「尺の半分以上が「宇宙世紀の日常」じゃないですか」機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ ジャワカレー澤田さんの映画レビュー(感想・評価)
尺の半分以上が「宇宙世紀の日常」じゃないですか
どうもここ10年ほどのアニメ映画は、物語の展開があまりに遅いと感じてしまいます。
情報サイトでもこの映画に関しては「リアリティー」が語られています。それは本当です。しかしその「リアリティー」とは、宇宙世紀に住む人々の生活に焦点を当てたもの。したがって冒頭、ハサウェイがハイジャック犯を倒してからダバオのホテルに行ってしばらく逗留するまでの描写にかなり尺が割かれています。
その間、モビルスーツが殆ど出てきません。
キャラの行動も極めて不思議、というより不可解です。なぜギギはハサウェイの正体を見破ったのか? それはもちろん「直感」なのですが、その「直感」を特殊な能力として描写することを一切していません。会話の中でそう言ってるのみ。従って、映画館の観客から見ればギギはただの不思議ちゃんにしか見えません。
そんな不思議ちゃんの言葉を、なぜケネスは真実として認めるに至ったのか? そのあたりも説明不足……というより、まったく説明されていません。これは完全に「空気のやり取り」です。このあたり、「ニュータイプ」という概念を導入してしまったガンダムシリーズの致命的欠陥ですね。シナリオ進行に絶対不可避の心理描写を「ニュータイプの能力」の一言で片づけようとする悪癖が、この映画でも出てしまっています。
というより、この映画に「シナリオを進める」という気概があるのでしょうか?
ハサウェイの行動も不可解です。何日か前にあったばかりのギギを見捨てることができない。だから自演自作の空襲からギギを連れ出そうとしますが、そのせいでホテルの下でクルマを用意していたエメラルダを相当危ない目に遭わせています。そこまでして命を救ったギギのどのあたりに魅せられたのか、という描写や説明ももちろん見当たりません。
ここでエメラルダが「あんたの弱点が露呈した」とか何とか言うのですが、弱点どころか甘ちゃんですよハサウェイ。もちろんキャラとしては甘ちゃんでもいいのですが、ならどうしてそんな甘ちゃんにあなたはついていってるのエメラルダさん? という疑問が頭から離れません。
ハサウェイを「軍人になり切れない等身大の男」として描きたいのは分かります。それならなぜ、ハサウェイはテロリストなんかやってるのか? いや、思想家としてのハサウェイになぜあれだけの仲間や部下が集まってるのか? ということが終始不明のまま映画が終わります。
クスィーガンダムを受け取る時の作戦ですが、これも「いつの間にか作戦を始めていた」という感じです。
事前に「ここをこうするからお前とお前はこうして、自分はこれに乗ってここに行く」というような詳しい作戦説明もありません。
とにかく目立つのは、終始説明不足という点。ハサウェイがなぜ「人類は例外なく宇宙に移住しなければならない」という思想に至ったのかも(これ、ベラボーな過激思想ですよ?)、その思想に仲間が集まった経緯も、彼らの計画の現実性も、マフティーの活動に連邦政府が手を焼いているということも(ていうか、余裕綽々じゃないですか)、肝心なリアリティーがポッカリ抜けています。
これを「あくまでも三部作の一作目だから」と言って大目に見ることはできません。なぜなら、二作目と三作目が一作目の不備を補ってくれる保証はどこにもないからです。
最悪、リアルタイムの展開はサラッと流して、ハサウェイの逆シャア時代の回想で尺を埋める……ということだってできてしまうはず。そしてその可能性は高いと、私は見ています。