「他人から見た自分像なんて案外いい加減でアテにならなくね?」きみと、波にのれたら ウシダトモユキさんの映画レビュー(感想・評価)
他人から見た自分像なんて案外いい加減でアテにならなくね?
2〜3回鳥肌立った!!
ひとつはひな子の部屋で、港くんと踊るシーン。僕にとっては「これぞ湯浅政明!」というイメージの、人間の手や足がみょ〜〜んって伸びたり、身体がくにゃ〜〜んってなる感じの演出。しなやかだし、ゆるやかだし、開放的な気持ちよさに鳥肌立った場面だった。
ふたつめは、クライマックスのトンデモサーフィンの場面。こちらはダイナミックで、スピード感があって、やっぱり観心地がすんごく気持ち良くって鳥肌が立った。
満足満足。
お話全体としても、僕はまあまあ好きな話だった。
「大衆向きで、ありがちで、『ゴースト ニューヨークの幻』的なラブ・ストーリー」っていう声もあって、たしかにそういうパッケージではあるけれど、その中身は案外トガッてた印象だったな。
「今ッ!オレたちはッ!スクリーンから何らかの精神攻撃を受けているッ!!??」と思わされるような、作り手の悪意のこもった(笑)主人公カップルのイチャイチャっぷり。
港くんが亡くなってから、その幽霊(?)とひな子が意思疎通できるまでの“Jホラー”な演出。図書館の天窓の水滴文字の表現とか笑った。
その後港くんの幽霊と意思疎通ができてからのひな子と、周囲の人間のギャップ感はもう、“サイコホラー”のジャンルに突入してた。
「風呂敷の畳み方」は、ファンタジーアニメにしてもラブストーリーにしても、わりとありがちなところに着地させていたけど、
「風呂敷の広げ方」については、クセがあって面白かったと思う。
僕がこの映画を嫌いじゃないのは、個人的にはこの物語、
「他人から見た自分像からの解放」を一貫して描いてる
ような気がするからだと思う。
とても象徴的なのは、主人公カップルの名字。ひな子の名字は「向水(むかいみず)」で、よく“むこうみず”と間違われる。港くんの名字は「雛罌粟(ひなげし)」で、そもそも読める人がほとんどいない。
港くんに対する周囲のイメージは「なんでもデキる系イケメン」で、港くんが亡くなってからのひな子に対する周囲のイメージは「恋人に先立たれて頭がイカレちゃった可愛そうな娘」だった。
その2人が愛を育んでいくシークエンスは、観客からすれば「バカップル」という印象を持つように誘導的に描かれてる。
後輩のワサビくんも、妹ちゃんも、「自分がこうありたい自分」を見つけられずにいたり、隠さずにいられなかったりで悶々としてる。
そういう差分に対して、「自分らしく生きればいいのよ!」とか「そのままの自分でいいんだよ!」とか「レリゴ〜レリゴ〜♪」とかのメッセージを伝えようとするとき、多くの物語や楽曲は、「自分らしさの大切さ」とか「自分の夢の尊さ」とかを高らかに謳い上げるけど、本作での伝え方は、「他人から見た自分像なんて案外いい加減でアテにならなくね?」というアプローチなのが暑苦しくなくてイイなと思った。
また「自分が勝手に作り上げた他人像からの解放」も同時に、ワサビくんの目線を通して少し描いてるのも心強い。
どちらにしても「ひとつの波」に翻弄されるより、見送っちゃてもいいって話。
「波なんていくらでもやってくるから、自分がこれだと思った波に何度でも乗ってみようとすればいい。でも、水に沈んだままじゃ前には進めない。」
そういう物語だったと僕は思う。
評価は真逆なのですが、感想には共感しました
冷静にあとから総括すると良い、脚本なのですが入り込ませてもらえなかったのは自分の偏見なのかお膳立てが足りなかったのか
自分、サーファーなので
いい波に乗ればいいじゃんって言うのは、、とてもいいなと思いました