運び屋のレビュー・感想・評価
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最高のロードムービー
この作品を最高と言わずして何という…の様な素晴らしい作品です。特にロードムービーが好きな方なら作品の良さが分かると思います。比較的ゆっくりとした展開はアメリカの田舎の穀倉地帯での出来事をよく現していると思います。主演のクリンとイーストウッドは年齢がほぼ90歳だとか。それなのにこの演技力は素晴らしい!グイグイと作中に引き込まれて行きます。内容は恐らく米国で実際にあったであろう麻薬取引に関する物語だが、切口によってここまで素晴らしい作品になるのかと、改めて関心した至高の作品です。^ ^
笠智衆のような佇まいをみせるイーストウッド。 時代から取り残された...
笠智衆のような佇まいをみせるイーストウッド。
時代から取り残された彼の役柄に「古き良き時代のアメリカ」を見る。一方から見た歴史の側面。
面白がりたいが。
幼稚な被承認欲と性欲から安易に悪銭に溺れた爺さんを盆栽好きな爺さんは良い人だよねと何となく許してどうする。
敬老の前に断罪だろ。
どうした巨匠、晩年の貴重な打席で凡打。
ストイックに健さん倍賞ならまだ見れた話しかも。
面白がりたいが、これは無理だ。
これぞ哲学
人に歴史あり。誰しもそれぞれが生きた時代に翻弄されながら、その中で様々な葛藤と成功と挫折を繰り返し味わうものだ。日常の何気ない習慣はその人物を形作ってきた過去のエッセンスを物語る。カーオーディオから流れる音楽、女性にもギャングにも自然体で放つ軽妙な軽口。そんなところからも、この老人の若かりし頃を察する事が出来る。
昨今の技術革新速度は目覚ましい。電子ガジェットは10年も待たず陳腐化するし、差別用語認定された言葉も差別の意図なく用いられていた時代もあった。
自分の生涯、半分以上を占めてきた常識を否定してまで、たかだか10年20年ぽっちの最近台頭してきた「新常識」に迎合する必要はあるのか?
ガンコ爺ィにはガンコ爺ィなりの気概があるのである。
昔はもっと縦の関係であらゆる世代と親しく話す機会があった。
かつて歳の離れた友人や先輩であった彼らは、今や60代、70代のガンコ爺ィになった。けれど、若い頃に彼らから伝え聞いたバックボーンの時代背景を知っているから、彼らの言動を奇異だとは思わない。今の若者の目にどう映るかは知らないが、老境の悟りに到達すれば、周囲のまなざしに臆する必要もないだろう。
しかして、齢80、90に達しても葛藤の選択を迫られ続けるのが人生というものらしい。主人公は壊れた(壊した)家族関係の修復を選んだ。犯罪に手を染める事になっても。
クライムサスペンスだが、非常に「静か」である。興奮もアクションも不要なのだ。もはや、そんなものは主人公の心を波立たせはしない。彼の心を揺らすのは家族達の想い、ただそれだけなのだから
アプローチはまるで違うが東京物語がよぎった。これは「イーストウッド流東京物語」である。
切なく哀しく、そしてハートフルでもある。喜びも悲しみも、すべてが穏やかだ。
それにしても、子供時代のヒーローは幾つになろうとヨイヨイになろうとカッコいいもんはカッコいいのである。
視聴後、数十年ぶりに44マグナムの刑事に会いに行った。どうやら映画というものはタイムトラベル機でもあるらしい。
シンプルなメッセージ
老人が運び屋をやる、シンプルなストーリー。予告編を見て、何も裏切られないそのシンプルさ
それでいてちゃんと一つだけのシンプルなメッセージを映画を通して送ってくれる。
最近こういう映画少ない気がする。
クリント・イーストウッドだからこそ、なのかはわからないけど、ベテランだからこそなことではあるかと思う
シンプルなメッセージを一つだけ、それが一番伝わる。覚えておこうと思う。
とても良い
見上げた老人
往年の精悍さやアクションはないが、タフでちょいと粋なイーストウッドにただただ感心する。この歳で主演・監督なんてすごすぎる。自分が同じ年齢になったとき、どこまで動けるか?
結局老いてくると多少弱気になってきて、それまで疎遠であったにせよ家族に回帰していくものなのか? 別れた奥さんの看病が決定的だったかな。 すごく遠回りしたが、冷たい関係が変わっていくのだろう。 仲直りした家族とどれだけ時間を取り返せるか、塀の中と残された寿命という二つのハードルがあるが、ほんのり温かい気持ちになった。
ラストシーンでデイリリーを植えるアールの後ろ姿 それは2020年のアメリカの後ろ姿なのです
愛してるメアリー
昨日より今日の方が?
明日はもっとだよ
第1回目
カーラジオから宗教の時間
イエスは迷える人を救うために来た
局を変える
お気に入りのオールディーズが流れ出す
思わず一緒に口ずさむ
君を愛してる
昨日よりも今日
今日より明日はもっと
Spiral Staircaseの「モア・トゥデイ・ザン・イエスタデイ」という曲
白人男性5人組、1969年ビルボードの12位まで上がったヒット曲
ちょうど50年前
アールは40歳だった
ベトナム戦争たけなわ
しかしアメリカは絶頂期だった
外で認められるほうが、ずっと大事だと思った
家での俺は役立たずだから
アール、メアリー
縮めて読むと何となくアメリカと聞こえ無くもない
つまり、アールとメアリーはアメリカの戦後そのものだった
世界の為にとがむしゃらに働いて、戦った
でもそのために国は疲弊してしまった
今のアメリカは老人になったアールとメアリーのようだ
偉大なアメリカ
そんなことメアリーも娘も孫娘も求めてなんかいなかった
家族の為に尽くしてくれる父、平和で安穏な暮らしであれば良かった
もう昔のように羽振りの良い事はできない
だけども見栄は張りたい
周囲の者が困っているなら援助してやりたい
そのためになら多少怪しげな仕事でも金になるならと手を出してしまう
これはヤバいと思ってもまあいいかと目をつむる
気付けばドップリ浸かってもう抜け出せない
単なる老人の物語なんかじゃない
これはアメリカの半世紀の物語だ
アールとはアメリカそのものの暗喩だ
デイリリーの花言葉
「憂鬱が去る」や「苦しみからの解放」「憂いを忘れる」などです
アメリカは今や老いました
憂鬱であり、苦しんでいます
正に2020年のアメリカ大統領選挙はそれです
そしてコロナ禍に蝕まれています
勝ったのはバイデンと言う老人
どこかクリントイーストウッドに似ています
彼は偉大なアメリカを取り戻すとは言いません
しかし、外で認められる事が大事だと言っています
トランプの方がメアリーの望むことを言っているように思います
バイデンはアールのようなアメリカに戻すと言っています
現実の今のアメリカは、麻薬や暴力に満ちてしまってます
外国人達が、ますますいいようにアメリカを利用し蝕む一方なのです
メキシコの屋敷でのシーンは、クスリ、女、暴力で大抵の人間は言いなりにされてしまうことを説明しています
若者達は彼らに取り込まれて転落するか、彼らを取り締まることに忙殺されてしまっているばかり
しかもネットに依存して自分の頭で考る力を失っています
言葉尻だけ政治的に正しいのかだけを問い、本質に目を向けることを忘れてしまっている
パンク修理のシーンはそういう意味だと理解しました
アメリカの理想だった未来に目を向けている若者なんかもうどこにも居はしないのです
もしかしたら、アメリカの理想なんて、メアリーの様に埋葬されてしまったのかも知れません
それでも思わず一緒に口ずさむ
アメリカを愛してる
昨日よりも今日
今日より明日はもっと
ラストシーンでデイリリーを植えるアールの後ろ姿
それは2020年のアメリカの後ろ姿なのです
アールの着ていた衣装は特典映像で、過去の出演作で彼が役の中で着ていたものばかりだと知りました
クリントイーストウッドが出演した様々な映画
それを振り返ってみるとアメリカの半世紀も思い返されてしまう
そのような効果を狙ったのだと思います
若い時に着ていたであろうスーツはお洒落で生地も仕立ても良いものです
2007年のリーマンショックとネット販売に押されて農園が差し押さえになってからは、安物の量販店のカジュアル衣料ばかり
大阪、東心斎橋にある、とある馴染みの音楽バー
少し前ひさびさに行ってみると、Spiral StaircaseのアナログLPレコードをJBLのスピーカーで鳴らしていました
この曲「運び屋」で掛かっていたんです
いい歌でしょ
それをこのバーのマスターから教えてもらいました
お嬢さん方、会場を間違えてますよ
美人コンテストの会場は3階ですよ
そんな軽口を言える老人に成りたいものです
アールとメアリーの物語
それは日本にも多少翻案すれば、そのまま当てはまるのかも知れません
日本版リメイクを作るべきだと思いました
90歳の運び屋
クリントイーストウッド扮する退役軍人アールストーンは、サニーサイド花農場として賞を受けた。しかし、娘の結婚式には出席しなかった。12年後、花農場はインターネットに潰されトラックの運送を始めた。孫娘の結婚パーティーでアールは仕事ばかりで家族をないがしろにした事を妻から攻められた。アールは、輸送の仕事で前と同じホテルまでと指示され新たな電話機をもらった。しかし、それは麻薬の仕事だった。果たしてアールの運命は? 退役軍人で恐いもの無いからと言ってヤバい仕事だと分かって続けるかな。度胸も大したもんだけど人生の楽しみ方としてはどうかねぇ。
節目の1400作、大好きなイーストウッドで。 我がヒーロー、近年は...
節目の1400作、大好きなイーストウッドで。
我がヒーロー、近年は老いたその姿が悲しかった。しかし、どうだ!本作はそれを通り越して凄い!やっぱり我がヒーローだ、イーストウッド。
話は簡単、説明不要。ラストに至るまでの警官とのやり取り、そして裁判。カッコいい、カッコよ過ぎる。この齢でこんな作品が作れるなんて。
何度でも繰り返します。イーストウッド、やはりあなたは我がヒーローです。
考えろ
スクリーンの中の90歳の クリント・イーストウッドと、麻生太郎や松本人志を隔てるもの。観ながら考え続けていたのだけれど、身もふたもないけれども、想像力なのだと思う。もちろん前記のおふたりにもまだ時間はたっぷりある。僕にだってあるはずだ。
LGBTって言葉が浸透したのもつい最近だと思ってたのに、いつの間にかそれにQがついてたりして、この世界のグラデーションの細分化の速さについていけない。
それがアメリカ南部の90歳男性、朝鮮戦争に従軍した退役軍人ならなおのことだろう。
見ず知らずの困っている他人を人種差別的呼称で呼びながら、いまどきの若者はやれやれと助けてあげる老人は、人種差別主義者なのか? 90歳になっても女性をモーテルに呼び出しデレデレと遊ぶ男性は、やっぱり女性蔑視のスケベジジイだろうか。それとも色男だろうか?
考えろ考えろ考えろ。
どれだけ努めて想像してもたどりつけない、当事者の知覚と思考と感情に少しでも近づこうと、脚色や演出を慎み深く研ぎ澄ました先に、表れ出るのが「生きろ」というリアリズムなんだと思う。
グラン・トリノのイーストウッドも朝鮮戦争の帰還兵だったな。ハートブレイク・リッジからもう30年以上経つのか。ソウル五輪からも30年。朝鮮半島が30年後どうなってるかなんて、想像したこともなかったな。鈴木大地が大臣になってるなんて。ましてや北朝鮮に核兵器とミサイルがあるなんて。
久しぶりにスクリーンに立てば、相変わらずのオレ様ぶり。ダーティー・ハリー。やっぱ最高だよ。
(オマケ)撮影監督はイーストウッドとの初めての仕事だったそうですが、何者?とググらずにはいられない秀逸な仕事ぶりです。
老年
今、世のなかではおっさんの蛮行が目立っている。ニュースの社会面をみると、わいせつや暴行や窃盗や自動車事故やトラブルなどは、たいていおっさんや老人の専門分野になっているし、日常、たとえば商業施設にいて、おや何か揉めごとかな──と思って騒ぎのほうを見ると、かならずおっさんが渦中にいる。
きょうび、喚くのも泣くのも駄々をごねるのもおっさんであり、絡むのも勘違いも水掛け論も否認も、おっさんの得意とするところになった。
そうなってみると、必然的に、まともにおとなしく生きているおっさんが、生きづらくなってくる。もともと肩身のせまい思いをして生きているおっさんが、さらに世間の風潮からあおり風をうけてしまうのである。
どうでもいい日常のあるあるだが──個人的なあるあるであって、ふつうは無いのかもしれないが──たとえば道を歩いている。すると前を歩いている女性が、やおら振り返って、なんかやたら心配そうにこっちを見たりする、のである。
わたしは長身で厳つい体型をしているが、とりわけ夜分でもない。とりわけ至近距離でもない。とりわけわたしとその女性だけしかいない──わけでもない。
世のなか、みょうなことばかり起こるので、警戒心はわかるが、まあ、たいがいにしつれいなわけである。そういうことがあるので、状況的に、女性や子供のうしろに位置してしまったばあい。わざと通りを跨いだり、待ったり、迂回したり、ずらすことがある。
街でも交通機関でもモールでもレジ待ちでもスタバでも、どこであろうとかならずそうする。
現況、禍(新型コロナウィルス)にあって、世のなかが、ソーシャルディスタンスをしきりに叫んでいるのだが、わたしとしてみれば、そんなことはかねて習慣化していたことが慣用句になったに過ぎない。公にあるとき、人に近づかない、なんてことは、まともなおっさんにとって、息をするごとく普通の習性──なのである。
この世が生きづらくなるほど、犯罪の老齢化現象は、なんか、わかる。わかってしまう。
わかってしまうから自戒する。
老いたら梯子を降りたほうがいい。
著名人が、老害と言われながらも、TVの中心位置で踏ん張っているのを見かけるが、みっともないからやめろ、と思う。
老いたら何か甲斐を見つけて、公でじぶんを満足させようとするのはやめたほうがいい。
個人的には、この日本に、死ねる選択肢がないのは理解できない。
先般の嘱託殺人には「老害」元知事と同意見である。現代社会では武士の情けが犯罪になる。
難病でなくても、あらかた終えてもういいと思ったら恍惚となる前に、ふつうに死にたい。それは哲学でもタブーでも重い命題でもない。ミリオンダラーの終局でヒラリースワンクが幇助を懇願するのとおなじことだ。
人様の厄介にかからず、厚生を扶け、生き残る人に幾ばくかキャッシュも余蘊する。なにが悪いのだろうか。何の問題があるんだろうか。マギーがフランキーの思い出のなかにいるなら、それでいい。
公人がそれを言うと、罷免や辞職になるが、実存の見地からすると世界は有用な人間の場所だと思う。それをすぐさま優生思想だと難癖する人権派が好きじゃない。無用のものに生きる資格はない──とは言わないが、有用でないなら、せめて自覚していい。人様に迷惑をかけない意識があっていい。
人命は尊いものだという、無意味なポーズが、ほんとのたわごとになる時代が、かならずやってくる。日本に真っ先にくる。
映画は二つの見え方を持っている。
現実世界で、クリントイーストウッドは老齢にしてクオリティの高い映画を連発するもっとも精力的な映画監督のひとりである。そのことを、前述をふまえて、身もふたもない言い方をしてしまうなら、価値ある老人──である。
加えて映画世界で、犯罪とはいえ、老人が一個の役を担った。回を重ねるごとに、ガレージ内の悪党たちが親近を寄せる。
「やあタタ調子はどうだい」
犯罪であっても、それが人間界の生き甲斐だ。First Run、Second Run・・・わざわざテロップが入るのは、人が人に重用され活路を見出していく段階をしめしている。人生の梯子のミニチュアである。まだ生きていていいと思わせる甲斐である。
社会や家族から見放されていた老人は、にわかに人に慕われ、にわかに小金持ちになる。それをクリントイーストウッドが演じている。その二つの見え方を呈しつつ、映画は、家族をないがしろにして生きてきた男の末路へ向かう。
良さと悪さの両義が見え、ゆたかな教訓があった。
三島由紀夫の談話に、じぶんのためだけに生きるほど人は強くない、なにかの理想やだれかのために生きたいと望む、という一節がある。文豪自身がそれを体現した。
わたしも、なにか、だれかのためでありたいと思う。強くなりたくはない。
なんてね。
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