「極上の人生ドラマ、隠し味は「西部劇」」運び屋 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
極上の人生ドラマ、隠し味は「西部劇」
イーストウッドおじいちゃんと言えば、頑固・偏屈・タフの3拍子揃った「俺様系おじいちゃん」を想像してしまう。
彼の演じてきた役柄がそんなイメージを植え付けているのだ。だから、今作「運び屋」のおじいちゃんもそんなキャラクターなんだと勝手に思っていた。
ところがなんと「運び屋」のアールは社交的で朗らか。ちょっとキザなところはあるけど、概ね柔らかい雰囲気の人気者おじいちゃん!
おじいちゃんウオッチャーとしては、完全に虚を突かれたね。
経営していた農場が差し押さえられ、一文無しのアールは、家族の中で唯一慕ってくれている孫娘の「結婚式の費用を出す」という約束を守れなくなる。
家族をほったらかし、仕事に邁進しすぎたアールは家族に拒絶され、孫娘の結婚式から締め出されそうになる。
結婚前のパーティーで出会った新郎側の友人は、そんなアールのオンボロトラックに目をつけ、運び屋の仕事を紹介する…、という流れで彼は縁遠い「運び屋」の世界に足を踏み入れることになるのが大まかなストーリーだ。
なんと言っても、アールのキャラクターが良い。どっからどう見ても、人の良さそうな可愛いおじいちゃんなのだ。
お金の使い途だって、孫娘の結婚式や退役軍人会館の修繕。怪しいタイヤ工房に常駐している刺青スキンヘッドの連中にも「タタ(じいちゃん)」と親しまれ、観てるこっちもほんわかした気持ちになる。
そんな優しいアールだが、彼自身は古い価値観の男だ。女性バイカーの集団に「息子よ」と話しかけたり、黒人男性へ差別的な呼び方をして注意されたり、全くアップデートされてない「時代遅れな男」。
ただ、アールが今までイーストウッドが演じてきたようなおじいちゃんと違うのは、そんな時代の変化をわりとすんなり受け入れて、全く相手を否定しないことだ。
だから最終的に相手にも受け入れてもらえる。
アールは古い男だ。家庭より仕事を優先し、外での価値を高めようとしてきたこともそう。それは変わらない事実だ。
そんな「時代に取り残された男」が、それでも「俺は俺」を貫き、常識では考えられない「運び屋」稼業を成立させる。
次第に周囲の人の好感を勝ち取り、状況のマズさと裏腹に充実した毎日を送っているのが、なんとも表現しがたい人生の不思議を感じさせる。
「時代に取り残された男」が、破滅の予感をさせながらきらめきを残す物語、という意味では同じくイーストウッドの「グラン・トリノ」や、西部劇の傑作「明日に向かって撃て!」とも共通するところがあるように思うけど、それをこんな可愛いおじいちゃんでもやれちゃうのは、ある意味衝撃だった。
どんな人生にも西部劇的なロマンはある、ということなのか。
もしくは「イーストウッド」というイメージが私にそう感じさせるのか。
それはどっちでも構わないと思う。映画から私が受け取った感情こそが、私を私たらしめているのだから。
変わっていく時代、変わっていく価値観、変わっていく関係の中で、それでも人の根本的なもの・好きなこと・大事なものは変わらない。
そんなラストシーンにじんわり感動できる、おじいちゃん映画の新境地。
おじいちゃん映画ファン以外にも、是非観て欲しい。