運び屋のレビュー・感想・評価
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映画職人の手練の技を堪能。
『恐怖の報酬』みたいにヤバイものを運ぶ映画は色々あるけど、こちらはハラハラドキドキより、どこか飄々としてトボけた調子が、主人公のキャラと相まって楽しめました。家族との確執、刑事とのダイナーでの会話など、人情もののポイントを押さえて、余裕で2時間弱の尺にピタリと納めるのは、まさに職人技!88歳だからこそ、肩の力が抜けたモノづくりができるんですね〜。
最後の潔さ
宣伝では脅されて運んでいるのか、自ら運んでいるのか分からなかったけど、お金の力で失われた家族との時間を取り戻した主人公。
結局お金によって⬇
皆が集まる。
尊敬される。
充実感、達成感、人間の欲求が満たされる快感。
最後は地獄に落ちると思われたが、ちゃんと自分でケジメをつけた潔さ!感動
遊びすぎのジジイに誰か怒ってあげて
『ビッグフィッシュ』観た後にこの『運び屋』とじいちゃん系が続いてしまい20代の私には堪えるものがあった。
クリント・イーストウッドが演ずる破天荒ていうか自由きままな90歳のアールが麻薬カルテル組織を翻弄していたのは笑える。
リップクリーム塗ってる場合かよと色々ツッコミたいコメディ映画。
また家族愛のシーンでも、吉本新喜劇を笑えなくした版ぐらいの茶番感もあったが、全体的にこんな人生送れるのが一番幸せなのかもしれないと思わせてくれた。
けれども最後の法廷場面でのおじいちゃんを家族みんなが許してあげるのがどうも納得いかない。
誰か叱れよコラ
とてもいい。でも理由がわからない。 強烈なカットや話の構成でもない...
とてもいい。でも理由がわからない。
強烈なカットや話の構成でもないけど、安心して身を任せられる。ジーンとする。素晴らしかったなあ。
これまでにない「軽さ」
今までのクリント・イーストウッド監督作品のイメージとは打って変わって「軽さ」の目立つ映画だった。
ひょんなことから悪事の片棒を担ぐことで大金を手に入れた主人公の老人。これまで家族にして来なかった事を埋め合わせる様に景気よくそのお金を使う彼だったが、最終的にはその仕事を手放した時に、ようやく大切な真実にたどり着くという皮肉。
女好きで意地っ張りで憎まれ口ばかり。見方によっては最後の最後まで自分勝手な主人公だが、残り僅かな人生に対して、自らの罪を正面から見つめて結末を受け入れる、潔い人物にも描かれている。
主人公が飄々と「軽く」描かれる事で、その結末の重さが際立つと感じるかもしれないし、むしろ前向きなラストと捉えられるかもしれない。
大きく観客の感情を揺さぶってくる様な作品ではないが、ジワっと心に残る映画だった。
ただ、個人的な好き嫌いで言うと、『普通』。
やはり彼の作品は、あの重苦しい雰囲気あってこそ。
這いつくばる様にして悩み、葛藤し、苦しんでもなお、人は思い描いたゴールにたどり着くことなんかできなくて…でも、だから尊いんだ、って教えてくれる。
そんな彼の作風が好きなので。
イーストウッド渾身の演技が光る
体力的にこれが最後の主演映画になるのかなと言う思いで必ず映画館で見に行こうと思い行ってきた。
見終わった瞬間は感動の涙が一雫。
しかし後になってからの方が映画のシーンを思い浮かべて考えに浸る事ができる映画なように思う。
人生は選択の連続で省みる時には年老いてしまい戻る事が出来ない。
彼が映画を通してこれからの若者に残すメッセージを私は受け取りました。
これからお父さんになる人…是非見てください!
イーストウッド監督の映画に通底するもの
この映画を観て確信しました。
クリント・イーストウッド監督は『仕事に真摯に取り組む人』そして『仕事として引き受けたことは当たり前のようにきちんとすること』への関心と敬意と感謝の気持ちが本当に強いのだと思います。
『ハドソン川の奇跡』では、機長を始め事故に関わった人たちが、それぞれの持ち場で出来ることを最大限に発揮する姿、或いは発揮しようとした姿を丁寧に描いていました。
『グラン・トリノ』や『ミリオンダラーベイビー』でも主人公は、一度引き受けた仕事(役割)について、自分が出来る範囲においてすべての力を出し切っていたはずです。
本作の主人公も動機や行いの正当性を抜きにすれば、持てる力を誠実に手抜きすることなく仕事に注いでいました。
あの最後の仕事だって、家族との触れ合いの後であれば、何かが吹っ切れ、当初予定の場所ではなく、積み荷ごと警察に駆け込む選択肢もあったと思うのですが、家族との関係性の再生はそれはそれとして、仕事についてはきちんと所定の場所に届けようとしていました。
しかしながら、イーストウッド監督はそれを殊更凄いことだと強調するのではなく、『自分の仕事』として引き受けた以上、持てる力(技量も経験も)は最大限誠実に発揮するのが
人として自然なこと、当たり前のこととして描いているのです。
経済的な側面だけでなく、『仕事』とか『役割』といったものが、たとえ社会の中でどれほど小さなものであっても、人が人として存立し得るプライドの基盤であり、敬意をもって認め合うものなのだと教えてくれます。非合法ではあっても、仕事を通じてメキシコ人たちと生まれた関係性(極めて限定的ではあるが一定の信頼関係も存在した)の中でやり甲斐を感じていたのは確かなことなのです。だからこそ、自分の仕事、と認識した行動については誠実に振る舞わなければいけないのです。
イーストウッド監督の演出は比較的静かで、あまり抑揚なく描かれますが、どの作品もいつも深く染み渡ってくる感動を与えてくれるのは、監督自身が〝映画を作るという仕事〟に誰よりも誠実に取り組んでいるからだと思います。
しみました
クリントイーストウッドの年をとった演技にしみました。老いについて考えてしまった。僕は西部劇、ダーティハリーのクリントイーストウッドはイメージだったが、 老いと人生の経験したものの味が本当に良かった。
最後に何を思うのか。
本日TOHOシネマズ日本橋にて鑑賞。
クリントイーストウッド89歳の監督作品。
登場するアールも90歳。
イーストウッドはこの作品の登場人物に自分を重ね合わせていたのではないだろうか。
90歳という晩年になり今まで生きてきた自分を見つめなおす。
主人公のアールはそれまで自分のことだけを考えて生きてきた。
外面がよく家族を顧みなかった。
その性格は多分90歳になっても変わらない。
お金が無くなり手を染めた犯罪だがそこにあまり罪悪感も感じたりもしない。
友達のお店がクローズの危機になりポンとそのお金を出してあげる。
そしてみんなからチヤホヤされ浮かれていく。
家族や犯罪によって被むる人たちの事など瑣末にしか過ぎなのだ。
簡単に手に入る大金。それがどんなに危険で世の中にとって悪なのかという道徳心も麻痺していく。
そんなアールだが愛想をつかされたもと妻の死に際してやっと気付いて後悔をする。しかしもう時は戻せない。
死んでいく彼女を見て彼はどう思ったのだろうか。
今まで生きてきた過ちを若い捜査官に伝える。
そこにイーストウッド自身が映画一筋で生きてきて家族からも嫌われた自分を重ね合わせたのだろうか。
最後の裁判で自分は有罪だと認めそれを受け入れて生きていく。
彼は後悔していたのだろうか。
それとも思うままに生きてきた自分に後悔は無かったのだろうか考えさせられる。
次回の主演作も楽しみに待っています
久しぶりのクリントイーストウッド主演作品である事から再会を楽しみに映画館まで足を運びました。
私の独り言ですが、「グラン・トリノ」がハリー・キャラハンの刑事退職後のお話ととっているのですが、本作品は、なんかファンに最後のさよならを言いにきたようで、私的には本作品を見てるうちになんか辛くなりました。
本作品ですが、イーストウッドファンの立場からではなく、1本の作品として良い映画でした。
「色々お金を出して買って来た、しかし、時間は買えなかった」と言う台詞、麻薬組織の人間に「こんな組織抜けなよ」「人生ゆっくり楽しめ」と言う台詞に、なんな見てるこちらに向けてイーストウッドの遺書やメッセージにようにとってしまった・・・・・
ラストに刑務所で、植木いじりをしているイーストウッドの絵で終わりますが、何ともイーストウッドの絵が綺麗で、泣く映画ではないのですが、なぜか、切なく、悲しい気持ちになりました。
この後も、元気で監督作品、主演作品を楽しみに待っていますよ。
PS
悪いけど、映画見に来るとき、もう少し体調を整えて見に来てくれ、隣の席の奴、数分おきに、鼻をすすり、ぐたぐた体を動かし、せっかくいいところなのに、お前の鼻をすする音を聞きにきたんじゃ何だけど・・・・
また、ポップコーンも大きな音をたてて食べるのもやめろ!
猿と一緒に映画をみているようだよ・・・・
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