劇場公開日 2019年4月12日

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「説明不能の「神授型」語り部たち。」チベット ケサル大王伝 最後の語り部たち 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5説明不能の「神授型」語り部たち。

2019年4月17日
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鑑賞方法:映画館

ある時から突然、何かが憑依したかのように物語を語れるようになる語り部たち。それを「神授型」という。神秘性はイタコのようであり、人々の心をつかむのは平家物語を奏でる琵琶法師のようであり、流れような節回しは浪曲師のようでもある。
物語の主人公、ケサル大王は、東チベットの伝説の勇者。ヤマトタケルを思い起こさせる。

長く地域に残るこの語り芸は、いま、中国政府による地域振興の旗振りのもと、廃れようとしている。祭りは中国風に京劇化され、物語は書籍化が進んでいるのだ。それは、語り部たちの出番が減っていくことを意味する。共産党政権は、異質のものを排除したいのだ。
トークショーで玉川奈々福さんが憂う。語り部の存在は、いつかなくなってしまうんじゃないかと。トークの後ろのスクリーンには、かつてのチベット王国がまるまる中国の領土の色に染められていた。まさに、チベットを話さず中国語が共通語となっているチベットそのものだ。彼ら自身がそれを良しとするならば、早晩、語り部たちが絶滅するのも自然の理なのではないか、と悲しくなった。

栗太郎