運び屋のレビュー・感想・評価
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老人の気付き
家は差し押さえられ家族には愛想を尽かされたうだつのあがらない老人が麻薬組織の運び屋の仕事で大金を稼ぐ。しかし、金よりも大切な事に気付き改心する話し。
犯罪に手を染め金を稼ぎ図に乗る。回数を重ねる度に身勝手な行動をする。稼いだ金を車やアクセサリといった贅沢品に使う。頭の悪そうな老人に終始イライラ。
だけど、最後は妻の死により金より大切なことに気付き改心したのには安堵な気持ちになる。
序盤から中盤までの身勝手さは改心を強調させるためのフリだったんだな。
ツッコミどころ満載の不自然さの多い作品のなかでこの作品は最後まで自然体で比較的映画の中に入り込めたのは良かった。
仕事より優先するものは。
家族が一番大事だよ。仕事を優先しないで家族を一番に考えるんだよと、90歳を過ぎたアールストーンが自分の経験を引き出して、(映画ではワッフルハウスでコーヒーを飲んでいるときにベイツ捜査官と話しているシーン)我々にそれを伝えている作品。
ロビンフットのようなアールは人との会話を楽しむのが好きで押し付けではないアドバイスもあげるけど、家庭をかえりみない過去を持っている。
ベイツ捜査官がこのようなアドヴァイスをネットで読んだのと、アールから彼の経験を混じえて聞いたのではどちらが心に残るだろう。ネットより人との関係を大切にしている。
イーストウッドの作品にいつも公平さを見つけることができる。
例えば、車のパンクで困っている黒人の家族に、手を貸すが言葉の使い方で(老人アールはこの人たちのことをニグロという)プラスマイナスになって人間はいいところも悪いところもあるよと両面を表している。イリノイ州の白人のコミュニティーでポークサンドイッチを二人のドラッグディーラーに奢るシーンも。市の白人警察がきてドラッグディーラーに『私のまちに何か用があるのか?』と迫る時、この二人を助け、住民や警察は人種差別をするがアールは違うというプラスマイナスの面を見せる。
これが遺作にならないことを深く望む。
☆☆☆★★★(1回目) ☆☆☆★★★(2回目) 本日の日付は201...
☆☆☆★★★(1回目)
☆☆☆★★★(2回目)
本日の日付は2019年4月24日 まもなく平成も終わる。
そして、この作品の日本ファーストランもまもなく終わる。
そろそろ、こんな考え方をする奴が居ても良いのかな?…って事で、レビューを書いてみる。
今回(2019年)のアカデミー賞は、近年の傾向通りにブラックパワーが強かった。
そんな中で脚色賞を受賞し、はしゃぎまくった挙げ句に、作品賞にケチを付けたのが。ご存じのスパイク・リー。
そんなスパイク・リーを、イーストウッドはどんな感じで見ていたのだろうか?
実はこの2人。以前に差別問題で口喧嘩を繰り広げているのだった。
(一応は噂の域を出ないのだが、信憑性は高い様で、伝えられるところをかい摘むと。)
発端は、『父親たちの星条旗』で、作品賞を含めイーストウッドがアカデミー大本命視されていたところに。「何であの戦いに参加していた黒人兵士が1人も映画の中で登場しないんだ!」…と、リーが噛み付いた。
真相では、確かに黒人兵士は居た様だが。その数はそれほど多くは無かった様で。(始めは)イーストウッド曰く「だからどうした?」…と言った感じだったらしいのだが。それでも(元々イーストウッドがタカ派なところが有ったのも影響したのか?)リーが口撃を辞めなかったからか?遂にイーストウッドがキレた。
「小僧は引っ込んでろ!」
そんなやり取りが影響したのかどうか?『父親たちの星条旗』は肝心のアカデミー賞では惨敗を喫する。
その後リーは、実話が基になった『セントアンナの奇跡』で、黒人兵士の話を撮るのだから。イーストウッドも、ちょっとばかりはイラっと来たかも知れない。
確かにイーストウッドには多少なりとは差別主義的な面は否めないのだと思う。
だけど、決して《心底から》の差別主義とも言えない。
『運び屋』の主人公は。ユーモアの1つとして、単なる会話の流れの中でついつい差別用語を使ってしまう。如何にもイーストウッドらしい人物像だと言える。
肝心の『運び屋』本編は、イーストウッド演じる爺さんが。これまでを振り返り。家族を放ったらかしにして来た人生を悔い改める。
それを、イーストウッドが演じ。皺々な顔から滲み出る人間味に味が有るだけに、つい納得させられ、面白く観てしまうのですが。警察側の描かれ方で、或る程度の組織を把握し。尚且つ、大体のアジト等は(密告者の存在で)掴みながら。何故か(組織の)下っ端で在る《運び屋》を逮捕する事だけに躍起になるのが、さっぱり意味が分からず。その面で言うと、昨今のイーストウッド映画の中では今ひとつと言わなければならないか?…と。
ここ数年のアカデミー賞のブラックパワーを、イーストウッドはどう見ているのだろう?
多少の差別主義も持っているとは言え。イーストウッド自身は、表立っての差別的な問題を起こした事は無い。
確かに、『インビクタス/負けざる者たち』を監督するにあたり。誰に対してなのか?は言わなかった様だが、「安心しろ!マンデラを演じるのは黒人だ!」…と、言ったとゆう。
だからこそ、「ああだこうだと言ってる奴らで、実際に差別によって被害を受けてる奴がどれだけいる?寧ろ周りを煽って問題を起こしている奴らばかりで。被害者ズラしてるだけじゃねえのか?」と、言いたげに…。
※ (勿論、本人はそんな事は言ってはいない。あくまでもこちらの妄想に過ぎない)
近年の黒人関連の作品にオスカー像が行きやすい傾向に対して。それまでの【俳優引退】を、しれっと撤回して主演してしまう辺り。まるで…。
「俺はな!そんな【プロ被害者】ズラした奴らが気にいらねえだけなんだがよ〜。全く最近は…(幅を効かせやがって)オイオイ!俺が神輿を挙げなければいけねえのか?」
…と言った感覚で撮ったのだろうか?と、思ってしまったのだが、穿ち過ぎなのだろうか?
※ 繰り返し
2019年3月10日 イオンシネマ市川妙典/スクリーン8
2019年3月19日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン7
役者魂
ここに来てこれほどまでに弱々しい人物を演じきるとは、どこまで貪欲なんでしょう!
イーストウッド監督独特の世界観は健在。
まったくこの人には150歳くらい長生きしてもらいたい!
決して大絶賛をさせないある意味捻くれた作品作り、最高に好きです。
静かな、優しい、どこかモヤっとした熱さがなんとなぁ〜く伝わってくる。
こんな作品作れるのはイーストウッド監督しかいませんよなぁ…
しみじみとさせる、不思議な映画
町山さんが「たまむずび」で紹介していたとおり、好き勝手に生きてきたイーストウッド自身の半生を振り返る内容の映画。
主人公は、仕事や社交優先で、家族のことは放ったらかしであったが、仕事の転機などをきっかけいに変わっていくのであるが、観ている方も主人公の飄々とした姿に笑い、またしみじみとさせられ、またカーステ(死後)で好きな曲を口ずさみながら、ロングドライブにでかけたくなる。
ラブロマンスだこれは
この映画はやりたい放題の人生
それはマックイーン自身の家族への自戒込めてかも。
最後の妻とのやり取りが全て。
男には家に居場所が無かった。
女は家にいて欲しかった。
やがてすれ違うふたり。何処にでもあるだろ。
お互いに愛を求めて闘っていた。
そんな男女が相手が死ぬ淵に居るときにわかり合えた。
そんな時に捕まって安心した。男。
だからこそ有罪判決をみずからにかしたのでは。
運び屋も、花自体もこの映画から為ると
老齢でのラブロマンスだね。これは。
日本であげるなら内田裕也夫妻だな。
裕也さんコレ見たら何を感じたんだろ。
日本でこのての映画やろうとすると、如何しても
少しチャカシちゃう所有るけど
マックイーンは見事に男の哀しさ表現したな。
不器用だから愛される。そんな時淋しい男のストーリー
見終わったあとの最高の気分
グラン・トリノ以来の十年ぶりのイーストウッドの新作。いや〜いいねー!こんな年寄りになりたいと思ったよ。アクションシーンとかは特にないけど落ち着いた朗らかな雰囲気が常に漂っていた。ここで終わらないで死ぬまで撮り続けて欲しいなあ。
惹き込まれる
クリント イーストウッドの監督主演映画である「グラン トリノ」から早10年…今回は実の娘との共演。
素晴らしい映画人生だと思う。
「家族愛」をテーマに、今一番大切なものを世間に問いかける…
生まれた日を忘れて、いつだってやり直しができる。
お金よりも自由よりも大切なものとは何か…
それは愛と時間。
そして、人種差別ととる禁止された言葉や行動を自然にできるさまは、物事には善悪はない、もっと自然体で生き人を愛を持って同等に接することを掲示していたと思います。
鑑賞後、ドンパチ映画の内容とは裏腹に優しく穏やかで心が温かくなるのは、クリント イーストウッド監督の凄さだと思います。
人生は楽しもう
エンドロールがながれたとき、人生は楽しむためにある。なんとなく、そう感じた。アールみたいな爺さんが夫だったり父だったりしたら、妻や子供はたまったもんじゃないことは、重々承知しているが、「人生を楽しめ」なんてほざいて、ひょうひょうと鼻歌を歌いながらブツを運び、若い女性と戯れながら回春を謳歌しているアールを見ていると、「人生は楽しんでいいんだ」と思ってしまう。
こんなに軽みがあるクリント・イーストウッドにはびっくり。それでいて、凄みを見せるシーンもあり非常に楽しめた。
愚かな男の成れの果て
・もっと楽しめ…
あんたは楽しみすぎだ。その結果が今のあんただ…
・仕事は2番でもいいが、1番は家族でなきゃならない…
・家では役立たずだったから、外では認められたかった…
・金がいくらあっても、時間は平等に過ぎていく…
切ない物語。
彼は彼なりに必死に生きてきたはずだが、
家族の不満を省みなかったことの痛いしっぺ返しにあう。
気づきかけた時には、もう過ぎた時間は取り戻せない。
老年・壮年の男には、遠からず共感するところがあるのではないだろうか。
仕事、あるいは仕事上の付き合いを優先することを正義だと思ってきた男たち。
自分もそうだった。それが家族を養うためだと言い訳をしてきた…
最近は、自分中心で家族を省みない男はいても、家族より仕事を優先する風潮は薄れていると思うが。
元妻の最期に付き添ったことで、元妻の主人公への思いを聞くことができた。
詫びることもできた。
母の思いを知って、疎遠だった娘も許してくれた。
その矢先、遂に犯行の終焉を迎えるのだが、やっと戻りかけた家族との絆がこれによって再び瓦解するのかと思いきや、娘と孫は変わらない愛情を示してくれた。
他人ではないからこそ、許せなかったり強く結ばれてたりするのだなぁ。
老人は、危険な犯罪に手を染めていく中で、自分の過ちに気付いていく。
それは犯罪のことではなく、家族をないがしろにしたこと。
ある意味、命を懸けて元妻の病床へ駆けつける。
娘に感謝祭に招待され、嬉しかっただろうが、組織に殺される覚悟はできていた。
娘との約束をまた破ることになるが。
ブラッドリー・クーパー演じる捜査官の執念の追跡が、結果的に老人を救うことになる。
「あんただったのか…」
絶妙な物語構成。
運び屋を始めてから回を重ねていく物語の序盤は、ヤクザ者たちとの掛け合いも含めて軽妙なコメディのようで、可笑しい。
貫禄がついてきたアンディ・ガルシアに女をあてがわれて「楽しめ。だが無理をするな」と気遣われたりする。
捜査の手が伸びていることに老人が気付いくあたりから、組織のボスの転覆劇もあって、緊張感が出てくる。
家族との関係を示す場面が何度か挿入され、老人の心理の変化を微かに表現している様だった。
背中が若干丸まったクリント・イーストウッドを見るのは辛い面もあったが、銃を突きつけられても「俺は朝鮮戦争に行ったんだ。そんなものは怖くない」と平然としているようで怯んでいるようにも見える演技は、いぶし銀だ。
刑務所の花壇に花を植えるイーストウッドの姿は、決して好き放題に生きてきたわけではないが、数々の分かれ道で選択を過ってきた男の成れの果てなのだが、残された時間が少ない老人の憐れと安息が同居しているように見えた。
年をとるのも悪くない
観たい、観たいと思って都合がつかず、やっと観てきました。
家族が大事、カネで時間は買えないが主なテーマであるのは間違い有りませんが、私はもう一つ大事なテーマが有るようにおもいました。
飄々と運び屋稼業をやるアール、ブツの受け渡し所のチンピラと次第に仲良くなってスマホのメールの仕方を教わったり、ボスが寄越したお目付役の身を案じて足を洗えとアドバイスしたり、遂にはそのボスからお招きされて極上の接待♡されたりと前半はゆるーい感じでしたが、ボスが内部のクーデター?によってヤられてからは一気に緊張感が増します。
そして「お前は奴隷なんだ。」と言われてしまいます。
奴隷、クリント イーストウッドには一番似つかわしくない言葉です。
ここに私は反応しました。
御大は人生、遊びゴコロが大切なんだよ、
ヒトを簡単に奴隷なんて言うもんじゃないよ、また簡単に奴隷に甘んじてちゃいけないよと言ってるのではないかと。
後から実権を握った奴らはコンプライアンスに厳しくなって思うような表現がやりづらくなっている映画作りに対する暗喩なのか、日本的にはブラック企業なんて見方もできるのかななんてね。
だから最後運び屋が捕まるんじゃなくてマフィアとドンパチするエンディングを少し期待してしまったけど、まあそれはそれで安っぽくなっちゃうよな。
やっぱりアメリカはロードムービーが似合う。 話は結構シンプル。構成...
やっぱりアメリカはロードムービーが似合う。
話は結構シンプル。構成もシンプル。
なのにこんなにも面白い。流石です。
御大のバツの悪い顔がなんとも魅力的。
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