惡の華のレビュー・感想・評価
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漫画を読んでいたので、気になって。
読んだのはだいぶ昔だったので話の筋はうろ覚えでしたが…宣伝時はキャスティングどうなのかな?と思っていたものの、見てみると結構合っていたように思いました。玉城ティナが可愛すぎたけど笑 思春期に、誰にも出せないモヤモヤ、ドロドロを拗らせた経験がある人は、痛みを抱えながら見てしまうのではないでしょうか。わかりたくないけど、わかってしまう…あのときのぐちゃぐちゃが振り切ったらこうなってたんかと。でも、時々どこか冷めた気持ちになってしまって、もう少し若い時に見れたら良かったなと思いました。あと、時間が足りなかったのだと思いますが、ときわさんと精神的につながっていく過程がもう少し丁寧に書かれていたらなーと。最後らへん、ちょっと唐突感があってついていけなかったです。
私と契約して、向こう側に連れてってよ!
ジャンル的には“青春ドラマ”となっているんだけど、果たしてこれを青春ドラマと呼んでいいのだろうか。
一応確かに青春ドラマではあるんだけど、かなりア・ブ・ナ・イ、ダークな青春ドラマ。
なかなかに理解や共感し難く、もし青春時代に見ていたら、それこそ衝撃や価値観変わるような…。
周りを山に囲まれた寂れた田舎町。こんな町でずっと暮らし続けるのは地獄。そんな息の詰まる日々を送る中学生の春日。
これが秀才だったら周囲を見下す考えも分からんではないが、はっきり言ってそれほど優秀ではない。内向的で、平凡以下。
唯一の心の拠り所は、ボードレールの詩集『惡の華』とクラスのマドンナ、佐伯。
教室に忘れた本を取りに戻ったある日の放課後、偶然落ちた佐伯の体操着を盗んでしまう。
心底後悔するが、さらにそれを見られてしまう。絶対に見られたくない相手に…。
クラスの問題女子、仲村。
クラスの誰とも関わらず、先生にも暴言。「うっせー、クソムシ」。
弱みを握られた春日は、仲村から変態的行為を強要される契約を結ぶ事に…。
「変態としての作文を書け」
「盗んだ体操着を着て佐伯さんとデートしろ」
「初デートで初キスしろ」
仲村さん、お、お戯れを…!
服を脱がせて春日に佐伯の体操着を着させる。
何かのプレイのように上に乗っ掛かり、殴ったり、突き飛ばしたり…。
それらだけでも生き地獄だが、さらに過激で卑猥なのが台詞。
「ド変態」「クソムシ」は普通。
「グッチョグチョ」「ビッチョビチョ」「ドッロドロ」
「カス」「ゴミ」「クズ」「セックス」「ムズムズ」
「身体の下の方の中の方が…」「パッツンパッツンに膨れ上がってる」
…などなどなど。
変態さん、いらっしゃ~い!
キラッキラ青春のリアリティー0のファンタジー胸キュンラブストーリーもある意味地獄だが、それとこれと果たしてどっちがマシなのだろう…?
本気で考え込んでしまう。
伊藤健太郎のヘタレっぷりや変態怪演も天晴れだが、やはり玉城ティナ。
『Diner/ダイナー』ではMだったが、こちらでは「春日く~ん」と可愛い顔してドSの女王様!
突然現れたり、冷笑を浮かべたり、見下したり、もはや戦慄級。
ひょっとしたら世の中には、彼女の下僕になりたい男性諸君は少なくないのでは…?
二人の怪演には文句は無い。強いて言えば、全く中学生に見えない事…。幾ら何でも無理が…。
(それにしても、過激で卑猥な台詞を言いまくる玉城も強烈だが、幾ら原作があるとは言え、胸に響く青春アニメ映画を数多く手掛けてきた岡田磨里が脚本というのも個人的に驚き…!)
黒板に自らの行いを書き殴り、教室中を墨汁で撒き散らす。
理性の崩壊、思春期の危うい衝動、えぐり出される暗黒面…。
ひょんな事から佐伯と付き合う事になるが、真っ白だった彼女もやがて黒く染まっていく。秋田汐梨も印象的。
が、春日の空っぽである自分の告白から関係が…。
そんな時春日が思い悩んだのは、佐伯ではなく、仲村。
ある時彼女の家を訪ね、彼女のノートを見てしまう。
仲村も自分だったのだ。…いや、自分なんかよりずっとずっと、生きづらさを抱え込んでいた。
そんな彼女を自分は、“向こう側”に連れて行けなかった。こんなウ○コまみれのゴミ溜めのようなこの町から抜け出す“向こう側”へ。
再契約。そして夏祭りの夜、ある事件を起こす…。
本筋は中学時代だが、引っ越した後の高校時代も挿入。
本が切っ掛けで、春日はまたしてもクラスのマドンナ的の常磐といい仲に。
彼女が密かに書いている小説の主人公が、まるで自分なのだ。
あれから仲村とも佐伯とも会っていなかったが、偶然佐伯と再会。辛辣な言葉を投げ掛けられるが、彼女から仲村の居場所を教えられ、会いに行く事を決める。
仲村や過去ともう一度きちんと向き合い、逃げず、常磐と生きていく為に。
元々原作の大ファンだったという井口昇監督。
怪作カルト作多く、本作も一見そう見えて、ただのそうではない。
開幕、辛辣な言葉で始まるが、監督自身もそんな悶々とした青春時代を送っていたのではなかろうか。
そんな時出会った、この原作。
自分自身に重ね合わせた負の部分だけではなく、ラスト、見出だした“向こう側”に、井口監督の温かく優しい眼差しを見た。
春日にとっての仲村もそうではなかろうか。
ドSの女王様と思いきや、自分を“向こう側”に導いてくれた“ミューズ”。
意外と奥が深い話だった
自分は他人とは違うと思っていた春日。
彼のある秘密を握った仲村。
仲村に脅されて無茶なことをやらされる春日。
しかし、春日は仲村と関わっていくうちに彼女が望むことをやっていきたいと思っていくようになった。
仲村の望みは、向こう側にいくことだった。
春日の協力して向こう側にいこうとしたが、その望みは叶わなかった。
春日は、それからも仲村のことが気になり、過去から逃げないためにも彼女に会いにいた。
そして、春日は自分で自分の答えを見つけたという内容だった・
見方によっては、仲村は自分の信のようなものがあるような強い人にも、世界はあのちっぽけな街にしかないと思っている弱い人にもみえました。
結局のところ、人はからっぽのような気がします。
からっぽだけどなんとか生きている人が多いのではないかなと思います。
玉城ティナさんの演技がすごい。「ダイナー」を見た後なので余計に思った。
キャラが変わりすぎていて、驚いた。
おじさんも見に行っていいのかな?
このような中高生が主人公の映画に、私のようなおじさんが見に行ってもいいのかのと最初は気が引けたが、劇場に行ってみるとおじさんやおばさんが結構いたので一安心だった。あとでよく考えてみたら、平日昼間だったので中高生がいる訳なかった。
それはともかく、玉城ティナの魅力に圧倒された映画だった。
冒頭、この町の看板はどれもみな錆びていると言う主人公のナレーションがあるが、そこは私の生まれ育った町だ。「そうかもしれないが、もちろん最初は錆びてなんかいなかったんだよ」と、原作者の押見修造に言いたい。
玉城ティナは、この映画のように眼鏡をかけたほうが一層きれいだと思った。
自分が中学生の頃に戻れて、自分の後の席に玉城ティナみたいな女生徒がいたら、ドキドキして勉強なんか手につかないだろうな。
ストーリーとしては、はっきり言ってよくわからなかった。また、彼女を含め他の出演者も、絶叫型のセリフが多く、やや引いてしまったシーンが多かった。
演出について不満な点が1つ。中学生から始まり、高校生に移って、また中学生に戻り、最後は高校生で終わる時系列であったが、時系列を戻さなくてもよかったのではないか。特に、高校生になった主人公が佐伯さんと再会して、あれ以来主人公が仲村さんと会っていないという会話があった。そのあと中学生に戻って、八木節の夏祭りでガソリンをかぶって心中(自殺)しようするシーンになる。クライマックスだったのに、自殺は未遂になることが先ほどの会話でわかってしまい、言わばネタバレを教えられたことになってしまったので、ドキドキ感が半減させられた感じだ。
あと、「クソ」という言葉を何十回も聞かされるのは、私のようなおじさんにとっては気分のいいものではない。
悪くはないが、見る人を選ぶ…かも
原作のマンガは連載当時にほぼリアルタイムで読了。ボードレールの方はもちろん未読ww
原作がインパクトがあるシーンが多いので映像化そのものは難しくないと思っていたけど、実際に実写化されたものを見ると「痛い」部分がやはり目立つのはやむ得ないところか。
何しろ主人公3人が、少し病んでる本にしか興味を示さない内向的な少年と、倫理観が欠落した破壊衝動を内包した厨二病の少女と、世間知らずの優等生だが精神的に不安定な少女だから、その「痛さ」は「違和感」となって、ダイレクトに観客に伝わってくる。それに耐えられるかどうかが、この映画への評価になるんじゃないかな。
見る前から「原作のどこまでを映画では使うのか」と考えていたら、まさか最後までとは思わなかった。その割には上手い端折り方だったとは思う。
どうせならあと1時間くらい延ばして3時間くらいの長尺にすれば、もっと分かりやすくなったかも。
いいとこもわるいとこもあった
原作かなり読み込んでて思い入れの強い作品です。あえて初日には行きたくなかったくらい笑。
自分の中で確固たるイメージがあったせいか、また、原作覚え過ぎてて変えてるところが気になり過ぎたせいか、あまり楽しめなかった…。
(いいところ)
・祭りのシーンが印象的だった。思春期の強烈な思い出、記憶という感じ。映像としてかっこよかった。
・キレてるときの仲村さんの演技がよかった。
(許せないところ)
・教室のシーンで仲村さんが眼鏡をかけるタイミングがおかしかった!
原作だと、仲村さんはがっかりして眼鏡をかけて=心を閉ざしてさようならしたところを春日が引き止めてそのままあのシーンになる。けれど、映画だと、さようならしてから春日くんが引き止めて、もっと!ってなってるのに眼鏡かける。その流れだったら心情的にむしろ眼鏡かけなくていいんじゃない? ここでわざわざかけるのに違和感。原作を読む限りでは眼鏡がないときの方が仲村さんの心が解放されているのだと思っていたのだけど、それは漫画的記号表現だから実写映画ではなしってことなのかな。もやもやした。
(仕方ないところ)
・桐生市舞台じゃないんかーい。ひかり市? で、祭りのとき「お隣桐生市のみなさんでしたー」ってなってた。大人の事情なの?笑
・そもそも原作で写真を背景にしてて(特に前半。高校生編くらいから手書きが多くなる)、漫画の場所が実際に桐生市にあるから(なくなった場所もあるけど)、既視感のある場所がたくさんでてくるんだろうなー(桐生市行ったことある)と思ってたらそんなになかった。
・だって原作に完全に忠実につくられてたアニメは全部桐生市だったからさ…。
(大概尺が足りないせい)
・仲村さんがただのイカれた女の子から魅力的な大事な存在に変化する過程が描ききれてなかった。女優の美しさで飛び道具的に春日の恋心を成立させてるみたいだけど、私には合わなかったかな。
原作読んでない人に勘違いしてほしくないのだけど、春日くんが仲村さんを好きになったのは容姿や仕草の可愛さからだけではないと思うんだ。(いや、仲村さんは可愛いんだけど、仲村さんの魅力は外見の可愛さだけではない)(外見だけなら佐伯さんでもよくない?)(関係ないけどアニメの仲村さんも可愛いと思ってます)
仲村さんが抱える孤独へのシンパシーとか、彼女の純粋さ、弱さとか、お互いとしか理解し合えないであろうという共依存とか、そういうの? せわしなくシーンが流れていくから、ひとつひとつのシーンだけ観るといいんだけど…。気持ちの流れがぶつ切り。
・自分が好きなマイナーシーンが端折られてるのは、仕方ないので諦め。そういうもんだよね…。亜衣ちゃんとか…だんだん早足になる仲村さんとか…わかってたよ…。
・まあ全部丁寧にやったらアニメくらいの進行スピードになるもんね。前半の端折りっぷりに笑いそうになった。
(春日くんが作った映画)
・仲村さんを神々しい存在として神格化してる派の人が作ったんだと思う。私は、そうは言っても仲村さんも普通の女の子で、だからこそ愛おしい派なので…。あんまり仲村さんに人間味を感じられなくて作り物みたいだと思ってひいてみてた。なんか気持ち悪い。
・仲村さん神格派は大喜びなんだろうな…って、そんな派閥は私が勝手に言ってるだけで無いんだけど。
・自分とは解釈違うけど、どっちも正しいんだよな。仲村さんはこうなんだ!って、理解しているようで本当には理解できてなくて、それが春日くん的で作り方としては正解なんだと思う。私も含めて誰も仲村さんのことは理解できてないけど理解した気になってるだけだよ。
(最後のあれ)
完全なる蛇足。それより大学生や社会人になったみんなをみたかったな。夢でみたやつ。
漠然とした行き止まり
原作未読
玉城ティナちゃん注目で観に行きました
どちらかと言うと演劇テイストな引っ張り方で、やはりこの映画は全体的に詩の朗読を思わせる
春日の父親を仲村さんがバットで叩いて転がし、手を差し出して春日をお祭りに連れ出し、その観衆の中で2人で焼身自殺する…と思いきや仲村さんが春日を突き飛ばす
しかも彼女一人での焼身自殺も失敗する
これは手段としての結末(死)だから、制止した父親の腕に噛み付くとか自らの舌を噛み切るとかはしない
でもこれに共感できる人がどれだけいるのだろう
肥大した自意識と、使い道がわからない持て余した青春エネルギー
物心ついて"この人生がたいそう退屈である" と早々に気付いたらそれは不幸だなあとは思うけど、それに絶望を感じるのは人間の特権ですからね
とにかく冗長
人物の人間関係が限られてるので話の広がりようがないしそういう話じゃないのもわかる
ただ演技力を必要とされる中で、玉城ティナちゃんの演技をどう評価するか
そもそも中学生に見えない
これは批判というよりかは、見えないものは見えない
映画の雰囲気や展開の運びは良かったけど、主人公が「状況に流されての変態プレイを享受をしていたのか」「本当に変態願望があって渡りに船的な口実をもってして脅迫を甘受していたのか」は明確にしてほしかった
仲村さんにしても他者の心を弄ぶ一方で自身が生きている事に苦悩しているのなら、単に屈折した暇人でしかないし、取り敢えず中学校には通っていた時点でなんとなく察する
最後、バックベアード様的な目玉が出てきて体育座りしてる女の子の元を去る仲村さん…のシーンは唐突で正直わかりませんでした(知りたい)
ただこの目玉に関してはもっとリアルに描写してほしかった。こういうとこでCG使ってそれがチープに感じたら全部台無しになるので
数年後、佐伯さんが春日に仲村さんの事を教えた(唐突)のは、何故それを知ってたか含めて分かりませんでしたが、仲村さんのアフターはある程度以上のおばさんになった時代を描いてくれないと着地点としては弱い
普通の人になったのか、ならずに世間で言う狂人枠で生きてるのか、この手の話でそれ見れなかったらもやもやするじゃない
数年後ではそんなに大きな変化なんてないだろうし、いっそ完全に普通の人になってて春日の気持ちを置き去りにするオチがよかったかな^^;
改めて佐伯さんが好き!!
原作より主人公は体格が良すぎますし、玉城さんだと仲村さん役は美人過ぎますが、特に玉城さんの演技が良くて楽しめました。原作では佐伯さんが狂っていく描写が気の毒で忘れられないキャラクターになりましたが、実写版では女として負ける訳にはいかないという逆に仕掛けてくる佐伯さんを観る事ができ(あくまでも私個人の印象で、内容自体は原作と変わっていませんが、漫画の佐伯さんは最早目がイッてて、実写の佐伯さんは冷静に判断した結果という感じでした)、自分の中の長年の佐伯さん像を塗り替える事ができました。「私の事が好きで、した事だから…」という台詞は改めて萌えました。常盤さんのパートは端折りすぎて魅力が伝わりませんでしたし、もう仲村さんの事は忘れて常盤さんと幸せになれよという気持ちにならなかったので、溶け込ませる尺が足りないように感じました。期待以上の出来でしたし、押見漫画の特徴で主人公はモブですが、ヒロインが三人とも可愛かったので、劇場で観る事ができて良かったです。監督が井口監督で意外性かありました。
わからないこともあるが…
後味が、よかったのは、何故か?
日常の私からすると、公共の物を訳もなく壊したり汚したりするのは、嫌悪感を覚える行為なのだが…
何故だろう、最初こそ、そんなことをして!と嫌悪感を感じたが、2人のイキイキとした表情を見るにつけ、ラグビーの試合で、アドレナリンが出まくって、ノリに乗っている選手達を見てるような、爽やかさを感じてしまった!私、大丈夫か!
また、2人が、ダンボールハウスで、人のパンツ飾った、その下で、よからぬ絵(多分)を無邪気に描いているところも、かわいい!とワクワクして観ていた!大丈夫か?
いけないことなのに…、楽しい
あんなに楽しかったはずなのに、二人は焼身自殺?を企て実行に移してしまうのは、なぜ???
肝心なところがわからない、原作を読むべきか、もう一度映画を見直すべきか…
思春期のリビドー丸出し
今日から俺はでドS(?)役を演じた伊藤健太郎とDinerでドMを演じた玉城ティナが逆転すると思ったので、見ました(笑)
ほとんど、ストーリーは知らなかったのですが、予告編の罵声の数々で、これは絶対と思ってわくわくしていきました。
中学生から高校生にかけての正に青春期に渦巻く数々の煩悩や欲望、プライドや世間体など、その人々の想いが上手く描かれていて、理性と言う名のガマンに耐えている“普通の人”の様子と、そのリビドーを解放しまくる玉城ティナ扮する仲村佐和がかなり濃く描かれていました。
仲村佐和と春日高男の劣等感の塊が引き合うのかと思えば、実は完璧であるマドンナの佐伯奈々子も常に明るいマドンナの常盤文も劣等感の塊があって、結局四人はそこに通じ合うものなのかもしれませんね。
青春をやり直せるなら、仲村佐和みたいな子に会ってみたい気がしますが、、、ダメだ。俺はチキンだから(笑)体操着は盗めない(笑)
色々考えさせられますが、みてよかったと思える作品でした。
ただ、中学生に携帯を持たせるなら学校に持って行ってはダメだぞ(笑)
あと、春日高男のお母さん、墨で汚れたスウェットは見つけるのに、ボタンのひきちぎられたシャツは見つけられないのですか?(笑)三枚くらい捨ててると思いますが(笑)
優れた習作
作り手にものすごく言いたいことがあるんだなというのは解るんだけど、それが何かは解らないの。
もちろん観る側の感性が合わないせいもあるけど、作り手側の責任もあると思う。
何か一つ突き抜けて「あ、そういうことか」と、感性が合わなくても解る作品が観たい。
玉城ティナの演技いいのね。これ系の役をやってくれる美形女優はいないから、いいよね。でも狂気は宿ってない。ミニスカートで教室で狂ったように墨汁まきながら、パンチラはしないの。そんな狂い方あるかな。
伊藤健太郎はかなりうまい。玉城ティナの演技を受けながら、存在感を出してくるのが凄い。
井口監督は、演出がところどころそれっぽいんだけど、《少女ピカレスク》のようなムチャクチャさがなかった。メジャー作品で色々と考慮することが多いと難しいのかな。
何か凄く言いたいことがあって「よっしゃ、メジャー作品でやってやろう」と決意の作品ではあると思うんだけど、もう一つ伝わってこない。「この作品をやって、色々なことが解って、それが《……》に活きてます。だから《惡の華》は凄く重要な作品なんです」と後日、監督も俳優も言いそうな習作感のある作品だったよ。次が楽しみ。
プレイですね。わかりますw
原作未読、惡の華という詩集も、シャルル・ボードレールについても、全然知識がない状態で鑑賞。
「惡の華」を愛読する中2男子が忘れ物を取りに戻った教室で起こした出来心が切っ掛けで、クラスで浮いている女子に脅され、変態的な行動をとらされているうちにハマって行く話。
ちょっと行き過ぎて暴発しかけた思春期の葛藤+気になる男を目覚めさせて奪取という寝取り寝取られ的な、ちょっと変わった癖を織り込んだ恋愛映画という感じがする。
中2時代の話、特に一旦現在に戻るまでがコメディに観じたのは自分がクソジジイだから!?
CMや予告編をみてグロいものやエグいものを期待しなければ楽しめるかなとは思うけど、振り切れていなかったり、切なさややるせなさが足りず、じゃれ合いの延長という感じかな。
まあ青春と言うことで。
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