ブレイブ・ロード 名もなき英雄のレビュー・感想・評価
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スゴく無難で最後だけホロッとくる
他国と合作ではないトルコ単独の映画を観るのは二度目だ。前作はちょっと出来の悪い作品だったけど、今回は無難な出来だったと思う。
実話ベースなのでストーリーに対してあまり難癖をつけたくないし、さすがにエンディングではホロッとくるものもあるし、本当に無難だ。
勇敢で立派に戦うトルコ兵を描写したいトルコの気持ちはわからなくはないが、かなり不必要な部分があったよね。
そのわりにアイラとの関係は「お父さん」とか「家族だ」とか言うだけで、深い絆が結ばれるような描写は少なく、親子のような絆があったようには見えなかった。
つまり、まあ普通に観ていられるのだが、イマイチというか全く気持ちが乗ってこない。
生き別れた“父娘”
朝鮮戦争下でのトルコ国連支援兵と戦災孤児のふれ合いを描く。
トルコと韓国の合作で、実話をもとにしているが、短絡しながらサクサクと進む。すこぶる演出がうまく、絵も明解で人も景色もきれいで、暗くせず明るく描いてある。
映画に先立つ2010年、韓国テレビ放送局MBCにより、孤児の捜索とふたりの再会を描くドキュメンタリーがつくられており、その映画化という位置づけのようだ。
imdb8.3、トマトメーターはなかったがオーディエンススコアは84%だった。
トルコの朝鮮戦争への派兵は、国家戦略的には申請を拒絶されてしまったNATO加盟を目的としたもので、結果的に西側諸国の信頼を得てNATO加盟が認められている。
国家はもくろみがあって事をおこす。親韓だから行ったわけじゃない。
しばしば日本ではエルトゥールル号遭難事件やイラン・イラク戦争時のトルコ航空機による邦人救出などをもってトルコは親日だ──と言われることがある。
しかし親(国)とはなんだろうか。
たとえばこの映画には主人公スレイマン(Çetin Tekindor)たちが休暇中に訪れた(50年代当時の)東京の描写がでてくる。
そこは筒井康隆の色眼鏡の狂詩曲と化した、あるいはカウリスマキの希望のかなたに出てくる和食レストランみたいなヘンな東京であって、それはそれで絵として楽しいが、もしトルコが親日というほどに日本の理解者であるなら、いい加減な描写を避けるのではなかろうか。
カウリスマキにしたって親日じゃなくて小津安二郎が好きなだけだ。そういうことを勘違いしちゃいけない。
そもそも韓流エンタメがヨーロッパを席巻しているからこそ、応答せよ1988(2015)に出ていた子役キム・ソル(アイラ役)がキャスティングされているわけで、親日か親韓かをくらべたらトルコ庶民は親韓ととらえたほうが自然だろう。
というより他国人はたとえば宮崎駿が好きであろうとも、宮崎駿が日本人なのかそれとも他のアジア国の人なのかを頓着していない。たんに宮崎駿がすきってだけだ。
すなわちたんなる“お気持ち”を国家間の「親日であるという希望的観測」に拡大解釈するのはやめろという話。お花畑すぎる。
この地球上に親日の国なんか存在しない。
わたし/あなたが、どこかの国を親しく思っていないのなら、ほかの国の庶民がわれわれを親しく思っていない──という相対的で常識的な判断ができるはずだ。ピザやパスタが好きってレベルの話を親伊へもっていくな。
どこどこの国が親日とかって言うのほんとやめれ、あほすぎるから。ヤフコメ民だけにやらせとけ。
時事として興味深かったのはマリリン・モンローの慰問。モンロー似の女優が慰問時の衣装も再現していた。
当時モンローはジョーディマジオと結婚したばかりで、読売ジャイアンツに招かれた彼に同行し、新婚旅行を兼ねて日本に来ていたという。
『日本滞在中の2月16日(1954年)からの3日間、モンローは朝鮮戦争休戦後も韓国に駐留する国連軍兵士を慰問するUSO(米国慰問協会)主催のショーに参加し、(10ヶ所以上の駐屯地を訪問し)60,000人以上の海兵隊員の前で出演作の劇中歌などを歌った。』
(ウィキペディア、マリリン・モンローより)
モンローは慰問で風邪を引いたそうだ。
この映画は絶滅間近の大和民族に対しての嫌味である。
隣国の朝鮮半島では、こう言った悲劇があったのだろう。その間にまだ復興する暇であった大和民族は何一つ手出しが出来なかった。この映画を見るとそう言っている。
最初にマッカーサーの言葉でそれが分かる。
『トルコ軍はいち早く駆けつけて大きな功績を残してくれた』嫌味にしか聞こえない。
では、トルコ共和国は何故に対応が早かったか。単純である。ソ連とトルコ共和国の国境の問題があったからだ。従って、NATOの顔色を見る必要があったからだ。NATOとは北大西洋条約機構の略語である。でも、トルコはそれに活路を見いだそうとしたわけである。
この後のベトナム戦争にはトルコ軍は参加しなかった。さて、現在のトルコと朝鮮民主主義人民共和国の関係は、そんな事は僕には関係ない。
NATOが北大西洋条約機構である以上、今の所、日本にとっては全く関係ない軍事条約だと事を身にしみて感じるべきである。
この映画を見て、それを感じる事が出来れば幸いである。
そして、もう一つあるとすれば、日米安全保障条約がある以上、日本国はアメリカの戦争に巻き込まれる可能性がどうしてもあると言う事だ。従って、平和憲法との矛盾が生じる。それが今の流れじゃないかなぁ。
『どちらが良いか?』それは国が決める事ではない。日本国が自由と民主主義の国ならば、基本的人権に於いて主権在民が保証されている。これからの人たちの判断しかないのだ。
だから、歴史を学習してもらいたいと思うのだ。
そして、一番大事な事。残念ながら、この戦争がまだ終わっていないと言う事。
だから、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国は休戦しているだけで、70年以上戦争をしていると言う事だ。もうすぐ、大和民族の平均年齢と同じになる。10万円貰って戦争はやめて貰いたいものだ。全く不幸な話である。また、大和民族民族として、それが隣国であり、ロケットの一発だけで、大勢が動かない事も身にしみるべきである。
初めてのトルコ映画鑑賞
いきなりの戦闘シーンというか村全体の虐殺シーン 戦争の醜さ、人間の狂気に圧倒される アイラを見つけてからも幾度か主人公は危ない場面に遭遇するが仲間に助けられ帰国を迎える アイラと一緒に帰ると想ったがまた会いに来ると約束して・・・確かに高齢になった主人公や奥様は若いときの二人を想像しにくかったがラストシーンでそんなことは吹っ飛ぶくらい良いシーンであった ただ、残されたアイラの人生は大変だったろうなと想像するが子供にも恵まれていて主人公もほっとしたのではないだろうか 戦争はあかんと改めて想う これはどんな戦争映画を見た後にでも感じることなのになぜ、戦争は無くならないのか この世に生を受けた人はみんな幸せになって欲しいと想う 戦争が生む悲劇の中にラストシーンで少し希望の灯りがともった気もする もし、自分が主人公の立場だったら同じような行動ができただろうか?怖がりでちっさな人間の私には無理なのは明白 スレイマンを尊敬
トルコ人の実話
朝鮮戦争に出兵したトルコ人🇹🇷の実話。虐殺された村人達の中で生き残った韓国人の少女を帰国までの間、父親替わりに育てたスレイマン。名前もアイラと名付けて可愛がり、駐屯地のみんなにもいつの間にか癒しの存在として可愛がられる。帰国の機会があっても離れ難くなった為に残ることを決めてしまう。トルコには恋人が待っているのにそれはないだろう😒そりゃあ帰ったら別の男と結婚してても仕方ないでしょ〜。
アイラを施設に預けてトルコに帰ったスレイマンは別の女性と結婚。理解のある優しい女性で、施設に預けたものの行方が分からなくなったアイラを一緒に探してくれた。でも結局見つからず、、、いきなりの47年後。
47年後のスレイマンと奥さんにちょっと驚いた😳あまりにも別人すぎる💦確かに47年は長いけど、あんなには変わらない。もう少し似た俳優はいなかったのか。ここで少し興醒め😔
その後韓国のテレビ局の強力でアイラは見つかり、2010年に再会。最後のエンドロールで実際の再会シーンが流れてその時には興醒めは挽回、再会までに60年近く、、、ホントに会えて良かったと感動😊
【60年の時と国境を越えて。朝鮮戦争時に出会った”父娘”の数奇な人生を描く。人の善性を描いた作品でもある。】
最初に、
今作は、60年間のトルコ軍兵士スレイマンの人生を僅か124分で描いているので、所々、ストーリーは粗い。
だが、ラストのシーンを観れば、この作品を製作した意義が分かる。
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冒頭は、1950年6月 韓国のどこかの村。少女ソラは両親と暮らしているシーンから始まる。が、朝鮮戦争勃発で、北朝鮮軍の猛烈な爆撃が始まる。
舞台は、いきなりトルコのイスケンデルンに移る。そこには、スレイマンや同僚のアリ(二人ともトルコ軍兵士ということが、この後分かる)の姿。
スレイマンとヌーランが良き中であることが描かれる。
だが、朝鮮戦争勃発により、彼らは朝鮮半島へ・・。
苛烈な戦闘の中、スレイマンは虐殺された人々の中で、余りの衝撃で声が出なくなっているソラを見つける。
家族から離れて戦うトルコ軍兵士達は少女を可愛がる。特に最初に少女にミルクを飲ませたスレイマンに懐くソラ。
トルコ軍兵士達はソラの名前が分からず、”アイラ”と名付ける。そして、彼女にトルコ語を教え始める。
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■劇中、挿入される”印象的な”シーン
・トルコ軍兵士慰問にマリリン・モンローが来るシーンや、(そして、彼女の熱烈なファンであるアリの哀しき姿)
・トルコ軍たちが、”東京”(うわわ・・・、所謂、海外から見た日本ね・・。登場する小道具、寿司など”面白く”観賞。)に来て、疲れを癒すシーン。(休暇だよね・・何も説明がないけれど・・)
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アイラを我が娘のように、可愛がっているスレイマンは帰国を伸ばす。故国でスレイマンの帰国を待つヌーランは”韓国でも聞けるラジオに”ある曲”をリクエストする・・。
が、とうとうスレイマンに帰国指示が出て、彼はアイラをアンカラの学校(戦争孤児収容の学校と思われる。)に預けるが、アイラは彼を涙ながらに”パパ”と呼び、石畳の道を追いかけて来るが・・
スレイマンは1951年に帰国するが、ヌーランには既に婚約者がいた・・。
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時は、一気に1999年、トルコ北西部地震の場面に飛ぶ。
更に2002年 トルコで開催されたワールドカップの場面。(トルコが3
位になった大会でもある。)
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スレイマンとアイラの話を聞きつけたトルコのメディアが、アイラの消息を調査しはじめ・・。
そして、2010年のソウルで起こった事。
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<冒頭にも記載したが、ストーリー展開はやや粗い。だが、前半の朝鮮戦争の迫力あるシーンや
後半の徐々に高まる期待感、そしてあのラスト。更にあのラスト。沁みてしまいました・・。>
<トルコと日本との関係は「海難1890」(良作です。)で知っていたが、朝鮮戦争にトルコがアメリカ側の支援国として参戦していた事を描いた映画は初鑑賞であった。人間の善性を描いた作品でもある。>
それは秘密です!!韓国版
朝鮮戦争に参戦したトルコ人兵士が虐殺された民間人の死体の傍らで少女を見つけて保護し共に過ごした事実に基づく話。
トルコ映画ね…
丁寧に描きたいが故かシーンが多く、そのくせ一つ一つのシーンがショボいというか雑というか演出が古臭くチープな感じ。
チョロっと出てくる東京も中国かなんかのトンキンという町ですか?というのは洋画あるあるで仕方ないけどw
確かに優しいし主人公の行いは素晴らしいのかも知れないが、ちょっとムキになり過ぎだったり自分勝手なところが目についたりして感情移入はし難…かったんだけれど、最後はちゃんと胸熱で、この手の作品は終わりよければ全て良しということで。
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