劇場公開日 2019年6月28日

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「もう少し観客の目線に立てば、より作品の質が高まったのでは。」新聞記者 yuiさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5もう少し観客の目線に立てば、より作品の質が高まったのでは。

2020年3月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

まずは第43回アカデミー賞の最優秀賞獲得を心よりお祝いしたいと思います。藤井道人監督はこれだけの作品を作り上げる実力を示すことができ、これからの活躍が楽しみです。
また作品の主題も意欲的かつ挑戦的で、現在進行形の社会的な問題を取り込み、かつエンターテイメント映画として成立させるという難題に正面から立ち向かいました。その熱意は本当に素晴らしいと思います。

このように本作に対しては手放しに絶賛したい気持ちがあることを前提として、個人的にどうしても看過できない幾つかの点について指摘したいと思います。

まず撮影についてです。今村圭佑氏による撮影は、真上からの俯瞰撮影など、斬新な構図が目を引きました。しかし同時に、不要とも思えるような撮影技法に溺れた面があります。特に気になったのは、新聞社の編集部という重要な場面における、過剰なまでの手ぶれ演出です。緊迫感を醸し出す意図なのでしょうが、この揺れ方が尋常ではなく、しかも手ぶれ補正機能の付いたレンズを無理に動かしたような不自然な揺れのため、画面を見続けることが非常に苦痛でした。ところが状況的には重要なやりとりが進行しているため、辛くても目を逸らす訳にもいきません。このような場面が今後も続くかと思うとげんなりして、途中で席を立とうかと思ったほどでした。
本作ではそれ以外の場面でも手ぶれ撮影を用いていますが、多くの場合はそこまでしつこい演出ではなく、特に神崎家での撮影においては非常に効果的に機能していました。「せわしない現場描写=激しい手ぶれ」という発想なのでしょうが、見づらいだけの手ぶれを喜ぶのは撮影監督だけです。ラッシュの時に誰も止めなかったのかと不思議に思いました。

次に、映画畑を歩んできたスタッフとは思えないような、演出上の引き出しの少なさ(古さ)が気になりました。例えば政府直属の「ある機関」の描写ですが、薄暗い照明に無表情な職員達がひたすらPCの画面を見ながらキーボードを操作するという、いかにも「悪の組織」然としたもので、ここだけ『未来世紀ブラジル』を見ているような錯覚に陥りました。『ブラジル』には管理社会への諧謔という要素があったのですが、本作に関してはそのような風刺が含まれるような余地はなく、制作側は(劇中の職員の表情と同様)ひたすら生真面目に、手垢の付いた演出で押し通しています。しかもこの組織があらゆる犯罪行為を躊躇なく行ってきたことが明らかになるにつれて、現実に存在する同名の機関との乖離が著しくなり、現実味を欠いていきました。主人公杉原の上司が登場するごとに、社会ドラマの軌道から外れて、どんどんファンタジーの領域に近づいていきました(おまけに大勢スタッフがいるはずだが、実働はほぼ杉原と上司の二名だけ…)。主人公達に対立する「敵」をここまで分かりやすく描写しないと観客には伝わらないと考えたのでしょうか?そうであれば制作者側は観客の鑑賞眼を見くびりすぎていると思います。

また現代であれば、報道機関は紙面だけではなくインターネット上でも、日常的に情報発信を行っています。ところが本作では、インターネットで交わされる情報はTwitterと思われるSNSでの断片的な感想や罵詈雑言に限られていて、重要な情報は紙面によって初めて人々にもたらされるということになっています(新聞記者である主人公が一般人が映った画像をSNSにアップする場面もあったが、肖像権の点で問題ないのだろうか?)。

さらに後半では、輪転機で刷り上がった新聞が、各家庭に届けられるという、スピルバーグ監督の『ペンタゴン・ペーパーズ』にそっくりな場面が登場します。新聞ができあがる過程を見ることができる面白さを感じなくもないですが、1970年代を舞台にした映画と現代の新聞社の描写がほとんど一緒というのはどうしたことでしょうか。例えば新聞社のホームページ上に速報の文字が現れる、というだけでもかなり現代的な要素が強まったと思うのですが。

映像表現者としては若い世代に属する藤井監督とスタッフが、こうした典型的、というか古くさいインターネット観、新聞観を何の疑問もなく提示し、より新たな価値観、映像表現を導入していないことに驚きを隠せませんでした。

以上の問題点と比較して些細な点ですが、杉原のかつての上司が命をかけて伝えようとしたある「秘密」についても疑問を持ちました。その謎が明らかになるまでの過程は、実際に世間を騒がせた、ある大学許認可問題をなぞるかのような現実味のある展開だったのですが、その中核にある謎が少し現実離れしたものであったため、ここでも主人公達の挑む課題が空想の彼方に飛んで行ってしまいました。というか、「あれ」そのものを開発するのは問題だとしても、「あれ」を研究する機関であれば、国家戦略としてはあり得るんじゃなかろうか、とも思いました。教育機関と偽ることは問題だとしても、そもそも偽装する必要のない秘密だったんじゃ…。

また本作で登場人物が見せる感情は、一貫して「悲嘆」「怒り」「失望」「疑念」に満ちており、喜びや楽しさが入り込む余地はほとんどありません。社会派ドラマとしての重厚さを強調したいという気持ちも分かるのですが、一様に暗い表情でひたすら眉間に皺を寄せた人物を二時間近く見続けるというのは相当な苦痛が伴います。前述した自己満足的な手ぶれ演出の問題とも共通しますが、やはり社会派エンターテイメント映画を目指すのであれば、もう少し観客を映像的に楽しませることにも意識を向けてもらいたいところです。

長々と批判的な文章を書きましたが、冒頭で言及したように、本作を作り上げたスタッフの熱意には非常に感服しており、次作を楽しみにしています。

なお、シム・ウンギョン扮する吉岡エリカは、原案を提供した(そして恐らくモデルとなっている)東京新聞・望月衣塑子記者のように、現場に積極的に切り込んでいく性格なのかと思いきや、意外に慎重派で、やや猫背の姿勢が醸し出す「底知れない」雰囲気が印象的でした。彼女の独特さをもう少し物語に活かして欲しかったと思わなくもなかったですが、これはほんとに些細な願望です。

yui