記者たち 衝撃と畏怖の真実のレビュー・感想・評価
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傑作!
単細胞の極み作戦と名付けても良かった。
真実は小説より奇なり
ド直球社会派ドラマ
踏み込みがいまひとつ
スターティングロールの最初に字幕監修が池上彰とあったが、池上さんはタイ料理にあまり詳しくないのか、情報提供者がトミー・リー・ジョーンズにパッタイが好きと言ったのを、タイ料理が好きという字幕にしてしまった。パッタイはタイ料理の焼きそばで、風味や味付け、麺の質などが中華の焼きそばとかなり異なる。たかが料理の話と言うなかれ。例えば外国人が日本料理が好きと言うのと、茶碗蒸しが好きと言うのとでは、かなりニュアンスが異なる。茶碗蒸しが好きと言われれば、その人は日本料理についてそれなりの造詣があるかもしれないと思うだろう。それに料理の名前を上げることで、その人は物事に対して具体的で正確な捉え方をする人だというイメージを作ることができる。映画の製作者は言葉にとても敏感だ。何故タイ料理ではなくパッタイなのか、きちんと考えて字幕にしてほしかった。万が一映画ファンはパッタイを知らないだろうという理由でタイ料理にしたとすれば、それは映画ファンを侮っている。
字幕についてはもうひとつ、パトリオティズムとナショナリズムを、愛国心と愛国主義という字幕にしてしまっていたが、これも愛国主義と国家主義と、正しい字幕にするべきだ。アメリカでは愛国者であることは社会人としての必須条件で、自分は愛国者ではないと言うと村八分の対象となる。しかしアメリカの愛国心は、ともすればトランプのようなアメリカ第一主義に陥りがちであり、ブッシュ政権のイラク侵攻を支持したのも同じである。それでミラ・ジョボビッチはそういうのをパトリオティズムではなくてナショナリズムだと言った訳だが、愛国心そのものを否定できないアメリカならではの表現である。
ハリウッドのB級大作の多くは、敵を探しだしてやっつける英雄が主役である。英雄はピンチに陥るが、最後は勝利する。予定調和の決まりきったハッピーエンドが喜ばれ続けるのは、観客の愛国心をくすぐるからである。民衆が共同体に精神的に依存している限りは、愛国心が善とされ続けるだろう。
本作品の記者たちは、他の多くのメディアが政府の広報と堕す中で唯一、イラクにWMD(大量破壊兵器)がないことを主張する。その主張が正しく、ブッシュや小泉純一郎が間違っていたことは既に歴史が証明している。ブッシュを選び、トランプを選んだのはアメリカの有権者たちであり、愛国者たちである。愛国心がどれほど人の判断力を鈍らせるものか、記者たちには解っている筈だ。しかしそれでも愛国者であることをやめようとしないところに、アメリカという国が抱える問題の本質がある。そこまで踏み込んでほしかった。
人間が共同体の呪縛から逃れ、寛容で平等な視点を獲得するまでには、まだまだ沢山の血が流れるだろう。その総量が人類のすべての血の総量に等しくならない保証はない。アメリカはこれからも、国内では銃の乱射事件を起こし、他国に向けては脅迫と恐喝を繰り返し、時には膨大な数の生命を奪い去るだろう。
話せばわかるのは個人同士の関係で、共同体への帰属意識が絡むと、問題は絶対に解決には至らない。祖国や故郷といった言葉に感動しているうちは、人は優しさを会得することはないのだ。
発見された大量破壊兵器、0個。
愚直に真実のみを追い続ける姿
イラク戦争において、ブッシュ政権の嘘を次々と暴き、イラクに大量破壊兵器がないことを主張し続けた「ナイト・リッダー紙」の記者たちの姿を描いた作品。
911の報復として行われた戦争だが、ラムズフェルドを筆頭に中東の石油利権や軍需産業と結びつきの強い政治家や役人が、「イラクを潰すありき」で結論を先に用意して、戦争を正当化させるための「諜報活動でやってはいけない嘘」ばかりに包まれた姿を、政権の外側から見ていく。
この戦争に絡んだブッシュの発言は完全に嘘で、911直後に「最も支持率を得た大統領」となり、その後「最も支持率が低い大統領」となって、任期満了をもって逃げるように退陣したわけですが……
「売れるために、政府発表の戦意高揚記事」ばかり載せていた、ニューヨークタイムスやワシントンポストの姿もあらわに。
「何が真実なのか?」という疑問を捨てずに取材を続けたために、「ナイト・リッダー紙」の記者たちは世間から孤立していく。
『大統領の陰謀』の時代から時は流れ、タイムスもポストも堕ちたものだと嘆きつつ。
『大統領の陰謀』におけるニクソンのように、記者たちの記事が大統領を辞任させるような展開ではなく、「正しいことを載せてもあまり新聞は売れず、世の中は変わらない」し、「世の中は政府の公式発表を無条件で信じる」傾向だと映し、「のちに正しかったと証明された」だけのモヤモヤしたところで終わるので、映画としては落とし所に物足りなさもありました。
政権の広報になったような「報道のあり方」の過ちを、アメリカはもとより、日本のテレビ局や新聞社にも、本作から学んでほしいですね。
地味なドラマですが『バイス』の前に観ておきたい良作
9.11テロ後様々な情報が駆け巡るアメリカ国内。テロの背後にいるのはサダム・フセインではないかとの政府筋の憶測が流れてくる。原理主義者のビン・ラディンがイラクと手を組むわけがないと訝しむのは地方の新聞社を束ねるナイト・リッダー社の記者達。編集長ウォルコットの指揮下でランデーとストロベルは地道な取材に奔走するもイラクのテロ関与のエビデンスが見つからない。一方の米国政府はイラク糾弾の論調を強めていき大手メディアもそれに同調、報道は世論を誘導しイラク侵攻の気運が高まっていく中でナイト・リッダー社は傘下の新聞社にも愛想を尽かされ孤立していく。
昨年『ペンタゴン・ペーパーズ』の前に『ザ・シークレット・マン』があったように、今年は『バイス』の前にこれがある、たまたまなんでしょうがなかなか面白い公開順序。扱っているテーマもそうですが筋立てもよく似ていて、『バイス』ではチェイニーの半生と普通のオッサンの半生を並行して描写していましたが、こちらでランデーとストロベルの取材活動と若いバーテンダーの半生の平行描写。前者は爆笑オチまでの長い前フリでしたが後者は9.11テロ後に起こった別の悲劇を淡々と綴るドラマ、全く異なるものですがなかなか興味深いものがありました。正直『バイス』ほどのインパクトがない地味な作品ですが、監督でありウォルコットも演じているロブ・ライナーの主張が色濃く滲んでいて、信じることの恐ろしさ、エビデンスにブチ当たるまでとことん疑いあくまでも真実を追求することの大切さを丁寧に描写しています。
ウディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデン、トミー・リー・ジョーンズと渋い男性陣、一瞬誰だか判らないくらいに普通の女性を演じていたミラ・ジョボヴィッチも素晴らしかったですが、多分10年ぶりくらいにスクリーンで観たジェシカ・ビールが美しかったです。ということで『バイス』を観る前にこちらも観ておくとかなり楽しめると思います。
ジャーナリズムとは
イラク戦争におけるアメリカのイラクに対する戦略名「Shock and Awe」=衝撃と畏怖に繋がる大量破壊兵器の所有等の情報の真実を調べた記者達の実際の話。
少なくとも、湾岸戦争、イラクが国連による査察を拒否し大量破壊兵器を持っていると疑われていたこと、9.11アメリカ同時多発テロ、イラク戦争の流れを知っていないと難しいと思われる。
政府が悪いのか、官僚がわるいのか、売れるニュースを流すマスコミが悪いのか、何も疑わず受け入れる市民が悪いのか。
自分も当時疑いを持っていなかったし、クェート侵攻から査察を拒むまでのフセイン政権のイラクは今でも正しいとは思わないけれど、大量破壊兵器がみつからなかったというニュースは記憶に残っているし、あらためてというか再びというか色々と考えさせられた。
ただ、映画とし考えた時にエンタメとしての面白さは…。
ラストのTVキャスターの発言はメディアとしてあるまじき逃げだよね。
マスメディアの敗北
3つ思い浮かびました
これもアメリカらしい
僕がジェニファー・ロペスと寝る確率は・・・
『ペンタゴン・ペーパーズ』をまだ見てないことに気づいてしまいましたが、その頃はNYタイムズも頑張っていたのですね。今作では大手新聞社に記事を売るナイト・リッダー社の記者、ジョナサン・ランデーとウォーレン・ストロベルの二人がジャーナリスト魂を顕にして、大手が報道せずに政府発表をそのまま記事にしたことを批判的に描いていた。ブッシュ、チェイニー、ラムズフェルド、ライス、そして平和の砦とまで言われたパウエルの実際のニュース映像を見事にミックスして、どちらかと言えばエンタメ性もたっぷり見せていた。また、車いすの元兵士を扱ってることもストーリーの良いスパイスになっている。
上映時間が91分と、社会派映画としてはとても短く、娯楽作品でしか見たことのないミラ・ジョボビッチやジェシカ・ビールを重要な役柄で配していることも馴染みやすく鑑賞しやすい作品になっていたのではないでしょうか。しかし、中味はたっぷり皮肉を込めた社会派作品。これもロブ・ライナーの手腕です。
9.11後のアメリカはテロの首謀者ビンラディンを捕まえることに躍起になってたのだが、いつの間にかイラクが大量破壊兵器を保持して、テロ組織と繋がりがあるとして、イラク戦争に突入していったのだ。2004年にはマイケル・ムーア監督の『華氏911』といった映画でも批判対象となっていたが、今回の『記者たち』と『バイス』によって、さらに大量破壊兵器の証拠がないことを明らかに出来ているはずだ。2010年の『グリーン・ゾーン』は残念ながら映画として失敗だったが・・・。
今作品では、ブッシュとチェイニーの嘘つき政権が行った行為のみならず、その政府見解を鵜呑みにして垂れ流し、御用新聞と成り下がってしまった大手新聞社を痛烈に批判していることだろう。ある意味、報道の意味まで問うているのだ。さらに言えば、過去のこととして笑って済ませる問題でもなく、現在の日本でも「忖度」が流行り、報道機関でさえも政権への批判精神を無くしつつあることも考えなければならない。スガ官房某が政府見解を発表すれば、そのまま新聞の記事になる・・・。報道の自由は憲法で保障されているはずなのに、取材する記者の発言は無視されたり、ディスられたりするなんてことが平気で行われている事実。国民の知る権利なんてのも蔑ろにされつつある現代への警鐘でもあるのだ。最近は新聞やTVのニュースなんかより、映画のほうがよっぽど信頼できるってのも狂ってる・・・。
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