「功名心」記者たち 衝撃と畏怖の真実 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
功名心
まさに映画『バイス』の対になるような作品である。権力側とメディア側、その双方をこうして映画作品として制作することが出来るアメリカの深さと強さに今更ながら畏敬の念を禁じ得ない。そしてそれ以上に驚愕するのが国民のそのパワーとタフネスぶりである。ネットで調べるとどうもそのルーツは北アイルランドから入植した「スコッチ=アイリッシュ」の人達らしい。どうもこの移民の人達の気性の荒さがアメリカと言う国の“攻撃性”を担っているのではないのだろうかと感じたりもする。2人の記者のあの首の太さ、胸板の厚さがそもそもアジア人には無い体躯の特徴を表わしているので、その上でのブルドーザーのような仕事振りは唯々羨望の眼差しである。
作品のテーマそのものはデビューに於いてもう語り尽くされて、もう何も提示は出来ないが、それでも今作品に於いての裏と言っても良い、“正義に隠された功名心”という得体の知れない業みたいなものを感じるのは自分だけだろうか。自分達がそれぞれ錦の御旗を立てて相手を攻撃する。正に“正義は我にあり”だ。決して記者達も政府の嘘を曝くというジャーナリズムだけではない。そこには自分の価値を試したい、もっと言うと自分の力を誇示し称賛を浴びたい、という狂酔を得たい麻薬物質に取憑かれてしまっているのである。一方政府側もネオコンの考える自国の安定した優位性、もっと言えば民主的な帝国主義という矛盾に満ちた体制を現実化するための布石をこのイラク戦争で試すことで、自分達の功名心を勝ち得たい心は同一と言って良い。その功名心のためならば幾ら人が苦しもうが自分達には関係がないのである。いつまでたっても人間の愚かさ、浅はかさが抜け出せず、いつの時代も愚かさを撒き散らしながら、ベトナム戦争と同じ事を繰り返す。それは持って産まれた才能、そしてその才能の一部である不断の努力という、与えられた能力は自分達の自由に使って何が悪い?と堂々と開き直った“恥ずかしい”行為そのものだということを多分、人類は理解出来ないのだろう。
そんな今作品の憂鬱さが心を押しつぶそうとする中に於いて、唯一救われたのが、記者の奥さん役のミラ・ジョボビッチである。“バイオハザード”でのアクションばかりが目につくが、こういう役柄に於いてのセクシーさと、しかし元ユーゴスラビアという地域の特殊性を背景とした気骨さと思慮深さを演じた彼女の役回りはこれ以上ない、正にフィクションとしてのリアリティ溢れる演技と存在感を発揮した俳優であった。肝っ玉母ちゃんであり、闘う旦那を助け奮い立たせる妻であり、決して時の政府に媚びない腹の据わった一人の人間としての強さとしたたかさを、決して脇役に治まらない役として彼女の輝きは目映い程であったし、それを演出した監督のアイデアを称賛したい。ステレオタイプとは思うが、愚かな男と聡明な女、この構図は世の常である。
無知蒙昧な国民を代表した若い黒人、そしてアフガニスタンの場所が分らないことと同じようにベトナムの場所が分らなかった父親は息子に返す言葉も持たない。そして鑑賞している自分も又、安易なカタルシスを得ようとして肩透かしを喰らい、作品の評価を決めつけてしまう厚顔無恥さ。今作品を囲むその全てが分っているようで全然分っていない事だけはハッキリしている。