「『彼女の肩に』」ナディアの誓い On Her Shoulders とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
『彼女の肩に』
力強い。
彼女の、戸惑いながらも、同胞を助けようとする意思が伝わってくる。
それでいて、とても23歳とは思えぬ表情。疲れ切ったような、醒めたような眼差しが忘れられない。
ナディアさんの身に起こったこと。
起こってはならぬこと。
なのに、昔から世界各地で起こっていること。
1992年ノーベル平和賞受賞者リゴベルタ・メンチュウさん達、グアテマラの女性たちが経験したこと。
コナビグア(連れ合いを失くした女性たちの会)のルシア・キラ・コロさんを招聘したイベントに関わった時のことを思い出した。
この映画のように、聞きにくいことを聞いてくる記者。その質問に怒る私達を制して、ルシアさんは丁寧に答えていった。ルシアさんも記者も、聞きにくいこともきちんと聞いて、記事にしないと、誰にも相手にされないということを知っていた。事実なのに、興味がない人に耳を傾けてもらう事ーそれがこんなに難しいなんて。
TVでも放映してほしいと持ち掛けたら、NHKのディレクターに、「虐殺が恒常的ならば、放映したとしても、視聴者はすぐに忘れる。もっとインパクトある出来事はないですか?」と言われた。映画『ホテルルワンダ』でも出てきたエピソード。
そして、まったく見向きもしなかったマスコミなのに、ルシアさんが当時の土井衆議院議長と会うことに決まったとたん、取材の申し込みが殺到した。そこで何が行われているかというよりも、そんなことの方が大事なんだ。
コナビグアは、長い活動の結果、代表のロサリーナさんが国会議員となって、国作りに参加している。
ヤジディ教徒は、今後どうなっていくのだろう。外部とほとんど接触のない土地と聞いた。
だが、不幸な事件を通して、世界を知ってしまった。世界に目を向ける者、武装する者、伝統を守ろうとする者…。
鎖国が解かれて、世界を知った幕末の顛末を思い出してしまった。
ヤジディ教徒の”星”と祭り上げられてしまったナディアさん。
願わくは、コナビグアのように、同胞の仲間をムラド氏ともう一方以外にも作ってほしい。仲間がいれば、がんばれるから。
そして、かっての植民地のように、ヤジディ教徒のためと言いながら、そこに利権を求める者たちに、蹂躙されぬように、団結してほしい。
コチョ村は解放されたけれど、ここからまた物語は始まるのだから。
それ以上に重要なのは、ナディアさんが幸せになること。
それが不埒な奴らに勝つことになるのだから。
聞きかじったヤジディ教徒の教え・慣習を考えると、険しい道かもしれないが。
ナディアさんご自身は、まだ自分が奴隷の身でいるような気がする、価値がないもののような気がすると映画の中でおっしゃっていた(思い出し引用)。ノーベル平和賞の肩書も、ヤシディ教徒の”星”と呼ばれることも、ご自身の中では、絵空事の、自分ではない誰かのことのようで、実感はないのだろう。実感する自己像と、肥大化していく肩書の狭間で、そこでも自分というものを見失いかねないのだろう。
それが、暴力による支配・性加害の一番の罪。その人の誇りをズタズタにする。
それが、突然、ヒーローに祭り上げられた人の心の中に起こること。理想化と価値下げ。マスコミにも翻弄されるが、ご自身の心の中でも、変転を繰り返すのだろう。
世界平和。ヤシディ教徒の未来。これは、彼女の肩でだけでなんとかするものではない。
「彼女の肩にかかる重荷に、ナディアさんがいつまで耐えられるか、それが心配だ(思い出し引用)」と、一番身近でナディアさんと行動をともにするムラド氏がおっしゃる。
活動のために、目的のために、”被害者”としてのナディアさんを利用する人・”被害者”なのに頑張るナディアさんだから注目する人も多い中で、20代の女性としてナディアさんをみて、ナディアさんの心の動きを理解して、大切にしてくれる人がいる。ほっとした。
ナディアさんが”活動家”の肩書を脱げる時。彼女に、彼女なりの幸せが訪れていますようにと心から願う。
なんてことを考えながらも、鑑賞しているうちに、自分の心の中にも炎が燈ったような気がしてる。
私は、誰かのために闘えるのだろうか。世界平和なんて大仰に構えなくてもいい。身近な人のためでいい。もう少し、踏ん張ってみようかなという気にさせられた。