「社会福祉と科学から見た天気の子」天気の子 千田寛仁さんの映画レビュー(感想・評価)
社会福祉と科学から見た天気の子
主人公の帆高君は家出とか16歳にしては行動が稚拙というか、周囲が見えていないで親や社会に迷惑をかけていることが解っていない。一方の主人公の陽菜さんは、母親を亡くして弟と二人で児童相談所にも頼らずに何とか細々と生活している。
サバイバルなことをせずに、帆高君は、きちんと親に相談して上京する必要があったし、陽菜さんは社会福祉に頼る必要がある。
それでも、純愛ともいえる出逢いが出来たのは、彼らの不幸とも言える境遇と、絶妙のタイミングによることだった。
物語では懐かしい顔ぶりに再会できた。新海誠監督のファンサービスであった。
ネタをばらしたくないので、人間というもの、会えない人を思うと心は翳り、号泣したくもなる。ずっと堪えて生活してきた人の気持ちは分かる。
左、左回りを強調していたので、新海誠監督は、気候変化の仕組みをよく勉強していたと見える。
一説、空に電荷-の電子(左回り)が空に満ちると晴れになり、電荷+の電子(右回り)が空に満ちると雨になる。それは、重力と関係している。
電荷-の電子が充満するということは、光子もその分乗じて発生する。光子が発生するということは、そこの物質が軽くなる。軽くなれば「浮く」。即ち反重力の作用をする。逆になれば気温は熱くなり、物質は重くなるので、雨が降るという単純な理屈。
ただ、古い悪しき慣習から抜け出せていない様子で、人柱が必要だとか、問題の答えを二択しか持たなかったりと、まだ、今の世から抜け出せてない感が否めない。その点は最低だなと感じた。
彼女を選ぶか、世界を選ぶかという発想ではなく、<世界を保ち、自分も彼女も守る選択をして欲しい>とは思った。
あらゆる物質の本質は空(くう)である。空であるところのデータは無限である。社会福祉から思えば、空であるところの資本を、統治者は、国民に対して例えば月に30万円程度を、生れてから生涯支給すれば、映画に出てくるような困窮はなくなるのである。
リアルな日本では、閨閥と都市に資本は流れて、離島含む田舎には資本が流れない仕組みになっている。ただ、このままでは国として経済は崩壊する。
そうならないようにするには、資本を国民に与え、どの地域に住もうとも経営<生活運営>できうる状態にし、災害などを事前に考え、政府地震調査研究推進本部のホームページにも目を通して、国内の移住なども安易に出来るように工夫を尽くさないといけないと思う。
日本国のはじまりの国、大倭日高見国の資本原理は実にはじめから国民に財(米)を授けて、感謝の心で社会が運営される仕組みであった。
であるから、この映画には統治者と経済界へのテーゼも含まれていると見える。主人公の姉弟に対して、なにも救いを齎さない社会というものに対して、借りは無いのだから、まあアニメだから、結果はそうなるのかなと思わせる。
冒頭風俗の宣伝も貧困を亡くすには苦肉の策であるが、その後生じるであろう医学的問題からすれば無責任な話である。「万人への愛」を思えば、健全な打開策を練るのが周到で、人間の良心が開花するように誘導するのが日本のアニメーションの本懐ではないだろうか。新海誠監督は、それができると思うので、次回作に期待する。
日本国の政治経済資本概論をしたためてみたから興味のある方はググっていただければ幸甚に思う。