ばるぼらのレビュー・感想・評価
全176件中、81~100件目を表示
大人な世にも奇妙な物語
オープニングから独特な雰囲気。
ちょっと期待。
音楽も独特。ジャズ。かっこいい。
セクシーな世にも奇妙な物語という感じですが、ストーリーは薄め。キャラも魅力的には思えない。どこにも感情移入出来ない。
漫画だったら不思議に思わないかもしれないけど、実写にすると無理な設定が多くて、「プッ」っと何度か吹き出してしまった。
何見せられてるんだろう、、、と。
セクシーなシーンが多いですが、音楽流れてオシャレな感じになっているので、なんか、、中途半端。
変態性は無いかな。普通。最後は引いたけど。
官能的といえば官能的だけど、誘い方もプレイ内容?も単純でイマイチだった。
文学的ではないと思う。単純で行間がない。
好みの問題かも。
二階堂ふみファンは必見。綺麗です。
稲垣吾郎ファンはどうかな?
なんか演技が下手に見えてしょうがない。
非現実的過ぎて渡辺えりも下手に見えるから、演出の問題かな。
何というか、、、
原作を読んでていたら観賞しなかったかもしれないけれど、観賞してから「原作」の背景や「手塚治虫」先生のことを知ったら、もう一回映画を観たくなる微妙な作品でした。
何と言っても、予告編やチラシの出来が素晴らしいのだと思います。
主演2人の演技を賞賛する声が多いようですが、映画作品としては、自分としては「う〜ん」と唸ってしまいました。ビジュアルも綺麗だし、音楽も良いのだけど、世界観をもっと追求できたのでは?と。少々辛口気味です。原作あっての、本作なんですね。
手塚作品はほとんど読んだ事がないのです。
「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「火の鳥」「ブラックジャック」、タイトルは知っているのに、手塚作品はほとんど読んだ事がないのです。「ちゃんとした」少年向け漫画の作品の作者という印象しか無かったのです。
しかし映画鑑賞後に、手塚治虫のことを知っていくと「白手塚」と「黒手塚」が存在したのだと改めて知りました。
私の身の周りに「手塚作品」が全く無かったのも、「黒手塚」のことを知った両親が私の目に触れないようにしていたのかも。
少し、黒手塚の世界を知ってから、もう一回映画観賞するか考えてみたいと思います。
いやー、全くでした。お風呂のシーンとかは綺麗で音楽もよく好きなシー...
いやー、全くでした。お風呂のシーンとかは綺麗で音楽もよく好きなシーンだったが、他は全くといっていいほど、何もなかった印象。個人的に好きではなかったのかと思う。
洋画みたいな
原作読まずに観賞。ストーリーありき、涙ありきの邦画の中では異色作品。話がぶっ飛びすぎてて、おそらく作り手もついてくることを想定して書いてない感じ。ただただ、エロく美しく魅せるを優先した映画。
映画としての要素は二階堂ふみくらい。
芸術か猥褻か?
これむしろ漫画版を観てみたいがあるのかな?あったらエロ漫画になるけど!
稲垣はこの手の役は過去にあったかな?これが柄本やもっと格下女優なら興行も変わるし単なるエロ目的の作品に!客層はやはり男はおっさん女性は稲垣効果か終了は0時前のレイトショーなのに若い娘も多く平日でも計30名前後は入ってた‼️
コロナの影響で曇りっぱなしの自分の眼が情け無い
いわゆる芸術作品の評価の一面として、何かの方面で才気あふれる人が独りよがりの表現をして、それが一部の、或いはもう少し広い範囲の人たちから熱狂的に評価されるというケースがあると思います。評価した人の中にそれなりの人がいれば、更に評価自体が権威付けられたりして、本当はよく分からないながらも良いものだと思って受け入れる人(私みたいな)が増える。そういうことがあると思ってます。
しかしながら、コロナや世界的な気候変動のように、ある意味で地球に暮らす人類全体に対して、極めて平等になんの差別も格差もなく襲ってくる災い(対応能力の環境格差の話は別として)に直面しているさなかだと、なんだか微妙でした。
運が悪いというか、タイミングが悪いというか。
あくまでも私の個人的な心の持ちようの問題なので、普遍性も説得力も無いとは承知のうえですが、〝今観るべき映画〟とはどうしても思えなくて、ちょっと落ち込んでます。
何を言ってるんだか、よく分からないレビューになってしまいました。
すみません。
令和の今、これをやる意味とは?
見ているうちに既視感に囚われた。
この話、多分読んだことがある。
渡辺えりの姿を見て確信した。
でも、記憶からはほとんど消えており、デジャブにしか思えない。
そう、これは昔よくあった耽美的退廃文学の様相だ。
行き着く先は「破滅(タヒ)」しかなく、救われない。
さて、この映画の良いところは、他のレビューにもある通り、二階堂ふみを筆頭に美しい裸にある。稲垣吾郎もお歳のわりに美しい身体をお持ちで、ムキムキでもなくしなやかさを兼ね備えていて、ふみ様に負けないように、鍛えたんだろうなと思えた。
二階堂ふみ様は、他の映画でも結構な脱ぎっぷりなので、この役にはピッタリだろう。美しさと脱ぎ(演技)を両立できるのは、この世代では他に吉高くらいではないか?(もうしないけど)かつて、常盤貴子も若くして脱ぎ、今の地位を築いた。二階堂ふみ様は片方でエールを演じ、他方で稲垣吾郎や小栗旬と濡場を演じるなど、似ていると言われた宮崎あおいをとっくに凌駕していた。
しかしながら、結婚式の辺りでこの話の行き着く先が予見でき、文学としての落としては所はこうでよくても、映画としてのそれは、逃避行の末ゴニョニョ→だから何!と、正直盛り上がりに欠ける。
そもそもバルボラは存在したのか?
現実世界の誰も彼女に会っていない。どこから現実が崩壊したのか?既にマネキンやイヌに心を奪われている時点でクスリや酒の影響が見られるわけだから、この話は幻想のようにも思える。危機(モノヤイヌを相手にいたそうとする)の度に突如現れ、現実(?)に戻す。心配だからきたって、アリ?
また、バルボラが人でなくなってから、手塚先生なら、腐っていく様子を描きそうなものだが、そうならなかったことからも妄想である可能位が高い。
そうなると、結婚式(不発)のあと、街で再会するのは頂けない。やはり、別人(ヒト以外)であって欲しい。そのあと、どこからともなく現れて現実に戻すことが本当ではなかったか?
狂っていく現実と、バルボラのいる妄想との区別がつかなくなり、現実世界で取り返しのつかないことを起こしてしまう(例えば、献身的な編集者か、バルボラと別れるきっかけになった婚約者を誤って殺してしまう)くらいの事件がないと映画としての訴求力を感じないなあ。
つまり、現代的な手法ではなく、昭和の手法に二階堂ふみ様を組み込んだおかげでこの話を実写化出来ました、という所だと思う。
60’s on 20's
原作呼んだのは30年以上前になります。
原作の記憶はほとんど残ってません。
手塚先生はスターシステムをつかいます。
最初稲垣さんを見たときはロックそっくりだと思いましたので主人公は自然とロックだと勘違いしてみてました。ロックはどちらかというとヒールで頭が良く利己的でずるがしこいというキャラ。
美倉洋介は全然違うキャラなのに・・・最初、思い込みで全然違うキャラをあてはめてみてたため混乱してのですが、意外になじむ、眞監督は美倉をロックで撮りたかったのかと思えるほどに馴染んでました。
二階堂さんのばるぼらは、稲垣さんのロックに比べるとソックリというわけではありませんが雰囲気はちゃんとばるぼらでした。その辺は流石です。手塚作品にでてくるフーテンの女性のエッセンスが入った違和感のないものになってました。
街の絵は現代の風景なのに、なぜか60年代の混沌感がありサイケデリックに落書きされてもいましたが世界観も再現できたのではないでしょうか。
大人ファンタジー
綺麗な映画でした。
二階堂ふみさんすごい女優さんですね。
後半のあるシーンで凄って声が出てしまいました。
稲垣吾郎さんはこんな事までするのってびっくりしましたが、最後は可哀想になってこちらまで涙。
ミッドサマーとか言うコメント見かけて、ちょっと躊躇したけど、1シーンが似てるだけであんなにグロくもないし全然違いました。
性愛シーンはうっとりするほど綺麗です。
エロくないって聞いてましたが、2人表情がエロかったです。二階堂ふみさんの痩せすぎてない柔らかそうな肌感、稲垣さんの顔が紅潮していく様とか、役者さんてすごいですね。
もう一度観たいです。
映像が綺麗、二階堂さんの目がすごい
カメラさんと照明さんの技術が優れているからでしょう。映像が綺麗です。東京の汚い場所もあるのですが、映像では綺麗に写っています(たぶん、音と臭いがないからでしょう)。
私はばるぼらのような人には会ったことがありますが、ばるぼらには会ったことがありません。ですから、見終わって「ふーん」で終わってしまいました。
ただ、二階堂さんの目の表情がすごい。こんなばるぼらに出会ったら、男は狂ってしまうのでしょうね。私は会わなくて良かったと思いました。
ばるぼらの髪型と髪色とトレンチコート、「重慶森林(恋する惑星)」のブリジット・リンのまねのような気がするのですが、いかがでしょうか。
びっくりした。
全然期待してなかっただけに吾郎ちゃんの演技にびっくり。
序盤は普段の「稲垣吾郎」だったんだけど、最後は見事。
原作をジャズと映像でアートに仕上げてあり、幻想的な世界に主役の2人が溶け込んでとても美しかった。
もう一度酔いに行きたくなる映画でした。
ただただ美しい。
漫画 #ばるぼら は大人になって映画を見る前に3話まで読みました。
それ以降読まなかったのは余計な先入観を自分に入れたくなかった為。
でも、やはり初めからなんの知識もないまま見たら、正しい評価が出来ないと思ったので、3話までにとどめました。
少し先が気にはなったけど、結果丁度良かった。
始めの冒頭部分の色々な疑問は漫画を読んでいたので解消される。
逆に内容を知っているので、リアルな世界にしっかり没頭出来て映画の世界観に存分に浸れました。
決してハッピーエンドではないけど、天才が芸術の女神に溺れていく様が本当によく描けています。
ばるぼらも美倉洋介も元世界に存在している。
渡辺えりさんのお母様も本当に素晴らしかったし、恋人役の美波さんも本当に素晴らしかったです。
人間の女性が一番怖いとリアルに思えた作品です
申し訳ないが手塚眞は映像作家であって、映画監督に向いていないのでは?
僕は手塚治虫先生のフアンで、出版された作品の大多数は読んでいますし、ほとんど持っています。もちろん、「ばるぼら」も持っていますし、何度も何度も読み返し、今も大切に僕の本棚にあります。なので、今回は、非常に期待と不安を混ぜ合わせた状態で観ましたが、不安の方が正解でした。さすがにこれはないでしょう、いくら何でも。お父様が草葉の陰で泣いているぞ!
漫画未読でこの映画を観たら、頭の中は???状態と思います。知っていても、「ふ~」という深い溜息しか出ません。二階堂ふみも、もう大女優なのだから、仕事を選べば良いのに。確かに、彼女は適役かもしれませんが、彼女の裸体が痛々しくて、僕には観ていられません。昔、「恋人たちの時刻」を観たとき河合美智子の裸体を痛々しく感じたときと同じ感覚になりました。また、もっとミューズとして納得できるシーンを示さないと、理解できないと思います。そんなんだから「二階堂ふみはアルコール依存症のフーテン娘役・・・」という、へそで茶を沸かすような、とぼけたネット記事を書かれるんです。違うでしょ、もう。
稲垣君は映画俳優としては、草薙君の域にはどうしても到達できません。美倉役は、彼の人柄が良さがにじんでしまい、漫画ほどの困った人物像(異常性癖・性欲、最後は狂人)になっていません。
そもそも手塚眞は映画監督に向いていないのではないでしょうか。「ばるぼら」を映画化したいのなら、プロデューサーに徹した方が良いのでは??そのことはずっっっと前から感じていましたが、それでも、手塚治虫先生の息子だし、才能はあるのだから、今度こそは、と思って封切り初日に観に行ったのに・・・非常に残念です。以前、筋少のオーケンが彼の映画を観て「何が面白いのか全然わからなかったが、かなり時間が経過したのち、わかった」みたいなことを何かに書いてありましたが、僕は今回も含めて、ずっと前から理解できないままです。
また、昔から思っているのですが、手塚治虫先生の作品は映像化が実は非常に難しいと思っています。日本漫画に初めて映画的手法を取り入れたことは周知の通りですが、作品の完成度の高さと、漫画での表現が最も適した内容が、映像化を阻むと思います。だから、案外とアニメも微妙なのです。もし、実写映画化して上手くいく作品があるとすれば・・・「陽だまりの樹」くらいでしょうか。おそらく。とにかく、悲しい気持ちです。
二階堂ふみの裸の無駄遣い
手塚治虫のマンガを映画化。売れっ子作家が町中で拾ったのは汚い、でも小悪魔のような女だったという話。
それにしてもマイナーな作品を映画化したと思う。元々変な話なんだから、実写にしたらこうなってしまうよ。
それでも稲垣吾郎と二階堂ふみはがんばっていたと思う。観終わったあとに印象に残っているのは2人のベッドシーンだった。二階堂ふみはもっと違う映画で脱いだほうがよかったんじゃないか。いや、別に選り好みしてるわけではないだろうけど。
あと、どうでもいいことだけど、エンドロールの手塚眞の英語表記がMacoto Tezkaとなっていたのが個人的にはとっても嫌だった。
父の作品に見た真監督の70年代
この映画の評価は難しい。友人はこれは手塚マンガそのものだと言う。我々手塚マンガ世代にとって手塚原作の作品はノスタルジーでありリアルでもある。この未だにリアルである点がこの作品を評価するのをとてもネックになる。しかしこれが手塚作品の単なる礼賛で終わってないのは二階堂へのカメラの執着である。真監督はこの二階堂の中にまさに自らのばるぼらを見た。それ故これは手塚作品でありながら真作品となっている。そしてこの作品は過去の手塚作品ではなく真監督の未来となっている。
全176件中、81~100件目を表示