劇場公開日 2019年6月28日

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「真実追求のドラマと云うより、自己愛が強い私映画のフィクション」新聞記者 Gustav (グスタフ)さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0真実追求のドラマと云うより、自己愛が強い私映画のフィクション

2020年7月20日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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Gustav
Gustavさんのコメント
2021年1月25日

これまでの時代の価値観で大まかに系統立てるとすれば、初期の古典的な映画の評価基準のプライオリティが”良いか悪いか”だったのが、アメリカニューシネマを経た1980年代に終わったと視ています。社会が成熟して映画表現の多様化が進み、人其々の価値観が許される時代では、”好きか嫌いか”が映画鑑賞の最優先になりました。それが更に進んで21世紀ではその人にとって”気持ち良いか悪いか”が発言出来る自由な時代になったと言えます。その表れとして、1996年の周防正行監督の「Shall We Dance?」の中で若い女性がダンスパートナーの竹中直人役に、はっきりと気持ち悪いと言って嫌悪感を露にするシーンがありました。気持ち悪さをユーモアに転化した竹中氏の演技力と個性で見逃しがちですが、個人的には衝撃のシーンでした。
現在では、リアリティとその共感性が映画鑑賞の最も大事な要素になっているのは明らかです。但し、今まで信じられてきたマスメディアの嘘=(フェイクニュース)が蔓延しては、虚構の世界で想像力を楽しませる映画の見方も変わらざるを得ません。これまでもフェイクニュースが無かった訳ではなく、それらが秘密のベールで包まれて社会が成り立っていただけに過ぎないのかも知れません。SNS含む情報過多のこれからは、何を求め信じるかの個人の選択の重要性が増していくばかりと思います。

ハッキリ言えば、この映画の主人公のモデルは魅力的ではありません。50年以上映画を観て来て一番良かったことに、人に騙されなくなったことが挙げられます。地位や経歴、その他社会的にどう評価されようが、自分の眼で判断できるようになりました。いい俳優の台詞や表情を優れた監督の演出を通して考える、これが映画最大の美点ではないでしょうか。
また今のマスメディアの嘘が減らない限り、リアリティの追求に醍醐味は形成し辛いのではと考えます。日本のテレビドラマがここ二三年で一気につまらなくなったのも、それに起因していると思います。
つまり、この映画「新聞記者」は、共感性の点でもリアリティの点でも評価できないという事です。最も評価しているのがマスメディアの片隅にもいる映画界という皮肉に、ある種の無念さも感じてしまうのです。

Gustav
iwaozさんのコメント
2021年1月11日

何か納得いかないと思ってましたが、合点がいきました。m(_ _)m
ありがとうございます。

iwaoz