「リープ?ワープ?トラベル?、いやコンプレス」クロノス・ジョウンターの伝説 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
リープ?ワープ?トラベル?、いやコンプレス
同じように、ジョイントじゃなくて、ジョウンターという小説内の架空の人物の名前が由来のようである。と言う風に、SF業界においての“時間移動”というジャンルは人間の夢と欲望を掻立てられる触媒であり、この素材を元に今まで沢山の作品が生まれたこと枚挙に暇がない。但し、人間は飽きも早いので、同じようなパターンの作風ではかなり既視感を抱いてしまうから、次に素材自体に脚色を加えることを考え始める。それは素材自体のフォルムも然りだが、条件付けをすることでルールを付与し、そのルールに縛られたり、又は破る為の“チート”を模索することを、ストーリー展開に組み込むことでドラマ性の花を開かせるきっかけ作りに一役買うことになる。しかし、こと時間軸故に複雑なファンクションを付与してしまうと途端に理解に滞りが生じてしまい、考えようとする推進力が奪われてしまう弱点がある。小説ならばいつでも前に“ワープ”して理解出来るまで思考を停めなくても良いのだが、映像となると作り手と観客の間に共有されねばならない“前提”というお約束が不履行になってなってしまうのである。平たく言えば、小難しい事について行けなくなるということだ。
今作品の原作は小説であり、いわゆる群像劇で構成されているらしい。未読なのでネット参考なのだが、既に別作品や、舞台作でも引用されていることらしいので、原作に関して言えば相当人気であるだろう。多分、その人気の一つの要素が前述である、数多い前提条件の件が絡んでいると考えられる。
さて、それを映像化した場合、きちんとそのギミックの説明を表現できるのかが鍵なのだが、今作は、それを見事に裏切って俳優の説明風台詞でその殆どを提示しているのだ。こうなるともう何を言ってるのか頭の中で黒い糸がこんがらがってしまう映像しか想像出来ない。そしてそれが曖昧なまま、ストーリーが進んでいくから因果関係が置き忘れてゆく。時間トリックというなかなか飲み込みづらいテーマなのだから、もっと巧い表現方法は無かったのだろうか?そうでなくてもドンドン後出しジャンケンみたいに条件がくっついてくる展開なので丁寧さが求められるのにと勿体なく思う。
そうなると、冒頭の昔の古い映写風の映像テクスチャや、叙情的な二人の思い出シーンのしつこい差し込みシーンも意味を成さない。必然性が感じられないからである。カエルを飛ばすことと、カエルのブローチの安易な括りも、フリと回収が浅い。ヒロイン視点の描写が無いから、ラストのヒロインが装置に乗る件も観客の気持は乗ってない。時間がキモなのに、同僚の友人がこれだけ年月が進んでいるのにまるで同じ姿態。老けメイク等、オーバーな位容姿を変えるべきなのではないだろうか?そして重要なセンテンスである、もどかしくじれったい位、何度過去を変えようとしても変わらない悔しさを丸っきり表現出来ていない主人公、そして演出。劇伴の安っぽいパソコンゲームのBGM。
数え上げたらキリがない程のツッコミどころ満載な体である。出てくる俳優陣の演技レベルの低さも相俟って、一体今作品のどこの部分が加点を加えるべきだろうか迷うのだが、正直難しい・・・難しいが強いて挙げるとすればこの人気小説を選んだということだけなのではないだろうか。その選球眼だけは優れていたのだろうが、幾ら素材が良くてもシェフがこれでは・・・ 制作費が掛かるような題材ではないと思うので、もっとアイデアや相当の改編があっても良かったのではないだろうかと思う。