ばるぼらのレビュー・感想・評価
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ばるぼらすごかった
20年以上前に読んだものの内容忘れていたから、あえて読み直さずに映画を見に行った。
次どうなるか、常にドキドキしていた。
一回見ただけではよく分からないところがあり、次の日にまた見に行った。
はだかの絡みがめちゃくちゃきれい。あんなにべったりしているのにいやらしさのない、めちゃくちゃ綺麗なラブシーン。
あんなに綺麗な絡みは今まで見たことなかった。女性が見ても嫌な感じする人いないと思う。
おっぱいがいっぱいだった。
稲垣吾郎さんすごく綺麗な肌。二階堂ふみさんもとても綺麗な胸だった。
何回見ても飽きない。
女性が8割、男性が2割だったかな?
魔術的な所怖かった。
手塚治虫さんが苦労していた時期の漫画だと聞いた。そのせいか行ったり来たりしている感じもあった。
最後狂気的な稲垣吾郎。すごかった。悲しみが伝わってきて、すごく切なくなった。ふみさんは裸でずっといて素晴らしかった。顔も裸もきれい。
最後の交わり、慟哭の美倉が切なかった。
全体的にとても綺麗だった。
泣いたよ。
おすすめ。
いっぱい悩んで見てください。
広めの試着室でドキドキ
期待して観た分だけ
手塚治虫の優しさなのかもしれない
二階堂ふみは今や日本を代表する若手女優である。最初に注目したのは映画「脳男」で、当時19歳ながら迫力のあるテロリストを存在感十分に演じていた。その後鑑賞した映画では「私の男」「SCOOP!」「何者」「翔んで埼玉」「人間失格」そして本作品と、まったく異なる役柄ながら、それぞれに上手に演じ切る。
稲垣吾郎は前から演技が上手だと思っていたが、本作品では二階堂ふみの演技に引っ張られるように、これまでより一段上の演技ができていたと思う。最初から最後までほとんどのシーンに出ずっぱりだが、シーンごとに雰囲気が変わっていて、主人公美倉洋介の揺れ動く心が伝わってくる。
さて作品は本当にこれが手塚治虫の原作なのかと疑うほどエロティックでデカダンスで反権力である。美倉洋介は売れるための小説を器用に書きこなす売れっ子作家だが、自分の作品に文学的な価値がないことを自覚してもいる。バルボラと出会って真正面からそれを指摘されて、洋介は変わっていく。
世の中は上辺を飾らない人間には生きづらい。高級マンション、高価な洋酒。洋介はいつの間にか自分も既存の価値観に染まってしまっていたことに気づく。バルボラは女神だ。洋介が権威に絡め取られようとするピンチに現れた。バルボラを拒否してこのまま欺瞞の人生を送るのか、バルボラを受け入れて真実を追求して社会から追放されるのか。どちらも地獄へ続く道だ。
このあたりに手塚治虫の心の闇が見える。つまり、手塚治虫が描いていた「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」など、権威や権力の側に立つような漫画は、本来描きたい漫画ではなかったのではないかと思われる。あまり知られていないかもしれないが「バンパイア」をはじめ、既存の価値観に異を唱えるような漫画もかなりある。大量の仕事を続けながら、家族を蔑ろにしない、社会的にもきちんとした大人でありつつ、内に抱える闇を漫画にして吐き出していたような、そんな気がする。
本作品は実写だけに漫画よりもずっと暗い雰囲気で、ひと息つく場面もない。転がり落ちるように社会を逸脱していく洋介をなんとか既存の安定社会に引き戻そうとするのが石橋静河が演じる加奈子で、建前社会の窓口としての役割を上手に演じているが、一度道を外れたアウトサイダーがインサイドに戻ることはない。
ラストシーンもエロティックで、二階堂ふみのポテンシャルを余すところなく存分に撮り尽くした印象だ。とても美しいラストシーンである。人生の最期に死が待っている以上、ハッピーエンドは本来的にありえない。誰でも心に冷たく凍った闇を抱えて震えている。本作品はその闇を少しだけ溶かしてくれた気がした。それが手塚治虫の優しさなのかもしれない。
手塚治虫先生が70年代に書いた漫画を実子である手塚眞氏が監督した「...
手塚治虫先生が70年代に書いた漫画を実子である手塚眞氏が監督した「ばるぼら」。この映画はこれが果たして大衆娯楽として成立するのだろうか、という疑問を見事に払拭していました。確かに万民受けする映画ではないけれど、新宿でありながら新宿ではないような、現代でありながら現代ではないような美しい映像は「あれは、幻だったのだろうかー」のコピーの通り、美しい芸術作品を見終わった後のような満足感を得ました。二階堂ふみさんは朝ドラでの「音ちゃん」と同一人物とは思えない程つかみどころのない「ばるぼら」を演じ切っていました。また、稲垣吾郎さんは漫画の美倉先生とは体格が全然違いますが、人気作家であるときのすかした表情と全てを失い朽ちていく表情が見事で、美倉先生は稲垣吾郎以外には考えられませんでした。丁度コロナ禍で何が正解で何が正義なのかわからないこの時代に、この映画は観賞している大人達に御伽噺のように白昼夢とその先にある残酷さを見せてくれるのではないでしょうか。
すぐに心に響くものではないが、後遺症のように感情に傷を残すような作品
映像、音楽、綺麗すぎ
主演の2人はいいけど・・・
頭にぶどうつけてた。
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人気小説家(官能小説家?)の洋介が新宿の路地で酔っ払ったばるぼらに出会い、部屋に連れ込んだことで変わっていく話。
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原作は手塚治虫らしく、その息子が父親の漫画を映画化するという、私的にこの映画の内容より父親の作品を映画にする息子の物語の方が気になった(笑)あとはやっぱ原作読みたくなるよね、この映画ただただよくわかんなかったし。
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でも、久しぶりに見た吾郎ちゃんのあの地味に気持ち悪い感じ変わってなくて、洋介役にピッタリだった。あとパンフレットに原作の1話が載ってたんだけど、結構再現度高いですね。ちゃんと手塚治虫の世界観を表現できてたと思う。
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若干SFファンタジー的なので、途中頭にぶどうつけてるばるぼらの母親とか、結婚式の謎の儀式(あれミッドサマー始まるかと思いましたね!)とかとにかく謎なシーンが多かった。
あとは私基本生息地新宿なので、新宿の汚い感じを体現しているばるぼらすごい好きだった。
手塚ワールドに酔えました。
先生、ちゃんとしたもの書きなよ。才能あんだから。
才能が枯渇した売れっ子作家がばるぼらと出会い、潰れていく話。ばるぼらは、スランプ中の作家美倉に憑りついた悪魔。ばるぼらに堕ち、耽り、溺れていく。地獄の底まで。そんな空気感を醸すように、音楽と映像は、ハードボイルド風。スタイリッシュに仕上げてある。
しかしなあ、なんか上滑りしているように思えるんだなあ。これじゃクスリに手を出して、何かに囚われるように幻想を見、駄目になっていった男の話にしか見えないじゃないか。五劫思惟阿弥陀のような容姿のばるぼらの母は、"ムネーモシュネー"と名乗った。何の名だ?と思ったら、ギリシャ神話に出てくる記憶を司どる女神だという。9人ものミューズを産んでいるともいう。ばるぼらが芸術の化身であるのなら美倉が溺れていくのもわからないでもない。だけど、なんだか冷めるんだよな。あれだけ二階堂ふみが身体を張ってるのに。
答えのない映画
公開初日に初回観賞、翌日に舞台挨拶中継付で再度鑑賞。
原作漫画を読み、この作品の世界観を知った上での鑑賞でしたが、1回目ではまだ馴染めない部分も多く、2回目で少し近づけた感じでした。
好き嫌いが分かれるのは確実で、この作品に何を見るのかは個々次第。主演の稲垣吾郎さんが舞台挨拶で言った「ひとつ大きな答えが用意された娯楽作品とは違う」という言葉に集約されていると思います。
主演二人の演技は衝撃的で、確かに美しい。稲垣吾郎さんからは俳優として生きていく覚悟のようなものが感じられたし、二階堂ふみさんは実態のない感じをうまく表現し、この難しい役をこなしていました。二階堂さんのばるぼらなくして、この映画は成立しません。
この作品から何を感じるかは人それぞれ。なので、あくまで個人的見解として。
中盤の官能シーンはあんなに長くする必要があるのかな? 美倉がばるぼらに嵌まっていく心理描写にもう少し時間を割いてもよかったのかなと。
ただ、あのシーンで美倉の堕ちていく様と心情を表現しているのかもしれないし、美倉の心理をはっきり見せないことで「理解し難い感じ」をあえて残しているのかもしれない。
数多いる男たちの中から、ばるぼらがなぜ美倉を選んだのかも分からない。原作にも描かれていないから仕方がないのだけど。それが分からないということ自体が、ばるぼらの実態のなさなんだろうな。
ミューズとしてのばるぼら
映像美と印象的な音楽
撮影監督がクリストファー・ドイルということで映像が素晴らしく美しい。都会の雑踏や猥雑ささえも日本なのにどこか異国のように感じさせる。その美しい映像のバックの音楽もさらに怪しさや高揚感の雰囲気を高めている。
破滅へ向かう小説家の稲垣吾郎の肉体の美しさ。ミューズとして浮遊感たっぷりなばるぼらの二階堂ふみは途中からの美しい変化と最後の神秘的な存在感。物語としてだけではなくこの映画は芸術作品として心に余韻を残す。
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