「自分のエゴを押し付けるな」天気の子 ykさんの映画レビュー(感想・評価)
自分のエゴを押し付けるな
主人公は、拳銃を人に向けて発泡したり、警察から逃げたり、線路を走ったり、世間からすれば理解されない行動をしている。
そして、そのような行動をする主人公に、けしからん!感情移入できない!という批判が多くある。
だが、その批判は的外れ。
この映画は、純粋な心を失ってしまっている大人へのメッセージ、世間への問いかけである。
相手が警察だろうと世界だろうと、周りの大人たちが穂高をどんなに否定しようとも、穂高はあきらめない。純粋な恋ですよ。
大人になると、現実を直視して、穂高のように行動できないし、穂高のように周りを全く見ていない子供を否定する。
それが天気の子を批判している人達であり、自分のエゴを押し付けている。
君の名は2でも、造ってほしいのか?
監督には、君の名は。のような万人受け作品を作って欲しくなかったので、今作は野心的で素晴らしいと思いました。
ykさんへ
申し訳ありません。コメントを頂いていたことに気づかず、回答をダブらせてしましました。同じ話を二回もしてしまい、お恥ずかしいばかりです。お許し下さい。
ykさんへ
コメント、ありがとうございました!
コメントへの回答を、こちらへも上げておきます!
「描写されている事」で合理的に説明ができないところは想像するしかありませんが、この映画の場合、「描写されている事」を繋げれば、登場人物の行動は、ほぼ説明が付くのではないかと思いました。「竜神」、と言うか「天気と陽菜の繋がり」と言う、ファンタジー部分を除けばですけど。
少なくとも須賀は「GPS追跡」の履歴を追い掛けて行けば、何時かは廃ビルに辿り着きます。ただし「待ち伏せ」するにあたっては「そこが該当する場所であること」の確証が必要です。「GPSの履歴」では、「確証を持って待ち伏せする事」を合理的に説明できないため、もう一つか二つの補足的な事実が必要で、それを私は「夏美だけが知っている、帆高が向かった地区の情報」だと思いました。
この二つの情報があれば、廃ビルを特定し、確証を持って待ち伏せすることが可能です。
また、帆高を見失っていたはずの警察が、なぜあそこに辿り着くのか?って言う問題もあります。「須賀が帆高を追っていること」と「須賀は場所を知っている事」を「警察が知っている」のであれば、合理的につながります。その接点にある存在は夏美なので、情報は彼女から漏れた、のか、発信されたと考えました。と言うか、鑑賞しながら直観しました。
取りあえず、これが私の感じ方、と言うか、直観的な理解でしたが、ykさんの様な理解もあるのだと言う事で、参考になりました。コメント、ありがとうございました!