運び屋のレビュー・感想・評価
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人生の時間の大切さを改めて感じさせてくれる
人生の時間の大切さを改めて感じさせてくれる。どう行きて何を大切にするのか。時間は瞬く間に過ぎて行く。当たり前の、過ぎた時間は取り返せないという事をリアルに感じさせてくれる。
生まれてきた子供や妻との時間を丁寧に積み重ねて生きなければいけないと、改めて思う。
ピエール
今回のイーストウッドの役は、この時期のタイミングで
なんだかなぁと思ってしまう、コカインの運び屋で、想像を
絶する量のコカインを運びます。ピエール逮捕でこれだけ
騒がれている中で、直接関係ないとはいえ、イーストウッド
演じる90歳の老人は、それほど罪の意思は見られず
家族をないがしろにしてきた人生を大金で挽回しようと
運び屋にはまっていくのが、少し違和感。
全体的なストーリー展開は、犯罪ものにしては高齢者が
主人公のせいか飄々・淡々としており、雰囲気は寅さんの
映画を思い出すような場面もあります。
イーストウッドを追う麻薬捜査官もなんだか
追跡がぬるぬるです。
バイオレンスシーンはないですが、イーストウッドが
もらったお金で女性と楽しく遊ぶシーンがあるので
R指定となっています。
イーストウッドは実年齢は88歳で、見た目は昔のマッチョから
ガリガリとなり、動きもよたよたしていて、ダーティハリーの
時代のかっこよさは見えません。
しょうがないのですが、少しがっかりして、あとから
映画本の解説を見たところ、よたよたの姿はあくまでも演技で
いつもは背筋も伸びて動きもかくしゃくとしているそうです。
※どおりで、最近20歳代の映画プロデューサーの女性と
結婚しただけあります(同じ年代の孫がたくさんいます。)
※先般観た、『グリーンブック』もそうですが
ハリウッドはネタ不足で、実話や日本の漫画原作などに
さらに手を出してきています。
※今作に出ている娘とは、30年前に猟奇殺人映画で
やはり娘役で競演しています(当時娘は8歳で、猟奇殺人者に
殺されてしまう役です。倒錯的。)。
※ブラックレインやゴッドファーザーpart3では精悍な
青年だったアンディガルシアがでぶのおじさんになっていました。
辞世の句
どおにも出来すぎた話だった。
今までの作品とは一線を画すというか…異質な感じがする。
コカインの運び屋っていう、かなりセンセーショナルな主人公なわけだけども、彼を取り巻く職場環境は実に平和だ。
皆、友好的で冗談が飛び交う。
逆に家庭では最早排除されていると言っても過言ではない。
この「家庭」に帰属するっていうのが物語の結末なのだけれど…どおにも大団円すぎて。
そおいうものなのかもしれないが、妻が最大の理解者なのである。
どおしようもないこの俺の良さを発見してくれた第一人者、その俺に家族を与えてくれた立役者、のような解釈だろうか。
後半はガッツリその辺りの事が語られる。
物語は12年前から始まり、若干若いイーストウッドに特殊メークの威力に感嘆とする。
脚本も順を追って構成されていて、見やすい。展開も至極簡潔。
というか、まっしぐらだ。
齢90歳、棺桶に両足突っ込んで後は横たわるだけぐらいの爺さんが、落ちるとこまで落ちた自分を唯一必要としてくれる人がいる。
罵り合いもしたし、拒絶も拒否もした。
それでもやっぱり、命か尽きるその間際には、人生かけて「愛している」と告げたあなたの傍がいい。
なんか珍しくホームドラマ寄りな作品に拍子抜け。分母が大きい作品とでも言おうか、彼の境遇に共感する人は多いと思う。
それ故に、犯罪に加担して得た金の用途への言及はほぼない。
コカインを流通させて得た金で開かれた結婚パーティーや、卒業とか、結構わだかまりが深そうに思うんだが、アメリカはそうでもないのだろうか?
大団円にもっていく強引さが、珍しく目立ったとも言える。日本ほど世間体に頓着しないお国柄なのかもね。
それと今回はシーンの〆のカットが随分と緩かったような気がする。
引き絵だったり、風景だったり、移動してたり…そのせいなのか、若干ダレた印象がのこる。
イーストウッドの顔が、とても優しくて…いや、驚くほど柔和で印象深かった。
込められたメッセージ
初回は孫娘の結婚式のため。
2回目で、家を取り戻し、退役軍人クラブに寄付したいという欲が出て3回目。運ぶ仕事そのものが、まさにドラッグのように、4度、5度、、、と続く。
このまま飄々と逃げ切るのか、捕まるのか、殺されるのか。どんな結末が待っているのか、一旦、気にはなるのだけど、結末よりもプロセスに魅せられる映画です。
クライマックスは、捜査官と出会う朝のコーヒーショップではないでしょうか。
作る映画には常にメッセージを込めてきた監督の、独白のようなものが、その会話を通じて伝わります。
「100歳まで生きたがるのは99歳まで生きた者だけだ。」
88歳で傑作を生む監督には、90歳になっても作ってもらいたいです。
花と家族と時間
デイリリー。一日花のユリ科の植物。
この花に魅せられた男の数奇な物語。
ネットの普及で、事業を畳むことを余儀なくされた時、彼はもう若くなかった。
家族より仕事をとり続けたことで、妻に愛想をつかされ、娘に恨まれ、唯一の味方は孫娘というしがない老人は、風にそよぐように残りの日々を生きるだけだった。
そこに悪魔のささやきが…
まんまとその囁きに乗るしかなかった時から、彼の人生が転回していく…
成功と呵責。その狭間で揺れる男の葛藤。
家族を顧みなかった事への後悔。
ギャンブルと解っていてもやめられない仕事。
莫大な報酬によって得られる他人からの称賛と感謝。
しかし金では取り戻せなかった「失った時間」
それでも、仕事を放って危篤の妻の元に舞い戻った時、「失った家族」は取り戻せた。
その家族との時間は、男が魅せられたデイリリーが花開く只一日のごとく、心から愛していたものだった。
この映画はクリント イーストウッドの集大成であり、間違いなく代表作だ。老いてなお研ぎ澄まされる映画作りの感性に、惜しみない敬意と感謝が湧いてくる。
USA版人情話
もしかしたらクリント・イーストウッドの作品を観たのは初めてかも知れない。勿論、ダーティハリー・シリーズは知識では知っていたが、吹替えの故山田康雄氏のイメージが強すぎる印象しかない。
そんな訳でかなり癖のある俳優の演技がもしかしたら最後かもしれないとの触込みで鑑賞した。
確かに、ハリウッド的な人情話を感じる。家族を顧みない男が世情から遠離ってしまうことで命より大事な仕事から弾き出され、ダーティーな頼まれ事を金のために引き受ける内に、家族との真の邂逅に向かうという、世界中でよくある話ではある。それをハリウッド特異のウィットに富んだ味付けを塗しながら、そこそこのサスペンス要素も挟んでの仕上げとなっている。
主人公の男の狡猾さと度胸、そして年寄りの功ならではのアドバイス、しかしそこそこの社会性故の聞き分けの良さも兼ね備えている老人であり、人としての多重面を表現していることは、もしかしたら好き嫌いが出てしまう作品かも知れない。それは邦画的キャラ設定に近い要素が見えるからではないだろうか。一筋縄ではいかない主人公になかなか共感性を抱けない中での鑑賞は戸惑いも募ってしまう。とはいえ、現実もそういうものだ。幾ら家庭で頑固であっても、外面は柔軟性のある穏やかさを演じている人などdこにでもいるし、それは決して人格破綻ではない。そんな多層構造は、こういう映画でのいわゆる『神の視点』であるところの観客への表現として描かれることを、自然な演出として受け止めなければならない。そんなことを感じさせてくれる作品である。
ちなみに、朝鮮戦争帰りという、アメリカが常に強かった頃の時代の市井の人達の与えた影響を教えてくれることも大変重要な要素の一つであった。どんな人種であれ、やはり年齢を重ねた人の苦言は『良薬は口に苦し』だが、飲めばその重みに心が救われる、多くを学んだ作品であった。
面白かったです
この映画はイーストウッドがある新聞記事に載っていた実在の事件を元に着想を得たとのことですが、自分の人生とリンクするとこが多かったのでしょう
もはや演技云々ではなく自身を曝け出すかのようなナチュラルなあり方で挑んでいます
一番買いたかったのは時間だというセリフの通り、そこには葛藤や成長といった要素はあまりなく残りの人生をどう生きるか、どのように生きるべきだったのかに焦点が当てられています
また作中で印象に残ったのはポークサンドのシーン
「人生は遊ぶことも大事だ」
「遊んでたから今運び屋なんだろ」
この会話の不可逆的などうしようもなさ感は作中で一番考えさせられました
自分が同じ歳になった時そのセリフを他者から言われることがどんなに恐ろしいことか
また捜査官達の追い詰め方には緊迫感はなくまるでじわじわ忍び寄る死神のようで、1人の老人の贖罪のためのタイムリミット的な役割だったため予告編のイメージで観ると肩透かしを食らうかもしれません
ですがこの映画の終末感から生まれる余韻は他の映画ではなかなか味わえないものだと思いました
観て良かったです
いい映画なんだけど
もう少し、スカッとするか、
どんよりした気持ちになるか、
あっても良かったかな。
別れた奥さんに付き添ってた間に、何で見つからないんだろう?とか、運び屋としての苦悩や後悔とかが無かったので、物足りなかった。
法廷で家族が心配してるのも、結局お金って見えてしまった。命を顧みず、奥さんを看取ったわけですが。
劇的にすると、グラントリノと似てるとか言われるかな、、。
私が、映画なんだから、、。
そういう終わり方を勝手に期待してしまったのが、いけなかったかもしれません。
文句なしのイーストウッドの秀作
クリントイーストウッドここにあり、まだまだこれから、心を揺さぶる作品を世に放って下さい。麻薬の運び屋は正しい姿ではありませんが、人生の大先輩が及ぼす心を通して、家族の大切さを見事に描いています。最後にコリン捜査官が自ら捕えたアールに対して、体を大事に〝Take care of yourself, OK?" と優しく声をかけました。きっと、家族の大切さを教えてくれた先輩に敬意を払ったのでしょう。Family is important thing, but I put work in front of family. と後悔しているアールの気持ちがコリンに伝わっていたのでしょう。
そこには、長年の人生経験が生み出した、威厳さ、寛容さ、何事にも動じない強い心が、良きものも悪しきものも、若きものもを飲み込んでしまう凄みが有ります。
いつまでも現役
ニューヨークタイムスのサム ドルニックによる「90歳のドラッグ運び屋」という記事で広く知られることになった、実際にあった事件をイーストウッドが映画化した。90歳のアールの役を、88歳のイーストウッドが演じている。イーストウッドは、第二次世界大戦の退役軍人で、ユリを栽培する園芸家、しかも犯罪歴のない60年間模範運転手だった老人が、コカインの運び屋として10年余り働いていたという、その人生に興味をもって、映画にしたのだと言っている。イーストウッドの言うように、アールと言う人は、誠に興味深い人で、コカインで作ったお金を、子供病院に寄付したり、退役軍人の施設の改築に使用している。76歳で運び屋を始め、月に250キロのコカインをメキシコからアリゾナに運び、逮捕され刑務所に入って間もなく亡くなった。
この映画がイーストウッドの最後の主演、監督映画になると、新聞で報じられたが、インタビューで、彼は肯定も否定もしていない。人に「これが最後の作品になりますね。」と言われて、「そうかもしれない」と答えただけで、自分では引退なんて言ってないよ、と笑っていた。嬉しいことだ。
ストーリーは
インデイアナ州 ミシガン市
アール ストーンはミシガン湖のほとりにユリの花を栽培するファームを持っていた。何人もの農夫を雇い180種ものユリを栽培し、新種のユリの育成にも成功していた。園芸科の間でもアールのユリは、いつも一番の人気を保っていた。アールの生活は、手間のかかるユリが中心で、妻や娘のことに構うことがなかった。ユリの花は最も短命で、手を抜くとすぐに枯れてしまう。ユリの品評会に気を取られていて、一人娘の結婚式に出るのを忘れたときは、さすがに慌てたが、娘はその日以来二度と父親と口をきこうとしない。妻もアールを責めたてるばかりで家から離れて、ファームに住むアールは、事実上別居、離婚状態になってしまった。
時が経ち、2000年代になると一般に園芸熱が冷め、ユリの球根も売れなくなリ、ビジネスが立ち行かなくなってしまった。すでに76歳になっていたアールのファームは、差し押さえとなり園芸ビジネスを畳まなければならなくなった。
ファームからトラックに家財道具をすべて乗せて自宅に帰ると、妻は口汚く夫を責め、娘は険悪な顔で相手にせず、家族は他人扱いで家に入れてもらえない。仕方なくアールはトラックで、立ち去る。
彼の新しい職場には、60年間無事故だったという模範運転歴を買われて、雇われた。雇い主は、何やら見るからに怪しげな男達だが、言われた通りにニューメキシコから荷物をトラックに載せて、言われたモーテルに配達する。始めは何を運んでいるのか見当もつかなかったが、じきにコカインだとわかる。知らないうちにドラッグマフィアの片棒を担いでいたのだ。犯罪組織は、アールのことを、タタ(おじいちゃん)と呼んでいて、次第に親しくなっていった。模範運転手の年よりを、運び屋だなどと誰も疑わない。麻薬捜査官の目をかいくぐって仕事は順調だ。
しかし犯罪組織が仲間割れして、親しかったボスが殺される。そんな取り込み中に、アールの妻が癌で死の床に居るという知らせが入る。アールは断りなしに仕事から離れ、妻のもとに走る。妻は夫が来てくれて喜び、再び夫を受け入れる。心の平静を取り戻し、妻はアールの腕の中で亡くなる。葬儀もすべて終わって、彼は職場に戻るが、事情を知らないギャング達は勝手にいなくなったアールを責めて脅し、再び運び屋を強い監視の下で行わせるが、遂に麻薬取締官の厳重体制を突破することはできず、彼は逮捕される。
すべての罪状を自ら認め、アールは進んで刑務所に入る。そこで再びユリの栽培に精を出す。嬉々として花造りをするアールの姿を追ったシーンで、映画が終わる。
イーストウッドの無駄のないフイルム、ストーリーの流れにぴったり合った音楽、筋書きのテンポの速さ、編集の完璧さ。これがイーストウッドの映画だ。彼の洗練されたフイルムが好きだ。無駄のないフイルムの作り方は、恐らく何十年間ものあいだ、ロクでもない映画から一生忘れられない名画まで、数えきれない映画に、役者として出演してきた経験から、無駄を省く能力を身に着けたのだろう。
映画のなかで、麻薬捜査官ブラデイ クーパーが、カフェのカウンターで、携帯を見ながら、思わず「畜生」と声を出す。横にたまたま居たイーストウッドが、「誕生日か?」と聞く。「いや、結婚記念日だった。」麻薬捜査が終盤にはいって、家からしばらく離れている。それを責める妻からの携帯へのメッセージに慌てる夫。そんな何気ない会話のテンポの良さ。 彼は私生活では2回離婚しているが、5人の異なる女性との間に7人の子供がいる。今回の映画で長女のアリスン イーストウッドが娘役で出演している。自分の結婚式にも来るのを忘れていた父親を責めるときの怒り顔は、演技と思えない辛辣さと怖さだった。
イーストウッドは1955年から63本の映画に主演し、1977年からは37本の映画を監督している。他のどんな映画監督よりも、多才で多彩で多産な監督だ。
本当につまらない映画にもたくさん主演している。あきれるほどだ。1955年からはテレビシリーズだけでも11本、西部劇には50本あまり主演している。
1960年代には、マカロニウェスタンの主演で、ジョン ウェインなどによる正統派西部劇でなくて、血しぶきが飛ぶ残酷なイタリアン西部劇のヒーローだった。1970年から1989年は、ダーテイーハリーこと、キャラハン刑事の型破りなダーテイーヒーローとして、暴れまくった。
彼が映画を単なる娯楽として捉えるのではなく、映像、演劇、音楽のすべてのジャンルを統合する「総合芸術」として、取り組みだした契機は、1992年の「許されざる者」(UNFORGIVEN)からではないだろうか。これで初めてのアカデミー作品賞、監督賞を獲得した。この映画は、殺し屋として名をはせた男が、完全に足を洗い、田舎で子育てをしていたが、街にギャングが現れ、女たちを脅かしている姿を見ていられず、親友(モーガン フリーマン)を誘って、ジーン ハックマンのシェリフが居る街にきて、悪者をやっつけるお話。勧善懲悪が当たり前だった西部劇に、複雑な男たちの駆け引きや、異なった価値観を持つイギリス人のシェリフや、いつも犠牲になる気丈な女たちの視点も取り入れて、沢山の名優を動員して作られた映画だった。
1992年のアカデミー賞受賞以来、彼の映画熱と機動力は、目を見張るばかりだ。1995年「マディソン郡の橋」、2003年の「ミステイック リバー」、2004年「ミリオンダラーベイビー」、と続いて、この作品で再びアカデミー賞作品賞と、監督賞が与えられる。この時、彼は74歳だった。「ミリオンダラー ベイビー」は、安楽死を助長する映画だとして批判もあったが、再起不能のボクサーを望み通りに死なせてやる老コーチに共感して、涙する人の方が多かったのではないか。
2006年には、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の二部作で、第二次世界大戦の激戦地、硫黄島におけるアメリカ軍と、日本軍にとっての硫黄島を、鮮やかに描いてみせた。戦争の愚かさを徹底的に描いた優れた反戦映画だ。
2008年の「グラン トリノ」では自動車工場が閉鎖されたラストベルトのデトロイトに暮らすアジア人少数民族の子供達を描いた。名もない真面目にフォード車のために働いて引退した年よりが、自分の正義感から後に続く青年のために、自分の命を差し出す潔さに、心揺さぶられる思いだった。私はこの「グラン トリノ」と、「J エドガー」が一番好きだ。完成度の高い、芸術作品。映画が娯楽だなどと誰にも言わせない。
2003年の「ミステイック リバー」の主役ショーン ペン、2009年「インヴィクタス」のマット デイモン、2011年「J エドガー」のレオナルド デカプリオ、そして2011年の「アメリカン スナイパー」のブラドリ クーパー、、、みごとな配役だ。
「インヴィクタス」で、南アフリカラグビーチームの主将がマット デイモンでなかったとしたら、全然映画が異なったテイストだった。「J エドガー」をレオナルド デカプリオが演じていなかったら、映画そのものの意味が異なっていただろう。素晴らしい配役だ。
イーストウッドは、ワーナーブラザーズ社の中に、自分用の大きなスタジオとオフィスを持っていて、何十年間もやりたい放題をしてきたそうだが、彼のような才能をずっと抱えて、わがままをじっと聞いてきた会社も太っ腹だった。映画の構想を立て、思うような役者と交渉し、思い通りに映画を作る、最も恵まれた監督だった、と言えよう。
2018年「1517パリ行き」は、パリ発15時17分発の列車でテロが起きたとき、たまたま乗り合わせていた3人の青年達の英雄的な行為で、死者を一人も出さずに済んだという、「タリス銃乱射事件」を題材に、実際この時の3人の青年達を出演させて、ドキュメンタリーともいえる手法で映画を作った。イーストウッドの実験とも言うべき作品だが、青年たちの演技に、何の違和感もなく、実によくできた映画だった。
イーストウッドが、この映画「運び屋」で主演したのは、2012年「人生の特等席」以来6年ぶりだ。「人生の特等席」では、黄斑部変性でほとんど失明しているが、それを自分で認めようとしない頑固親爺が、メジャーリーグ、レッドソックスのルーキー発掘に情熱を燃やし続ける年寄り役で、とても感動的だった。
「運び屋」では、ひょうひょうとしてニューメキシコからアリゾナまでの長距離を、ラジオに合わせて歌を歌いながら、運転する姿が、とても良い。自然体で、魅力的だ。いつまでも「男」を背負っている、イーストウッド。身長193センチの長身。それが、今回の映画で背が曲がってしまっていて、ちょっと悲しかった。88歳だからなどと、言ってもらいたくない。彼自身の言葉で、引退するなどとは言っていない。年をとっても「男」の魅力がいっぱいのイーストウッド。これからも走り続けていって欲しい。
映画の最後に、シンガーソングライターのトビー キースが「DON"T LET THE OLD MAN IN」という歌を歌っていて、それがとても素敵だ。
何を罪とするか
腑に落ちない作品でした。
仕事を優先にするあまり家族を蔑ろにしてきたアール。
そのせいで家族からの信頼は0
その失った信頼を何とか取り戻そうとする作品です。
家族において大切なのはお金ではなく一緒にいる時間だ
という考えに感銘を受けました。
お金も大事ですが家族も思いやらないとですね。
クリントイーストウッドの脇を固める配役も豪華で
演出もだんだんと警察が近づいてくる感じがハラハラして面白かったです。
が、
いくらなんでも上手く事が運び過ぎな感じがしました。
やばい仕事を受けながら持ち前の対人能力の高さで麻薬の売人とも絶大な信頼を築き、終いには大元のボスにパーティに誘われるまでになる。なれるの?そこまで?
家族を蔑ろにしてたのは確かで一人娘の結婚式をパーティですっぽかしてたりしていたのになぜあんなに「アール可哀想感」を出せるのか。
仕事がいよいよヤバくなってきたところで都合よく警察に捕まるとことかも都合良すぎて。
クリントイーストウッド作品なのでクリントイーストウッドが結局かっこ良く描かれるのは分かっていたんですが、、、
ひねくれずに見れば感動できる良い作品ですが、、、
もう少し真面目に描いても良かったのでは、
まあ実話が元なのでどうしようもないのですが。
おじいさんがめちゃくちゃ頑張る話
花咲じいさんではないけれど、高齢の御老人がめちゃくちゃ頑張る話。もちろん、最後に自分で認めているように、犯罪は犯罪であり、罪は償わなくてはならないが、この老人は、最後に心の底から自分のことを愛していた妻と和解し、自分を嫌っていた娘と和解できたのだから、良かったとも言える。しかも、麻薬取締官たちとしては、彼のお陰で大きな犯罪組織を摘発できたのだから、世の中の役に立ったのだとも言える。
これが実話を基にした話ということで、アメリカというのはさすがという気がする。もちろん、クリント・イーストウッドとその仲間たちも。
何が深いのか教えてほしいです...
私はこの映画に感動することは出来ませんでした。
疑問なのは、なぜ重罪を犯した父親をあんなにも簡単に受け入れるのか。
麻薬を大量に運ぶことで不幸になる人間がいないという世界線での映画なのですか?自分たちが幸せならそれで良しとする家族には共感できなかったです。せめて法廷で叱ったりする描写は入れて欲しかった。
ただイーストウッド演じるストーンの行動には非常に共感できましたし、流石の演技だったとおもいます。
ストーリー自体は評価できないですがイーストウッド他俳優陣の演技が光ったため星3をつけました。
「明日はもっとだ。」 なんて心に響く、グッとくる言葉なんだろう。 ...
「明日はもっとだ。」
なんて心に響く、グッとくる言葉なんだろう。
まさか、クスッとさせられて、癒されて、泣かされる映画だとは思わなかった。
90歳になる爺さんアールは
家族をないがしろにして仕事と友達に生きてきた人物。
娘の結婚式にも出席せず仕事ばかり。
そんなアールはインターネットの波に押されて
仕事が出来なくなる。家は差し押さえ。
家族にも突き放される。自業自得だった。
ある人物からドライブするだけと仕事を勧められて
あまりに楽で大金が手に入るものだから
つい、と何度も行なってしまう。
途中で薬物を運んでいる事に気づくが辞められない。
そんな中、大仕事の最中に、ないがしろにしてしまっていた妻の命が短いと
報告を受けて、、、、
仕事をほっぽり出して妻の元へ。
その時の2人の会話がめちゃくちゃ心に残っています!
ニール「愛してるよ」
妻「昨日より今日のほうが?」
ニール「明日はもっとだ。」
こんなステキな会話を死に際に最愛の人としたい。
本当にそう思ったし、
これまでのニールを許し、とにかく来てくれて嬉しいと
心の底からの思いをニールに伝えてた妻に
尊敬と可愛らしさを感じた。
その後はブラッドリークーパー演じる麻薬捜査官に捕まってしまうんだけど。
所々にアールの人柄で救われた人間達がいることがわかる。
クリントイーストウッドは
皺々で背中も丸くなって足どりもトボトボ。
こんなにお爺ちゃんになってるんだぁと感じたし、
こんなにリアルに演じれる役者、監督。
めちゃくちゃカッコいい!!!!!
大好きクリント!!!
何が1番大切なのか
88歳のクリントの演技が素晴らしく
見入ってしまいました。
彼の人生はいつも自分のために生きてきた。
周りから慕われる存在でありたかった。
運び屋の仕事を始めてたくさんのお金を持ち仕事が上手く行っていた頃に戻れた。
そう思って楽しい人生を生きてるつもりだったけど
愛と時間はいくらお金があったって買えない。
奥さんがもう長くないと知った時
彼は仕事を捨て愛を選んだ。
長く生きてきてやっと踏み出せた一歩。
愛にお金なんていらない。
ただそばにいるだけでいい。
奥さんの言葉1つ1つにとても感動しました
家族を大切にしない彼だったけど、
それでも生涯で1番愛した人。
奥さんが本当に素敵な人で1番良かった。
イーストウッド映画
クリントイーストウッドの映画が大好きである。
見終わっていつも頭の中に浮かぶのは、
「それ以上でもそれ以下でもない」という言葉だ。
今回の作品も、90歳の、麻薬の運び屋をした男の生き様を描いた、それ以上でもそれ以下でもない作品であった。
批判しているのではない。むしろ賞賛しています。
主人公が確保されたあと、組織に警察が突入し、全員捕獲などという場面は一切ない。ただ、主人公の老人が逮捕され、自ら罪を認めるだけである。
余計なものは描かず、過剰な場面も演出も全て取り除く。そうして残る生き様が妙なリアリティを醸し出し、僕はその人物に対し淡々と想いを馳せる。それがたまらない。
老練した手際というのか、イーストウッド作品にしか感じられない不思議な感覚であり、それこそが彼の凄さだと改めて感じた。
イーストウッドよありがとう!
こうして、彼の作品を観れるのは、嬉しい。
確かに、歳いきましたなあ!
しかし、皮肉混じりのセリフは、健在だ!
山田康夫の顔思い出したな。
ブラッドリークーパーもいい。
アンディガルシアなんやね。
クリント・イーストウッドでなければなし得なかった作品
見ていて色々な感情が交錯していって疲れたw
まずはクリントの表情、非常に多彩な表情を使い分けて役者としての懐の深さと言うかスケールのデカさを改めて認識した。
スクリーンからにじみ出ているユーモアや色気やオーラはクリント本人の物なのか、または演じていたアールのものなのか、、、w
たぶんクリントの人となりが役作りと言うかアールそのものなのだろうと自然に納得して見ていた。
物語りは実在した90歳前の麻薬の運び屋とのこと。
色々と調べたが、作品で描かれている家族構成等は脚色なのかはわからなかった。
しかし、麻薬と言う悪魔の薬を配達しているがアール本人は楽しそうに歌を歌ったり、サンドイッチ屋に寄ったり、パンク修理を手伝ったりとw(モデルとなったレオシャープと言う人はデイリリーもコカインも人を幸せにすると言っていたらしい、、)
作品のアールは金を自分の私利私欲の為に使う訳では無く、家族の為、友人の為と心のあるやさしい人物の様な感じがしたし、ラストのシーンのセリフの一つ一つがクリントの発言の様にも感じたし
、限りある時間をしっかりと生きて欲しいと言うメッセージの様にも感じた。
冒頭の運び屋に誘われるシーンはなんか『オレオレ詐欺』に遭っている老人の様でwなんか危なっかしくて、勝手がわかっていない様子であったし、色々と困った表情をする時があるが、自分の死んだおじいちゃんとオーバーラップして胸が締め付けられる感じがして辛かった。
この作品は脇を固める俳優陣もすばらしいが、やはりクリント・イーストウッドでなければ出来上がらなかった作品であったと思うし、自分なんかはほとんどの作品をリアルタイムで見れてはいないが、数々の作品をこの世に生み出したクリントは本当に素晴らしい人物だと今更ではあるが感じた。
また当日見た回は朝一の上映であったが、年配の方が多く、非常に根強いファンが支えているのは人柄の良さもあっての事だと感じた。
こうやってレビューを書いている間も、クリントとのお別れの時間が少しずつ少なくなっていると感じるのはこの映画を見てしまったからかもしれない。これからいくつ作品を送りだしてくれるのかはわからないが、僕の様な人間が世の中に一杯いて楽しみに待っている事を忘れないで欲しい。
全83件中、41~60件目を表示