情にフォーカスが行きそうですが、大人側の感情変化を描いた繊細な場面に気づけて良かったです。今作は子供・大人、モラトリアムの話を描いているあたり今までよりも広がりのある作品だなと感じます。
目から鱗が落ちる考察でした。
今日映画を鑑賞して正直言って、前作より面白さは劣るなと感じていたのですが、考察拝見して映画の見方が変わりました。ありがとうございます。
ここのコメントを見て2回目を見てきました。
一回目よりもさらに面白かったです。
shotamalさんの説が僕は1番正解に近いと感じました。
序盤に出てきた占い師の言ってることが概ね当たってるのが胡散臭い見た目とのギャップで面白かったです。
分かってなかったことも2回目でたくさんわかったので見てよかったです。
magJOPさん
コメありがとうございます!
その行動について語るにはこちらの設定がポイントになるかと。
かつて喫煙者であった須賀だが、イチャモン言われず娘に会うために、ずいぶん前から禁煙していたこと。雨が降ると娘になかなかあわせてもらえないこと。
妻が晴れ女だった説について須賀はこの時半信半疑な状態であったと思う。しかしどこかで須賀はこの雨が降り止まないことは昨晩のニュースを観て、なんとなく感じていたのではないか。雨が続くため、つまりもう娘には合わせてもらえないのではないかと。タバコを吸い、酒を飲み、自暴自棄になっているシーンは須賀自身、これまでの葛藤を自問自答するとともに、「どうせもう雨は続く。娘には会えないのだから禁煙したって意味ないし」そんなヤサグレも混ざった描写なのではないか。
帆高は自分のように大人で利己的な考えの持ち主ではない。きっと帆高なら陽奈を人柱にしない選択肢を選ぶと。
あの夜、半信半疑ながらそう思い、すべて諦めたのでしょう。
しかし翌日予想と反し、雨は止んだ。再び晴れた。そのことが信じられなかった。
利己的で現実主義な須賀が、呆然と窓に駆け寄り、思わず窓越しではなく自分の目で青空を確かめずにはいられなかった。キャラに似合わずあのようなドジな行動をとらせることで、上手く須賀の動揺を表していると思いました。
娘にまた会える!体調は大丈夫かな?と、わずかな希望と心配を胸に、その後すぐに娘に電話し、元気な声を聞いて安心するとともに、娘がいった「陽奈ちゃんが晴れにしてくれたんだよ!」っという言葉に対して、なんともいえない口調と表情で「そうかもしれないね」と言った描写は、さらに須賀の確信に追い打ちをかけ、罪悪感を与えたのではないでしょうか。
その後、なんとも人を諭すのが上手そうな刑事さんとの会話の中で、思わず全ての感情が涙として溢れてしまったのでしょうか。
ご意見のあった、須賀の違和感のある行動も、「口では語られなくとも、キャラクターの心理に迫る」上で重要となる、非常に上手な描写かと思いました。
私が率直に感じた感想は上記の通りです。
ご意見であった、妻が見えた気がしたからという考えも私にはない発想だったのでおもしろくて、素敵な考えだと感じます!ありがとうございます!
はじめまして。私もこの説は本当であって欲しいと願う一人です。この考え方有り無しでは物語の奥行きが全然違いますよね。
実は、一つご意見伺いたいシーンがあります。
大雨後に須賀さんが窓を開けて室内に水が流れ込むシーンです。本来なら外に水が溜まっているので、窓を開けると室内が水浸しになる事は容易に想像できると思うんです。
観賞時に違和感を感じていたシーンでしたが、この説有りきで振り返ると、外に何か(奥さん?)が見えて、それを迎え入れたかったのではないかなと思ってしまいます。
shotamalさんへ
度々のお返事ありがとうございます。
細かな考察に、なんとなくあなたの意見にもうなずけるようになってきました。
これだけ須賀というキャラを深掘りできるように作ったのだとしたら、やはり新海監督はすばらしいですね。
正直、自分には甘くて軽い青春仕立てな部分が合わず、二度目の視聴を躊躇してしまうのですが、もう一度観た際には、あなたの考察をふまえて鑑賞してみようかと思います。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
晴れの日が続き、地が渇き、草木が枯れたら時折雨を降らせて潤いをもたらした。このバランスの見極めが、本来の人柱に求められた仕事なのかと思いました。昔は人々が雨や晴れだを望むことは、自然と調和した人々の生活の安定を図るためであることがほとんどであった。しかし最近は、自然とは関係のない各々のエゴで天気をのぞむ人々ばかりだ。(結婚式や運動会など、自然とは関係のない自分だけの都合で)
晴れの日は望まれても、雨を望む人は昔に比べ随分少ないのではないか。(人々の生活を自然とともに支える農家の方くらいではないか。)
そして物語冒頭に須賀の嫁の母が「今の子達はかわいそう。昔はいつの季節も素敵だと感じた」といったようなことを語った言葉から、昔は雨は雨、雪は雪でどの季節も人々は愛していたという、現代との対比が伝わる。(今は夏が好きって人多いですよね。「海にプールにバーベキュー、夏休みはクーラーのガンガン効いた家で学校に行かず外にも出ずゴロゴロできるぜ、雨降ってるから家でゲームする?、寒いのなんて大嫌い、これじゃ外出れないよ」こんな人多いのではないでしょうか。私自身も心当たりあり。)
つまり、あの災害や人柱が消えたことは、本来の教えに反した行動をみた天の怒りを表しているのではないか。
災害が起きるのは人柱の責任でもある。本来人柱が力を発揮し安定が保たれていれば、災害など起こらないという解釈もできるのだろうか。しかし上記したように近年では人柱ばかりの責任とは言えないのではないか。
みんなが自分たちのエゴで天気を望むから、晴れは選ばれても、雨は選ばれないから。
みんなで少しずつこの世界のバランスを崩したのではないか。異常気象による災害は、人柱への罰のみではなく、なにも知らず、のうのうとエゴに溺れる人々への、天からの怒り・罰なのではないか。
よって「災害からみんなを守るために人柱が存在するという考えそのものが間違い」だと感じた。
とりあえず人柱が生贄になって、その場を納めても、この世界はまたきっと人々のエゴに塗れ、また新たな人柱が犠牲になる。人々が気がつかないところでその繰り返して、特定のものが我慢しなければならない世界が続くとしたら、いっそみんなで天罰を分かち合ったほうが良いのではないか。彼女一人の責任ではない、なにもわかっていない私たちの責任でもあるのだから。
xian liさん
コメントありがとうございます。
その点について私も考えてみたので、私の考えを以下に書かせて頂こうと思います。
長くなるので分割します。
毎日晴れの日が続く。それはそれで異常気象であり、災害なのだと思います。水が減り、穀物はそだたず、北極南極の氷はとけ、熱中症・脱水で倒れる人も後を絶たない。
人柱となるということは、天気を必ずしも毎日晴れにするのではなく、雨の日や曇り空、雪の日など四季折々の適度な気候を織り交ぜ、それらを許し、その緩やかな変動を守ることが本来の定めなのではないでしょうか。
作中で雨の描写が多かったのは、私たちの現実世界が七月の夏場でジトジト湿気も多く天気が崩れやすく、雨が降りやすいのと同じ。自然の摂理であり、この時期には必要な天候であり、本来あるべき姿といえる天候なのです。(つまり人柱に守ってもらっている状態)実際雨が降っているといっても、決して災害ではなく、頃合いを見ていつかはやむだろうという、穏やかな雨という印象でした。
作中は皆晴れを望んでいたため(陽奈は人々の晴れの切望に応じた。妻は娘のために晴れにし続けたかった)、無理やり晴れにし続けた。そもそも晴れにし続けるという行為そのものが人柱として間違いだったのではないか。
天からしたら「そんな自分たちの都合ばかりで天気を決めるな。アンバランスは危険だ。そんなつもりで力を与えたわけではない。純粋な気持ちで天気を願う君なら相応しいと思い力を与えたんだ。やみくもに力を使うな。」そんなところかと解釈しました。
大きな水たまり一気に落ちてくる描写は、晴れにしたことでその場所には落ちてこなかったが、本来この世界に必要であった雨の量ではないのかと。晴れにした場所から弾かれた雨が一箇所に固まり、耐えきれなくなって落ちてきたのかと思います。
じゃあ、そもそも人柱で必要なの?と思う人もいるかと思いますが、この世界の微妙なバランスを保っていくためには、時折バランスを調整してあげる役割のものは必要なのだと感じました。
作中にもあったように、言い伝えでは、昔は各地域や村ごとに人柱がいたとのこと。昔はもっと細かい地域ごとに人柱がいて、雨が続きどうしようもないだろうと感じたタイミングでその地域の人柱が、束の間の晴れ間を作った。
初めまして、妻が晴れ女だった件について私の疑問なのですが。
もし人柱となっていたとしたらどうして劇中晴れの日は少なく雨が多いのですか?
最後人柱にならず3年間(多分)雨が降り続く描写になっていましたが、これから推測すると人柱になったところで物凄く効率の悪い事になり、何年かに1人は人柱になっている、だからそんな噂話しも流れてたんですかね?
批判している訳ではなく人物以外の視点もお聞きしたいです。
私的には「天気とは天の気分」と言う台詞が有りましたのでその辺は曖昧でもいいのかな(笑)と。
トムさん
コメントありがとうございます!
私も婚約者と、同じ映画を共有し、感想を出し合うのが楽しみの一つです。
たしかにあのキュウリとナスは少し気になっていました!やけにフレッシュな状態でしたね。
が、しかし!!あれも須田が供えたものとまで思考が働きませんでした!
おっしゃる通りそう考えるとすっきりしますね。
あの場に他に出入りする者がいたことを、明らかに物語っている、かなり注目ポイントでしたね。
トムさんのおかげでこちらこそ新しい発見をすることができました!
楽しい考察ありがとうございます。
chotamalさんの説素晴らしいです。妻と二人で映画の後に感想をだしあうのですが、陽菜が稲荷の鳥居をくぐりながら祈ったさい、足元にお盆の時になくなった霊をお迎えする、きゅうりと茄子が置かれていることが納得いかなかったのですが、須田が妻の霊の為に置いたのならばと思ったら納得がいきました。shotamalさんに感謝します。
ユージーンさん
コメント返信、ご意見ありがとう
ございます!
上記の中にあるコメント内にも書いた通り、私自身2回目の作品試聴を行い、少し考察が変わった部分がありました。須田は妻が晴れ女であったことや、それが原因で消えたことなどはラストに近づくまでは半信半疑でありあくまで須田も調査中。半信半疑ながらも確信に迫ろうとしていたのではないか。もし上記コメント参照まだのようでしたら参照していただければ幸いです。
よくわからないお寺のおじさんやその他の人々から得た情報でもイマイチうさんくささが抜けず半信半疑でいたが、廃墟での帆高のただならぬ雰囲気や警察から帆高が消えた陽奈を探してるとしらされたこと(その直前に気象が戻ったため、まさかとは思っていた)から、須田自身本能で感じるものがあったのかと。須田の涙や、廃墟シーンあたりからの表情から、ただ「帆高となんとなく境遇が似ている」だけとは言えないなにかがあるのではと感じました。須田のキャラクター的にあの涙は少しばかり境遇が似ている程度で出る涙ではないのかと。
妻が本当に晴れ女だったとして。
妻は須田に内緒にしていたのか。妻は伝えていたが須田が信じ切れずにいたのか。須田の目の前で妻は消えたわけではなく、気がついたら消えていたのか。(指輪だけ残っていた。ハタから見たら失踪だが、周囲にはこどももいるため事故にあったと伝えているのか)。よって晴れ女と妻がいなくなった原因をはっきりさせるためオカルトに走ったのか。大人としての体裁上、のめり込んでるようには見せず、半信半疑な態度はとり続けたのか。などなど想像しました。
色眼鏡なしで初回試聴したさいにこの背景が自然と浮かんでくる描写が個人的にあったので、私はこの背景ありきで面白い作品だと勝手に思っていますが、そう思わない人は思わない人で十人十色違った視点で楽しめる作品だと思います。答えはわかりませんが、私の中の天気の子というストーリーは以上になります!
指輪に関しては結構指輪は大抵どこのブランドも、号数を後から調整することは可能なので(太ったり年取って痩せたときなどのためにアフターケアあります)私は全く引っかからなかったです。須賀くらいの太さまでなら女性物でも大体調査可能かと!
shotamalさんへ
お返事ありがとうございます。
あなたのレビューで、自分も須賀について深く考えるようになりました。
自分としては、やはり「須賀の妻が晴れ女」という説には引っかかるものがあります。もしそうなら、あまりに須賀という存在を希薄に描きすぎている気がするのです。
まだ一度しか観ていないので記憶が曖昧なのですが、須賀が従姉妹の夏美と神社(?)で神主のおじいさんから天井絵の話を聞きに行く場面がありましたが、仮に妻が晴れ女として人柱になったと知っていたのなら、あのシーンは必要なかったのではないでしょうか。また、おじいさんの話にも、「晴れ女」というオカルトにも、半信半疑な態度だったように思います。そもそも、須賀の「オカルト」に対する姿勢自体も、金になるから、程度の印象でした。
それと、帆高にいきなり「100%の晴れ女」の噂を調査するようにけしかけたのは、おそらく「娘のため」ではないでしょうか。
雨の日には喘息がひどくなる娘を想い、物は試しと、「100%の晴れ女」という噂を帆高に調べさせたのだと思います。
そして、陽菜が人柱となり、帆高がそれを救おうとしたのを、最初は止めようとしたのも、帆高の今後の人生を思ってのことだとは思いますが、どこかに、このまま晴れていてくれれば娘の喘息も良くなる、という考えがあってのことではないかと。
須賀がしていた指輪については、おそらく自身と妻のものだという考えは一緒ですが、自分的には、同じ指に嵌め(てましたよね?)られるくらい奥さん大柄だったんですね、という馬鹿げたことを思っただけでした(照)
長々とあなたの考察を否定するようなことを書きましたが、決して批判したいだけで言っているのではありませんので、ご容赦を。
もしかしたら、自分が、陽菜をもっと特別な存在と思いたいがための見解なのかも知れません。
shotamalさん
早速のご返答ありがとうございます‼️
だとすると、いよいよあの廃ビルの鳥居が気になりますね。あの土地や屋上の鳥居に関する何らかの由来や言い伝えがあるとより物語が深まると思います。
(私の見落とし聞き落としだったらすみません。)
琥珀さん
コメントありがとうございます!
「人柱という希少性」についてなのですが、陽奈がもともと晴れ女ではなかったように、選ばれしものだけ生まれ持った才能ではなく、後天的な力だから数人同じような人がいても不思議ではないかと思っております。
陽奈は純粋な気持ちで強く強く願いながら鳥居をくぐったことを機に天気を操れるようになった。
帆高も純粋な気持ちで強く強く願いながら鳥居をくぐり、天と繋がった。
想像ではありますが、須賀の妻も強く強く願いながら鳥居をくぐったことで力を持ったのではないかと。
(すべて私の勝手な想像ですが)娘の喘息発作を誘発する雨をどうしても避けたかった。コントロールの悪い喘息発作って、ひどいと十分生死に関わりますからね。強く強く願ったのだと思います。
代々木のあのビルのあの屋上の鳥居で、天気について純粋な気持ちで強く強く願う人はそうそういないと思うので、希少性はある程度は保たれているのだと思います。
そんな珍しい体験をした数少ない人々の巡り合わせが描かれていると感じております。
人柱という存在の希少性を考えると違和感は拭えませんが、想像力を大いに刺激されました。ありがとうございます。
須賀や失われた『東京』が象徴するものは、今の大人たちが作った社会システムとその既得権なのだと思います。若者の多くは世の中の大人の事情に振り回されて、就職氷河期とか将来の年金などの言葉で不安を煽られた挙句、大人たちの目先の生活不安を先送りさせるために(税金を納めるために)既存の社会システムに組み込まれることを要請され、従わない者は社会から弾かれ疎外される。
既存の社会システム、言い換えれば、大人たちが保有している経済的価値(それこそが『東京』)なんか無くなったって、大丈夫だから。また、ゼロから始めればいいんだから。新しい社会(次の東京)を君たちが作ればいい。だから、大丈夫‼️
というのが新開監督のメッセージだと思います。
大人になれよ、というのは、もう諦めて社会システムに従えよ、ということだったのだと思います。
拳銃は、少年と須賀がそのくびきを振り払うキッカケの象徴だったような気がしています。
カゲさん
たしかに「大丈夫」のところは両者の対としての描写のように感じますね!RADWIMPSの大丈夫の歌詞が沁みますね。
ユージーンさん
たしかにそういう見方もありますね。
ただ助けたくなっただけではなく、利己的な考えを捨てたくなった。その気持ちもたしかに含まれてると私も感じます。
みなさんコメントありがとうございます!
観る回数を重ねるごとに自分の中の解釈や発見が増えていく作品ですね。あえて登場人物について深く解説がなかったのは、登場人物の表情や細かい描写で映画を楽しめるようにするための監督の意図が感じられます。
自分の解釈が当たっていても外れていても、想像する余地があることって楽しいですよね。
帆高の家出理由もあえて帆高の口から語らせるのではなく、本当に小さな島で狭いコミュニティで暮らしてきたというラストの卒業式の描写や、警察が帆高の捜索中に陽奈に見せた写真(写真の隣にはいかにも厳格そうな父、固い帆高の表情)。これらの描写から帆高が窮屈な生活を送ってきたのではないかということがひしひし伝わってきます。将来の夢を親に押し付けられたりでもしたのでしょうか。狭いコミュニティで気の合う仲間ができなかったのでしょうか。(妄想全開です)
あの年頃のこどもが「どうしても家に帰りたくないんだ!」と決意するには十分な描写でした。
私自身も心当たりありますしね笑
考察拝見させていただきました。
上映中に腑に落ちなかったことが解決した気分です!
ここまでの考察ができるようになってみたいです!!笑
またこの通りに新海誠監督が考えていたとしたら映画を観てる人にどこまでの考察の深さを要求しているのかって感じですねw
このレビューを見たせいでもう一度観に行くことになりそうです。ww
須賀に「未来の帆高」を重ねていた、という考察はわかります。
ただ、廃ビルに須賀が先回りしていたのは、おそらく、帆高の「100%の晴れ女」に関する記事に、陽菜のことが書かれていて、そこにあの廃ビルのことも書かれていたからではないでしょうか。
須賀が最後、帆高に加担したのも、娘と暮らすために危険は犯せない、という「大人らしい」利己的な考えに嫌悪を抱いたからだと、自分は感じました。
そういう事か!
全てがスッキリしましたありがとうございます!
須賀の場合:晴れ女を人柱にすることを拒まず、その引き換えに後悔や葛藤の念に駆られる
帆高の場合:人柱にすることを拒み後悔することは無い。東京は沈没してしまったので世界にとってはマイナスになるが人々は割と順応できる
なので帆高の判断の方が正しいようにも思えますがこのルートだと瀧と三葉が出会えません
しかもその事を帆高は知れません
それを知れるのは鑑賞した僕達だけです
君の名は。だけでも天気の子だけでもいいですが2つまとめて一つの作品と捉えても面白いと思います。
このレビューは面白いですね。須賀の妻が晴れ女と言う可能性はあるように思えます。
あと、須賀が無意識に涙して刑事さんに「あんた大丈夫かい?」と言われて何も答えられなかったのに対して、
最後に陽菜と再会した帆高が泣いているところを「大丈夫?」と聞かれて「僕たちは大丈夫」と返したのも対になっているのだなと感じました。
実に素晴らしい解釈です❗色々、スッキリしました。見終わった後、人を好きになるって、青春っていいなぁと感じさせてくれる傑作でしたが、この設定を嵌め込むと、ますます深みを感じ、もう一度見に行きたくなりました❗エンドクレジットを見ながら、一人だけ「見逃していた」事に気づき、モヤモヤしているので、また見に行きます😆
みなさんコメありがとうございます!
映画に深みを持たせて、ディスカッションできる作品というのは楽しいですね。
2回目観た感想としては、やはりこの説はありかなと思いました。ただ新たに以下のことを感じました。
ラストに近づくまで須賀は、妻が晴れ女だと確信していたというよりは、「晴れ女であること、それが原因で消えたことについて半信半疑な状態」であったのではないか。確信に迫るため、帆高に晴れ女について入れ知恵させ、追わせていたのではないか。
妻が須賀に晴れ女になったことを話していたかどうかまではわかりませんが、たしかに普通の大人は「私晴れ女よ」と言われて晴れたとしても、そうそう信じないですよね。半信半疑であるからこそ晴れ女に心囚われ続けているのか。帆高のように純粋に信じきれなかったから助けようと暴走することができなかったのではないか。
ただあの廃墟ビルが妻を変えたきっかけであると、なんとなく感じていた。ビルにきた帆高の異様な様子を見て、須賀自身このタイミングで確信に迫ったのではないか。ラストにかけての須賀の表情がこの過程を物語っているのではないか。
・過去にも異常気象が続いたという描写がないことについて。
これについては、須賀の妻は異常気象が起きてすぐ人柱になることを選んだため、異常気象が続いた描写がなかったのではないかと。異常気象って現実世界でも何年かに一度くらいは必ずありますよね。人々が知らない所で犠牲になって守ってくれた人がいたよということなのかと。
須賀が異常気象のニュースをみながら、ずっと辞めていたタバコを沢山吸って酒を浴びて寝ていた描写がありました。その描写で、「妻が消えた前後の様子と似ている。すべて本当のことだとしたら、あの子ももうじき消えるのか。人柱一人で救える世界なら一人犠牲になるくらい仕方ないんだ。妻だって犠牲になって世界を救ったんだ。だから仕方ないんだ。…いや本当にそれでいいのか?」と悶々としていることを表しているのではないかと。
須賀が指輪を触るタイミングは、罪悪感を感じている時ではないか。陽奈に依頼して晴れしてもらった時と、陽奈が消えた後(晴れたことにより須賀は陽奈が消えたことを悟った)に刑事が来た時。
まだまだ行間の読み応えのある作品だと感じました。
この想像がすべて合っていなくても、こうやってイメージに浮かんでくることが楽しいです。
自分もこのレビューをみて見直してきました!
最初はこの設定に気付くことが出来ず、自分の中の評価は高くなかったのですが、この設定を確認しにもう一度見たところ、大変感動しました。
大事なシーンでは須賀が妻の指輪を触っているところ、代々木の廃ビルに先回りしていたこと、無意識のうちに涙が溢れているところ、ムーの記事を書いているところ、この世界はもともと狂っているんだという言葉など、この映画で少し疑問に思っていたところが、全て繋がりました。
さらに、大人になって妻の死を受け入れた須賀と、自分の愛する人を優先し大切な人のいる世界を選んだ帆高の対比も大変納得でき、ラストのシーンの重みも増したように思えました。
君の名はで、三葉の父親も母親と入れ替わっていたことを考えると、なるほどその通りで、
「くそーなんで気づかなかったんだー、くやしー」という気持ちになりました。
一本とられた感じです。
2回目みにいくかー。
おもしろい考察です!まったく同じ境遇であったかは分かりませんが、二人は似た人生を歩んでいるのは劇中でも描かれていました。大人と子供の対比であり、そして最後はその中間である青年となった主人公を笑顔で迎えて送り出すというのがなかなかに深い描写だと感じました。
この考察を見て凄い面白いと感じて自分も考えて見たのですが須賀さんの奥さんが晴れ女であれば過去に異常気象なりなにかしら天気に影響が出てたのかなと考えました。テレビではそのような描写がなかったため奥さんが晴れ女という可能性が低いのかなと感じたのですが、晴れ女=異常気象が起こるという訳でもないのかななどと考えたりしてこの考察を元に他の考察も考えることが出来て面白かったです。自分の中ではあまりこの映画の評価はあまり高くないのですがこの考察を元に終盤をもう一度見直したいなと思いました。
shotamalさんへ
やっぱり再試ですね!次はshotamalさんの説を前提にして見てきます!で、結局分からなくて再々試、再々々試、のループにハマりそうな予感w
bloodtrailさんコメントありがとうございます。
GPSなるほど。しかしGPSとなると廃墟ビルに入っていく帆高を追いかける形で須賀がビルに入ってくるのではないでしょうか?
建物が立ち並ぶ中、どのビルに帆高が入っていくかを予想して先に須賀がビルに入って帆高を待っていることは結構難易度高めかと思ってしまいます。
このシーンでこの説は決定的かと思ったのですかどうなんでしょうかね。
前カノ説はなんかやですね笑。純粋に奥さんのものであってほしいです(笑)
shotamalさんへ
劇中、しつこく「二人が似ている」を繰り返すので同じ事を一瞬考えましたが、「天(神)の力とツナガルと言えばオトメと相場が決まってる」んで違うと。廃ビルはバイトをGPSで追跡してましたし。
ただ、shotamalさん指摘の指輪は確かに気になるw 嫁の前カノではないですか?闇設定で。だからオカルトライターになり、後を追ってるとか?
コメントありがとうございます!
あくまで想像ですが、私はそう感じました。
須賀が最後、あの廃墟に帆高より先にいたので勝手にすべて繋がった感じかしたのですが、どうなんですかね^^;
色々妄想を膨らませながら、ロマンを感じています。
確かにそうですね。
大人と子供の比較描写が良かったですね。
須賀の嫁が天気の子かどうかは分かりませんでしたが、「君の名は」の流れを考えるとありえるかも知れません。そうすると、電話で話してたのはどちらかのご両親かも知れませんね。